やさしい韓氏意拳入門  第九回(最終回) 「拳法」

| 駒井雅和

武道、武術好きなら一度は名前を聞いたことがある、韓氏意拳。興味はあるものの、どこか敷居の高さを感じて二の足を踏んでいる方も多いのではないでしょうか? そこでここでは駒井雅和教練にお願いして、できるだけ分かりやすく韓氏意拳について書いて頂きました。最終回となる第九日目の今回は、「拳法」です。

やさしい韓氏意拳入門

第九回 「拳法」

駒井雅和

 

拳を打つ!

みなさんごきげんよう!

長かった連載も今回で最終回になります。

長くなった主な原因は何度も言っていますが私の遅筆っぷりにあります。

最後だと思うとますます気が重くなってしまいまして……、お待たせしてすみませんでした。

さて最後にご紹介する練習法は

「拳法」になります。

韓氏意拳の拳法は「崩拳、横拳、鑚拳、炮拳、劈拳」の五種類があり、名称は意拳の源流といえる形意拳の「五行拳」が元になっています。

ただし韓競辰師は韓氏意拳における五行拳である初級拳法を以下のように定めました。

「伝統拳術の中で私が最も評価しているのは形意拳です。韓氏意拳における初級の練習のまとめには伝統に敬意を表して五行拳とし、名称も五行拳をそのまま採用しました。しかしその形状や表したい内容は私が学んだ形意拳とは異なります。韓氏意拳における「五」とは木火土金水などの五行説とは全く関係がありません。○○拳は✕✕拳に打ち勝つというような関係性もありません。韓氏意拳の拳の五とは「順逆・遠近・単双・轉注(反向)・進退」、つまり拳の運用における五大要素を指しています。拳法の過程においてはこれらの要素を余すことなく含んだ運動を行うことで、実際運用中における拳の問題を解決していきます。」

また

「五行拳で学ぶ拳の軌跡を学んでおけば、人と拳を交えるのに十分である。」

とも。

さて何をもって十分と言えるのか、早速やってみましょう!

 

−拳法−

崩拳

歩法:コン歩

手法:定歩崩拳

身法:左右試力、技撃椿

やさしい韓氏意拳 崩拳

  1. 左手を前に左足を前の「順」に合わせて技撃歩(前3:後7)で立ちます。
  2. 右手を左右試力や技撃椿の要領で前に出します。
  3. 足はそれに連れて左足から前へ、右足も出した左足に付いて前に出ます。
    右手が前、左足が前と互い違いになっているので「逆」となります。
  4. 続けて左手を前へ、左足も前に進んで順に戻ります。これを交互に繰り返して前へ進みます。
  5. 一通り繰り返したのち、右足側を前に変えて左右行います。

 

 

横拳

歩法:三角歩

手法:川掌、自下而上

身法:左右試力、技撃椿

やさしい韓氏意拳 横拳

  1. 左手を前に右足を前の「逆」に合わせて技撃歩(前3:後7)で立ちます。
  2. 右手を左右試力や技撃椿の要領で動き出します。軌道は下から上へ。
  3. 足は後ろ足となる左足から動き出し、三角歩で歩き左足が前に出ます。
  4. 手の高さは大体眉毛の高さ程度まで。
  5. 左右繰り返す。

 

やさしい韓氏意拳 足図

 

以下

五行における順・単など)、炮拳(両手の同時運用の下から上、五行における近・双など)、劈拳(ロングスタンスの開掌打、五行における遠など)と続きます。

以上五つで韓氏意拳のストレート軌道、アッパー軌道、フック軌道、両手運用、遠い間合いへの対応が揃うことで、人と拳を交える際に頻出する行為「ベスト5」が出そろうことになります。これをもって韓競辰師は十分であると表現されます。

ただ十分なのは軌道についてのみの話で、実際の運用を考えた場合には、練習することで良い習慣を養ったうえで、様々な試しを行い、見つかった問題、穴を埋めるべく更なる練習が必要なのは言うまでもありませんから語らないだけだと思われます。

続いてはそうした「師が語らない要素」に付いて考えてみます。

 

−幻想感覚に騙される−

ある方が韓競辰師に「●●という武術では●●という要訣が重要視されていますが、韓氏意拳においてはいかがですか?」という質問をしたことがありました。

それを受けて韓競辰師は「●●は特別なことではなく、当たり前のことです。」

それを聞いた時は、それほど大きな衝撃はなかったのですが

あとあとになって考えてみてここに大きな問題が含まれていることが分かりました。

この問題点をアスリートでタレントの武井壮さんがツイッターへの投稿でうまく言葉にしてくださっているので丸々引用させていただきます。

以下引用

プロやトップアスリートの言葉と動きにはズレがある。ゴルフなんかその典型で、プロに聞いても上手くならないことも多い。指導を仰ぐ時は、言葉とその選手の動きのズレを探って、無意識だけどやっていることを見付けると答えがある。当たり前にできる事は意識してないから言葉にしてない事が多いのよ。

