対談 藤田一照×伊東昌美 『生きる稽古 死ぬ稽古』出版記念イベント07

| 藤田一照、伊東昌美

2017年8月17日(木)、新刊『生きる稽古 死ぬ稽古』発刊記念イベントが東京・八重洲ブックセンターにて開催されました。こちらでは著者である藤田一照先生と伊東昌美さんが、【生と死の不思議を笑って語ろう】というテーマで、本書のできた成り立ちと、そのなかで見えてきた遠くて近い生と死とどう向かい合えば良いのかについてお話しいただきました。

コ2では、当日の模様を連載でお届けします。また本でも使われている、3年弱の取材の間に撮影された茅山荘でのお写真も紹介していく予定ですのでお楽しみに。

 

『生きる稽古 死ぬ稽古』(日貿出版社)出版記念

対談/藤田一照×伊東昌美
【生と死の不思議を笑って語ろう】

第7回 禅はプログラム化できない

語り藤田一照、伊東昌美
構成コ2編集部
協力八重洲ブックセンター

 

一照さん、伊東さん

 

「お釈迦様はファイナルアンサーを持っていない」(藤田)

司会 それでは何か質問がありましたら。それではどうぞ。

Aさん ありがとうございます。さっき程お話しに出たカテキズムについてなのですが。

藤田 カテキズムというのは「教理問答」っていわれてるものですね。

Aさん さっきの一照さんの「分からないことを分かっていく」というお話って、分からないけれどもよく分かるような気がしたんですね。だけど、一方で仏教に限らないんですけども、カテキズム的な、「お釈迦様は全部知っていて、全部答えがあります」という、断定的な言い方をする人たちもいらっしゃるわけですね。

それと、禅はプログラムに馴染まない、むしろプログラムを拒むっていうお話があったのですが、一方で今、世界的にマインドフルネスがトレーニングプログラムとしてビジネスや企業に導入されて、「社員はこれを受けなさい」みたいな感じになっていて、「何時間受けるとサーティフィケーションになります」「マスター・メディテーターになれます」っという流れもあって。

ティク・ナット・ハンさんなんかは、「瞑想する人が増えればベネフィットがあるからいいんだ」という立場で、それも理解できるんですけれど、そういう人たちと一緒にやっていくのか、あるいはそれとは別々の道であってもいいのかっていうことを最近思ってたんですけど、どうでしょうか。

藤田 多分、そういうタイプのアプローチのほうが流行るでしょうし、僕はそういうものがあっても全然いいと思います。批判したり、やめさせたりする気は全くありません。ただ、僕個人としては何ていうのか、そういうのは早晩「飽きちゃう」だろうなと思うんです。ですから、それがいいと思う方たちは「どうぞやってください」という立場です。

僕は僕のやり方で、流行ろうがどうしようが、“I’m going to on my way(我が道を行く).”という感じで前を向いて歩いて行くだけです。現に、プログラム的なアプローチをしている人たちと一緒に仕事をしたりもしてますし、対立ではなくて補完という関係で考えています

Aさん それぞれ別々の。

藤田 はい、棲み分け、とか、領域分担という考え方ですね。僕自身、そういうプログラムを学ぶ会に参加したこともあるし、プログラムそのものを作っているような人たちとも親交があります。それで、いろいろ学べることも確かにあるんです。でも、禅の特徴の一つは自発性(spontaneity)とか自然さ(naturalness)といったクオリティの強調で、一律さを嫌うんです。

なぜプログラム化ができないかっていうと「一人一人みんな違う」からです。個人差を大事にする、あるいは個人のユニークさみたいなものを大事にしたいということがあるんでしょうね。それはやっぱりはずせないものとしてあるので、それに合わないものはしようがないですね。だから、違いは違いとしてちゃんと認めて、共存していくっていうか、仲良くしていこうということです。

Aさん 仲良くしていく。

藤田 けんかする必要は全然ないですよ。どちらもあっていいし、それぞれを必要としている人たちがいるわけですからね。

一照さん、伊東さん

 

Aさん もう一つの質問、「お釈迦様は全部に対してファイナルアンサー持ってますよ」というのは如何でしょうか?

藤田 お釈迦様はファイナルアンサー、ないんじゃないですかね。あるいは、たとえあっても、そういう言い方はしないんじゃないですかね。すべては移り変わっていくわけですから、その都度、自分でベストな対応をしていきなさいというスタンスじゃないでしょうか。これこそが真実だ、という言い方は仏教にはなじまないように思います。道元さんも「現成何必(げんじょうかひつ)」と言って、必ずしもいつもそうだとは限らない、と説いています。

Aさん そういう立場の人たちも世間にはいらっしゃいますね。

藤田 それはそうだと思います。みんなファイナルアンサーが欲しいですから、それに応えて、「ファイナルアンサーを持っている人を探さなきゃ」「あの人はファイナルアンサー持っているようだから尊敬しよう」「私の知らない答えを持ってる、権威のある答えを持ってる人は尊敬しされるべきだ」っていうのは人情です。「自分のついている先生はファイナルアンサーを持っている」あるいは「自分はファイナルアンサーを得た」と言いたいのは分かりますけど、僕はあんまりそういうゲームには魅力を感じないです

