小笠原和葉×藤田一照「宇宙と感情と身体」 第三回 心と身体はつながっている

| 藤田一照 小笠原和葉

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本サイト連載「生きる練習、死ぬ練習」でもおなじみの藤田一照さん、『システム感情片付け術』(小社刊)の著者・小笠原和葉さんの対談を、3回に分けてお届けします。

最終回の第三回は、禅僧とボディーワーカー、それぞれの立場からみた「心と身体のつながり」について。和葉さんの次回作への構想(?)も飛び出して、広がりのある対談となりました。

対談/小笠原和葉×藤田一照 「宇宙と感情と身体」

第三回  心と身体はつながっている

語り藤田一照、小笠原和葉
構成阿久津若菜

小笠原 「考えるよりまず、身体からいく」方が、到達できるまでの時間がずっと早い。脱力、委ねていく、サポートを感じる、といった身体の感覚があると、こういう生理学的な状態を体験できる。その体感からもう一回、経験をたどりなおして考えた方が、リラックするまでの時間が速いんじゃないかなと思います。

 

コ2編集部(以下、コ2) 前回(第二回)では、研究者の方々がサイエンスにまつわる素朴な疑問を「それはブルーバックスレベル」とバッサリおっしゃる話が印象的でした。では「宇宙とは?」「時間とは?」といった疑問に、そもそも人間は答えられるものなのでしょうか?

小笠原和葉(以下、小笠原) 現在の宇宙物理の理論の限界は、“観測結果”と“理論”を結びつける数学の開発が、間に合っていないのだと聞いています。
数学の発展が、観測結果を表現できるところまで追いついていないと聞いて、「なるほど」と思いました。

藤田一照(以下、藤田) たしかに。僕も、数学は言語だと思います。

先日読んだ『ピダハン―「言語本能」を超える文化と世界観』(みすず書房)に書かれていたのですが、アマゾンにすむピダハン族には創世神話がないどころか、過去形、未来形がなく、左右の概念も数も色の名前さえもない。

でも僕らの常識と全然違う言語体系を使いながらも、ちゃんと日常生活を送っているし、コミュニケーションもできている。むしろ西洋人より幸せ、という人たちがたしかに存在しているんです。

言語というのは、ことほど多様で柔軟性がある。数学はそのなかでも、もっと抽象度が高い言語だと思います。 ところで、宇宙にある全物質のうち、「ダークマター、ダークエナジーが96%で、4%の宇宙しか僕らは知らない」という話がありますよね。

小笠原 最新の理論では、「4.9%」だそうです!

藤田  どうやって計算するんですか?

小笠原 宇宙を観測すると、宇宙がどれくらいのスピードで膨張しているかがわかります。それがわかると、宇宙がもともともっている総エネルギーの量がわかる。そのうち、私たちが知ってる物質をエネルギーに換算して当てはめると、「あれ、たったの4.9%にしかならないね」という意味です。

 

藤田 計算が合わないわけですね。でもそれを算出する方法は確かか、もしくは妥当なものなんですか。

小笠原 いろいろなことに比べて、わりと確かだとは言われていますが、ほんとのところはわからない(笑)。 前回の観測問題の続きではありませんが、私は、ダークマター、ダークエナジーと呼ばれる見えない宇宙には、「意識」が関係しているんじゃないかと思っています。

藤田 ほお、僕の関心事にだいぶ近づいて来てますね(笑)。意識って重さ(質量)があるんですか?

小笠原 重さというかエネルギー……、質量がかかわって、エネルギーで扱えるものだと思います。

藤田 エネルギーか。便利な言葉ですよね。

小笠原 私自身も、第一回でもお話ししましたが、この「エネルギー」という言葉がふわっと使われすぎていて、気持ち悪いなと思っていて。

一昨年に、これまで自分が意識や科学について考えてきたことを総決算するワークショップをやったのですが、そのタイトルは「意識というエネルギーの力学」でした。オタクですよね(笑)。

そこで定義した「エネルギーとは?」の答えは、「仕事をする量」でした。「意識=エネルギーである」、つまり「意識=仕事をする量である」と言い換えると、実はいろんなことがすごく説明しやすい。

宇宙全体には、エネルギー保存則が働いて一定の量があり、それがいろいろな形に変換されて世界が運行している。科学的な厳密さも検証もまったく足りていない仮説ですが、少なくとも「エネルギーは“量”で扱える」という考え方は、意外に抜け落ちていると思います。

藤田 “量”というのは、測定できるものという意味ですか?