引用終わり

この●●については、質問者が聞いてくれたおかげで師が「当たり前」と捉えていることが判明したので良かったといえますが、残った問題は私にとって●●は決して「当たり前」といえるようなものではなかったことです。

師にとっては「当たり前」、私にとっては「なんだそれ」。

この「当たり前」の不共有は物事の伝達において非常に大きな障害となります。

当たり前の不共有は韓氏意拳の学習において重要視される「感覚」。

例えば、韓競辰師は講習において高い頻度で、

「まるで足が持ち上がるような感じ」

という言葉を使用します。

最近になってようやく、

「もししたら師はこの感覚のことを【足の裏】と呼んでいたのか!」

というような経験をしまして、今まで私が【足の裏】と思っていたものは、あえて言葉にするのなら【頭の中にある足の裏】で実際には感じてはいなかったということに気が付きました。

気が付いてから初めて自覚されたのは、それまで良かれと思って行っていたのは「足の裏を持ち上げようと考えて行っていた動作」で「本当に足の裏が持ち上がってくるような感じがする」ということとは全く別物だったということです。

今までの試行錯誤してきたことをいっぺんで突き崩すようなショックな経験でした。

あくまでも「まるで」なのは足の裏が地面から浮き上がるわけでないから(実際には上がらないので感覚的にはちょっと重い感じですらあります)ですが、「例えじゃなくて本当に上がる感じがするのかー!本当なんだ!本当なんだ!」と一人で感心しました。

このような「(私自身にとって)リアルな感覚」が経験が起きてから、私の中で師の伝える内容と伝統武術に伝わる要訣に対する「信用度」が上がりました。

中国の伝統武術における「口伝」とはこのような「感覚的な経験の共有」を通して伝えられるものであるのではないかと思います。

引用した言葉をお借りして韓氏意拳として説明すると、

「動きの質のズレを生む、師が(言語化していることも、していないことも含めて)【見えている感覚】を見つけ共有すること」

と言えます。

学習においては言語化されていない師範にとっての「当たり前」を見つけることが出来る人を、センスがあると呼ぶのでしょうが、私は言語化していただいたことを追っかけるだけで精一杯で、何かの弾みで転んだ時に、たまたま前にあった「当たり前の不共有」に気がつくラッキーに助けられて学習を進めています。

やれやれです。

 

−拳の「真」−

韓競辰師は拳を語る際にもっとも難しいこととして、

「拳における「真」(言い換えれば「リアル」)は教えることは出来ない」

を挙げられます。「真」の場面における恐怖心、瞬間性、スタートの合図と終了の合図がなく、正解がない場面での対応力などは自分で体験するしかないということです。

昔日の武術家はそういった体験のない人などいなかった。

今は後腐れなくそういった経験をすることが難しくなってしまったと。

確かに私自身も、若い頃は喧嘩に明け暮れて、夜な夜な繁華街へ繰り出しては、適当な相手を見繕って喧嘩していました……みたいなエピソードは遠い世界の話で、喧嘩といえば、少年時代に何が理由かも分からないような誰でもするような喧嘩を数回したくらいで、青年期にグレていたということもなく呑気に過ごしていたので、武術家らしい実戦経験などというものはないに等しいです。

 

駒井式遊び稽古「連環拳」

上記のような理由で、実戦経験に乏しい私のような人が、初級の練習を終えたからと言って「はい、じゃあ実戦ね」と言われても大多数の人にとっては難しいものがあるのではないかと思います。

試すことの重要性は、何度も書き連ねてきましたが、試すにしても試すだけのものがなければ、試したところで得るものは非常に少なくなってしまいます。

平たく言えば「何も出来ない」ということ知るだけになってしまいます。

ですから「実践的練習」の前に前回紹介した「実際に当てる」練習などが必要であると私は考えます。

今回紹介する「連環拳」は五行拳で覚えた拳の軌道を活かしていかに回していくかに焦点を当てた練習法です。

韓競辰師は「あまり二打目を必要としたことはない」とご自身の経験を語ってくださいますし、そのような「一撃必殺的拳」は漢の夢ではありますが、実際私くらいの実力ですと一打で終わらすことは難しいように感じます。