今はどんな質問に対しても即時に答えてくれるものが増えてきている。AI(人工知能)もその路線だし……。

Aさん Siriなんかもそうですね。

藤田 僕にとってブッダは、全知全能であったというよりも、「全知全能に向かってプロセスを踏んでる人」です。最後まで修行者だったし、学び続けた人だと思うんですよ。もちろん教義的には「全知全能を達成している者」なのだと思いますけど、正直に言うと人間である限りは「それはないんじゃないか」と思います。

ブッダもやっぱり今に生まれたら、車の運転は教習所に行かないといけないし、コンピューターだって習う必要があると思います。そういう意味の全知全能ではないんじゃないかな。そういう言い方よりも、最高度の学習能力を発揮して、死の瞬間まで向上、深化を続けた人と考えたいです。

Aさん これは神秘学的なことかもしれないですけども、「ブッダは宇宙の始まりから宇宙の終わりまでその全部を知り尽くした人である」っていう言い伝えもありますね。

藤田 文字通り信じてる人は多いと思いますけど、僕はそれは理解できないです。仏教が「宗教化」する中で生じた過剰な神格化ではないかと思っています。別にブッダの価値を下げる気はないですけど、そういう現実遊離的な要素は、僕はいただきません。すいませんエラそうな言い方で。

Aさん ありがとうございます。

藤田 僕はやっぱり、ブッダはすごい学び方を知ってる人だと思うんですよ。学んだ結果を僕らより桁違いに持っている人っていうようには思ってないです。学んだ量じゃなくて学び方の質。だから、車の運転を習っても、僕らとは違う学び方をするのではないかなと。見たことないので分からないのだけれど(笑)。

会場 学びのプロセスであってコンテンツじゃない?

藤田 コンテンツじゃなくて“How to Learn.”の問題だという感じがしますけどね。だから、ブッダは人生から学び続けた人で、自分が死ぬこと、自分の死からすら学べる、それを弟子たちに見せた人だと思います。それに触発された人たちが引き継いできたもので、ブッダが喋ったことではなくて、ブッダが体現、体で示したことっていうところに目をつけるべきじゃないかな、と思います。もちろんブッダが言い残したことも大事ですけど、僕としてはブッダの学び方を学びたい、そんな感じですかね。

(第七回 了)

生きる稽古死ぬ稽古

 

新刊情報『生きる稽古 死ぬ稽古』(藤田一照・伊東昌美著)

「絶対に分からない“死”を語ることは、 同じく不思議な、“生”を語ることでした」

私たちはいつか死ぬことをわかって今を生きています。

でも、普段から自分が死ぬことを考えて生きている方は少ないでしょう。

“あらためて、死ぬってどういうことなんだろう?”

この本は、そんな素朴な疑問をエンディングノートプランナーでイラストレーターをされている伊東昌美さんが、禅僧・藤田一照先生に伺う対話となっています。

人生の旅の果てに待っているイメージの死。

ですが藤田先生は、

「生と死は紙の裏表みたいなもの」で、

「生の中にすでに死は忍び込んでいる」と仰います。

そんな身近な死を語るお二人は、不思議なほど“愉しい”様子でした。

それは、得体の知れない死を語ることが、

“今この瞬間を生きている奇跡”を感じるからだったのかもしれません。

そう、死を語ることは生を語ることであったのです。

“どうして私は生きているのだろう?”

一度でもそんなことを考えたことがある方へお薦めします。

 

単行本(ソフトカバー): 255ページ
出版社: 株式会社 日貿出版社
ISBN-13:978-4817082398
発売日: 2017/8/22

全国書店、アマゾンで好評発売中です。

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–Profile–

藤田一照Issho Fujita)写真右
1954年、愛媛県生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程中退。曹洞宗紫竹林安泰寺で得度し、1987年からアメリカ・マサチューセッツ州のヴァレー禅堂住持を務め、そのかたわら近隣の大学や瞑想センターで禅の指導を行う。現在、曹洞宗国際センター所長。著書に『現代座禅講義』(佼成出版社)、『アップデートする仏教』(山下良道との共著、幻冬舎)、訳書にティク・ナット・ハン『禅への鍵』(春秋社)、鈴木俊隆『禅マインド ビギナーズ・マインド2』(サンガ)など多数。

Web site​ 藤田一照公式サイト

オンライン禅コミュニティ磨塼寺

 

伊東昌美Masami Itou)写真左
愛知県出身。イラストレーターとして、雑誌や書籍の挿画を描いています。『1日1分であらゆる疲れがとれる耳ひっぱり』(藤本靖・著 飛鳥新社)、『舌を、見る、動かす、食べるで健康になる!』(平地治美・著 日貿出版社)、『システム感情片付け術』(小笠原和葉・著 日貿出版社)と、最近は健康本のイラストを描かせてもらっています。長年続けている太極拳は準師範(日本健康太極拳協会)、健康についてのイラストを描くことは、ライフワークとなりつつあります。自身の作品は『ペソペソ』『おそうじ』『ヒメ』という絵本3冊。いずれもPHP出版。

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