小笠原 そうですね。既存の観測装置では測定できないかもしれませんが。

藤田 「意識は仕事をする」という点に限れば、納得はできますね。

前回(第二回)の話に出た、赤ちゃんの「指さし」、あれは指をさすことで自分と相手の他に第三者がいることを意識できるようになる、というエピソードでしたよね。

小笠原 そうですね。

藤田 手の意識ができると、手が発達してきます。自分の手を発見して、それが意識の中に入ってくると、手が発達し始めます。

そういう意味で、「意識は仕事している」ことになる。意識の中に入れてはじめて、「自分には手がある」という認識に基づいて、それを使えるようになりますから。ただしこの場合の“意識”をどう考えるか、ですけどね。

エネルギーだけでなく、「意識」というこの言葉も実に不思議なものです。「意識、意識」と同じ名前で呼んでいるから、誰にでも“共通の意識”があることを前提にして、話をするわけですが。でも実は僕の意識と和葉さんの意識って、全然違う。それぞれほかならぬ、“唯一無二の私の意識”をもっているわけです。

この「唯一無二の私」について、とことん話ができる機会がありました。それが、先日出版された『〈仏教3.0〉を哲学する』(春秋社)という本です。ワンダルマ仏教僧の山下良道さんと、哲学者の永井均さんと鼎談をしています。

僕は、永井さんのことを“最も哲学者らしい哲学者”だと思っています。それは自分の頭で考える人だから。自分が見つけた問題を、しつこく考えている人なんですよ。哲学“学者”じゃなくて、哲学“者”。 その永井さんの、5歳くらいの時からの素朴な疑問というのは、「唯一無二の〈私〉という存在が宇宙にある」ことの不思議についてなんです。

コ2 この“唯一無二の私”のお話は、一照さんと伊東昌美さんの対談連載「生きる練習、死ぬ練習」でもたびたび登場しますよね。
挙げてくださった『〈仏教3.0〉を哲学する』の中からまとめますと、

  • 「私」:一般的に言われる私。○年○月に生まれて、他の人と違うこういう特徴があって……というような、いわゆるアイデンティティにあたる「私」
  • 〈私〉:原因も根拠も示せないのに「なぜかその目からだけ現実に世界が見え、その体だけ殴られると実際に痛く感じ、その口からだけ音が出せる唯一の生き物」

という、二種類の「私」〈私〉が存在するということでした。

 

「私」と〈私〉、二種類の私がいる不思議

藤田 そうそう。〈私〉というのは、本当の〈私〉、端的な〈私〉というんですかね。それに対して「私」は、僕らが常識として扱っている世界の中にいる「私」なんです。科学もこの範囲のなかで行われている。
永井さんの疑問は、そういう「ほかとは到底一緒にできない存在が並び立つ不思議に、何で皆、もっと驚かないんだろう?」ということ、そして「この驚くべき、「私」と〈私〉の不思議な差を解明したい」というなんです。

小笠原 英語では「私」と〈私〉の区別はつけられますか? どういう言い方になるんだろう。

藤田 英語では「私」と〈私〉はどちらも「self」、同じ言い方になってしまいますね。フランスの哲学者カントの言い方だと、さしずめこうなるでしょうか。

  • 「私」:本質としての私。「〜である」という言い方で表現できるような私。「あなたって何ですか」と聞かれたら、「私は藤田一照です」とか「男です」と答えられるような存在。
  • 〈私〉:実存としての私。端的に〈私〉がある、としかいえない存在。

小笠原 何という本で読んだか忘れてしまいましたが……「目に見える私と、目に見えない私」を扱うワークがあって。それは自分を呼びさして「この人は誰?」という問いに、自問自答し続けていくと、自分が何なのかよくわからなくなっていく、というものでした。