ですので結果としてもう一打となるのですが、五行拳を練習しただけでは連打の「繋ぎ」がなく途切れてしまうことで、単打と単打になってしまうことで非常に当てづらくなってしまいます。

紹介は一例となりますが、組み合わせは幾通りもありますのでご自身で、環境が許すなら稽古仲間といろいろ試してみて下さい。

 

韓氏意拳においてはこの五行拳も感覚を通じて「状態」のあるなし、あるのならば密度について認めていくプロセスであることは変わりないのですが、運用ということも考えるのならば遊び的なところから「触れる」「当てる」ことを始めてみるのも面白い発見につながると思います。

 

最後に

韓氏意拳の一番の目的は「自己を通じて自己を知ること。自ずと自然について知ろうとすること」です。

知ろうとする過程つまり「探求」こそに醍醐味があると思います。

韓氏意拳の体系は道具であると韓老師は仰います。

道具は使ってこそ役に立つものです。

ただし習い覚えたことをただ漠然と繰り返すだけでは、苦役と同じで面白みがありません。

楽しみは「あーなのかな?こうなのかな?あーでもない、こーでもない」というような試行錯誤の中にこそあると思います。

そして試行錯誤こそが「探求」に必要な「探求心」の燃料になってくれるのです。

今思えばこの連載を通じて語ってきたことの全ては、「私の燃料」になってくれた事柄の紹介であったのかもしれません。

皆さんも自身から燃料を自ら掘り出し、それでエンジンを回してまた燃料を掘り出してみてください。いまだ掘りつくされていない自然という鉱脈があるはずです。

 

やさしさについて

私の遅筆っぷりによって、当初の予定の二倍近い時間がかかりましたが、なんとか最終回までたどり着きました。

とかく「分かりにくい」と言われる「韓氏意拳」をなるべく簡単な言葉で「やさしく」出来ないかと始まった企画でしたが最初からお読みいただいた皆様にとっては如何でしたか?

やっぱり分かりにくいところもあったのではないかなと思います。

それは私の文才や理解がまだ及ばないことによるところが大きいのですが、それだけでなく連載のどこかで触れたであろう「自然な運動が行われた時の感覚は“無”の様な感覚」であるからという点もあるのです。

ですから「分からない」という感じている時こそ「良い」に近い可能性が大。

「分からない」と感じている方こそ韓氏意拳の才能があるのかもしれません。

私は師や稽古仲間やタイミングに恵まれて結果的に続けることで様々なことを体験できましたが最初から最後まで全部が分からないでは、私のような「小説や映画も分かりやすいものが大好き」な人にとっては、(伏線や隠喩に気が付かず)単調でつまらないだけの道のりとなってしまう恐れも無きにしも非ず。

出来る限りかみ砕いてやさしくしようとする試みが、かみ砕きすぎて味気ない料理のようになっていないかと、自分では判断が難しいこともあり、苦悩することもありましたが、私なりの「やさしい韓氏意拳」を完走することができました。

これも韓氏意拳の創始者である韓競辰師と日本韓氏意拳学会の光岡師のご指導のおかげです。以前韓競辰師より入室に当たっての食事の席で「中国武術の一門は家族のようなもので、貴方は息子も同然だ」と仰っていただきましたが、それにしても私のような通りの悪い人間にお付き合いいただくのは大変だろうなと思わずにはいられません。

光岡師には連載中も様々な面で励ましていただきました。

おかげで間違うことを恐れずに自分の思うことを表現できました。

また元は誤字・誤表現だらけの原稿でしたが日本韓氏意拳の鹿間氏とコ2編集下村氏に原稿チェックでお世話になりました。

また撮影にご協力いただいた皆様にも感謝いたします。

最後に読者の皆様!

誠にありがとうございました!

時折聞こえる続きはまだか!の声は励みになりました!

何かの形でまたお会いできることを楽しみにしております。

ではその時までごきげんよう!

(第九回 最終回 了)

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–Profile–

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駒井雅和(Masakazu Komai
1975年生まれ東京出身。2003年より広東省珠海市の韓競辰師の元に年数度訪中し韓氏意拳の本格的な学習を始める。
2007年初級指導資格を取得し、東京にて講習を開始。
現在は韓氏意拳中級指導資格保持。東京の昭島市を中心に埼玉・神奈川・千葉などにて指導を勤める。
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Web site :韓氏意拳tokyo活動中心

駒井雅和プロデュース
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Web Site:韓氏意拳日本学会HP