これは、本質としての「私」について扱ったワークだったんですね。今のお話を聞いて、ふと思い出しました。

それに対して、「意識というエネルギー」というワークショップで最後にお伝えしていたことって、まさにそういう実存としての〈私〉、唯一無二の〈私〉がいることへの、信頼(belief)だったんだと思います。
でもそれって、〈私〉を委ねていった先に、安心できるシステムの存在が保証できなければ、自分ではなかなか行き着けない。自分が今まで思ってもみなかったもっといいところに行くかもしれないよ、くらいのフワッとした感じだと、安心して委ねられないものだなあと思います。

 

藤田 そうですね。だから、「私」→〈私〉にシフトするには、たくさんのクリアしなければいけないステージがありますし。今まで積み重ねてきたカルマというか、色眼鏡みたいなのを外していかないと。なので、そんなに簡単にはいかないんですよ。

それがどうやったらできるかを今、考えているんですが。そのリソースとして役に立つことがいっぱいありそうだというのが、ボディーワークと武術の世界なんです。

小笠原 私にとっては、宇宙物理の世界がそのリソースにあたりますね(笑)。 一個人としての身体はいずれ死んでしまうけれど、人間には「健康」に向かって自己調整していく、という身体のインテリジェンス(知性)があります。宇宙というこのシステムに自分を委ねていくと、絶対大丈夫だなと思う一番大きな枠組みは「健康」に向かおうとして備わっている、身体のシステムだと思います。

藤田 「健康」と今言われましたけど、もう少し具体的に。調和みたいなものですか。

小笠原 そうですね、その時のベストに向かって調和するということです。 熱が出るのは一見、不快なことだけれど、免疫システムが働いているがゆえの発熱なので、長い目で見た健康に向かっているという感じでしょうか。

藤田 より健康になるための「熱の効用」ですね(笑)。 『システム感情片付け術』で、和葉さんが取り上げている「不快な感情」というのも、同じように考えているわけですか?

小笠原 はい。トラウマもある時は自分を守るシステムだったのが、それが解除されるきっかけがなくて持ち越しているので。本来、それを解除する方向に向かっているはずだったシステムを、もう一回ちゃんと動くようにしてあげたら、野生動物にトラウマがないのと一緒で、人(心)も解放されていきます。

藤田 身体でいえば、その構造の中にヒントがあるというか、身体の設計図を見ると、その使い方の意図がわかるのと同じですよね。身体のもっているオリジナルデザインを信頼して使うというような。

小笠原 そうです、そうです。「手はここからじゃなくて、肩甲骨からか」とか。身体のデザインをよく見ていけば、どういうふうに使うのが一番自然で、楽なあり方かがわかる。 それと同じで、宇宙のデザインを見ていったら、一番楽でヘルシーな生き方というか、委ねられるシステムの先、委ねられる一番大きな法則みたいなものが見えるんじゃないかと思っています。

「宇宙と人とをつないでいるシステムはどうなっているんだろう」という疑問を、ボディーワークの世界で探求している感じです。

藤田 僕も賛成しますが、でも宇宙ってあまりにも茫漠すぎるので…… 僕の場合は、身体にとっていい原理というか、身体に働く精妙な原理は、必ず心に関してもメタファーとして意味をもつ。だから、「身体を読み解けば心も読み解くことができるのでは」と考えています。

和葉さんの場合は、身体で起きていることが、宇宙で起きていることのメタファーになってるんだろうなと思いますね。

小笠原 「心と身体はつながっている」というか、神経系から人間というシステムを見ると、「心と身体はひとつのものである」ことを実感します。

身体が楽で自然なあり方だったら、その時の心のあり方が一番その人にとって幸せなこと。だったら、心に手を付けるよりは、身体からアプローチする方がやりやすいので、ボディーワークの手法をとっています。

藤田 それは全くそのとおり。そういう宇宙と体と心のつながりは、この次の本でもっと出てきますか?

小笠原 私、この本にどこまで書いたか忘れちゃいました(笑)。 でも個々人が皆、一律に幸せになろうとしたら、利害関係もありますし結構大変だと思います。でも、よいことがあっても悪いことがあっても、「とりあえず皆で一緒にいること」を経験するために、この宇宙を共有しているのだと思うと、リラックスしていられる感じがして。

「人生みな実験、人にはそもそも成功も失敗もない」という考え方が、私にとってはすごく採用しやすいんです。

藤田 なるほどね。おもしろい考え方だな。

小笠原 こういう話なら私、朝まで語れます(笑)!

(最終回 了)

 

【講座情報】
ソマティック禅シリーズ 第3回「本当のくつろぎ(安心)に帰る道~帰家穏坐としての坐禅へ~」
ソマティック禅シリーズ第3回は宇宙物理学を専攻し、エンジニアからボディーワーカに転身した「理系ボディーワーカー」小笠原和葉さんとのコラボでお送りします。
小笠原さんは2016年、『システム感情片付け術』(日貿出版社刊)を上梓。意識やカラダを含んだ人の全体性を一つのシステムとしてとらえ、問題を解決するメソッド、「プレゼンス・ブレイクスルー・メソッド(PBM)」を構築し、精力的に広めています。
今回のテーマは、くつろぎ、安心。それは誰もが、心の底で求めている帰るべき故郷であり、家です。しかし、それを求めたり、目指したりしたとたんに「間違えないようにしなければ」という緊張が生まれ、知覚が狭くなってしまいます。くつろぎや安心は、思考を通してつかみ取るものではなく、身体感覚を紐解いていくことで結果的に、立ち現われてくるもの。そのような静かで、繊細な感受性が求められる心ある道を、小笠原さんの知覚を、目覚めさせるさまざまなワークと、藤田一照のガイドする坐禅の割り稽古とのつき合わせを通して、一緒にさぐっていきます。坐禅を自律神経系のバランスという観点から洗いなおすという興味深い作業も試みます。
経験不問。必要なのは謙虚で大胆な探究する、こころと生き生きと感覚するからだだけです。
みなさんのご参加をお待ちしております!
日時:2017年2月4日(土曜)
時間:10:00〜16:00
場所:墨田中小企業センター 和室
https://www.techno-city.sumida.tokyo.jp/access/index.php
参加費:8000円   ※事前決算
定員:40人
講師:藤田一照
ゲスト講師:小笠原和葉先生
主催:藤田一照事務局・合同会社メイジュ
運営:後藤サヤカ・小出遥子
お申し込み:info@fujitaissho.info
メールの件名を、『ソマティック禅シリーズ第3回ワークショップ申込み』とし、
お名前・連絡先・職業を明記の上、お申込み下さい。
公式サイト
http://fujitaissho.info/archives/1158

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–Profile–

藤田一照(Issho Fujita写真右
曹洞宗国際センター2代目所長。東京大学大学院教育心理学専攻博士課程を中退し、曹洞宗僧侶となる。33歳で渡米し、以来17年半にわたってアメリカのパイオニア・ヴァレー禅堂で禅の指導を行う。現在、葉山を中心に坐禅の研究・指導にあたっている。著作に『現代坐禅講義 – 只管打坐への道』(佼成出版社)、『アップデートする仏教』(幻冬舎新書、山下良道氏との共著)、『禅の教室』(中公新書、伊藤比呂美氏との共著)、訳書に『禅マインド・ビギナーズ マインド2』(サンガ新書)など多数。

Web site: 藤田一照公式サイト

小笠原和葉(Kazuha Ogasawara写真左
ボディーワーカー、意識・感情システム研究家。学生時代から悩まされていたアトピーをヨガで克服したことをきっかけに、 ココロとカラダの研究をはじめ、エンジニアからボディーワーカーに転身。 施術と並行して意識やカラダを含んだその人の全体性を、一つのシステムとして捉え解決するメソッド 「PBM(プレゼンス・ブレイクスルー・メソッド®)」を構築。海外からも受講者が訪れる人気講座となっている。
クラニオセイクラル・ヒーリングアートチューターカリフォルニア州認定マッサージプラクティショナー東海大学大学院理学研究科宇宙物理学専攻修士課程修了。

Web site: 小笠原和葉|PBMオフィシャルサイト