“武蔵兵法”の読み方 第一回 「兵法者武蔵、二天一流、五輪書のこと(序)」

| 高無宝良

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武術愛好家はもちろん、大凡日本人、いや世界的にも有名な剣豪といえば“宮本武蔵”だろう。
16歳で初めての決闘を始め、60予の戦いにすべて勝利し、二刀流の遣い手であるとともに、『五輪書』と題する兵法録を書き遺した希有の剣豪として名高い。その姿は吉川英治氏の小説『宮本武蔵』をはじめ様々なメディアで描かれ、今日では井上雄彦氏の描く人気コミック『バカボンド』へと続いている。しかし、改めて武蔵が求め、修めた武術がなんであったのかについては、意外なほどその真像は知られていない。そこで本連載では、自ら二天一流をはじめ、様々な武術を学ぶ高無宝良氏に、武蔵の兵法について記して頂いた。

“武蔵兵法”の読み方

第一回 「兵法者武蔵、二天一流、五輪書のこと(序)」

高無宝良

 

最も有名で、謎に包まれた剣豪“宮本武蔵”

Ko2読者のみなさま、はじめまして。
日本の古流剣術を修する高無宝良(たかなし たから、本名です)と申します。

古流剣術というと馴染みが薄いかもしれませんが、時代小説などを読まれる方にとってはお馴染みの、柳生○○剣とか△△流といった呼ばれ方をする、あの剣術のことです。
剣道ではなくて、ざっくりというとその母体になったもの。戦国時代から江戸時代にかけて武士階級を中心に広く修業され、開発されてきた、日本刀での戦い方をテーマにした格闘技術です。
明治維新以降実戦に用いられることはほぼなくなった古臭い武術ではありますが、実用的な価値とは別に伝統的な修養の道としての意義を以って、現代に至るまでひっそりと人知れず、伝承を続けられてきているのです。

さて、わたしが縁あって修業することになった剣術流派はいくつかあるのですが、その中でも最も有名で特徴的な流派といえるのが、二天一流兵法でしょう。
これは剣術や武道に馴染みのない方にとっても、おそらくは最も知られている流派だろうと思います。

そう、あの剣豪・宮本武蔵の興した流派です

宮本武蔵の名は武術の世界に留まらず、芸術家として、また広い意味での思想家として、その著作『五輪書』とともに日本や外国にまで知られています。

わたしも外国へ旅行で行ったり、武術を伝えるために訪れたりしているのですが、日本武術を志す篤志家はもちろんのこと、武術と縁のないちょっとした東洋フリークのような人でも、たいていMusashi Miyamotoの名と『Book of five rings』という著作名を挙げてきます。まして日本国内であればなおのこと広く知られているのは言うまでもありません。

現代を生きる我々の生活においてはすでにマイナーな文化になってしまった古流剣術の中では、宮本武蔵と五輪書、そして二天一流兵法は群を抜く知名度を持っているといって間違いないでしょう。

宮本武蔵
江戸時代の書物に現れる武蔵。

 

しかし、それほど有名な宮本武蔵ですが、彼の武術の具体的内容となると、一体どれだけの人に知られているでしょうか
宮本武蔵ファン、あるいは『五輪書』の愛読者と自称する方に出会っても、そのご意見や感想を伺うと、あくまで小説で描かれた武蔵の人間性であったり、五輪書に断片的に見られる思想的・人生哲学的な要素に啓発されたというに留まる場合がほとんどです。
思えばある時期、それはもしかしたら周期的に再来しているのかもしれませんが、多くの出版社から、『ビジネスに活かす宮本武蔵の哲学』や『最強の経営指南書・五輪書』のような、武蔵や五輪書に仮託されたビジネス啓発書の類が山のように世に出たムーブメントがありました。

わたしの忌憚のない感想でいえば、その中のかなりの部分は流行りに便乗しただけの場当たり的なものと言わざるを得ません。
五輪書にはたしかに思想的な要素、人生哲学的な条項もあるにはありますが、やはりその本体は、武蔵の兵法(武術)観であり、彼の手になる二天一流兵法という剣術流派の教科書としての記述に他ならないのです

宮本武蔵、そして五輪書を端的公正に理解しようとするとき、その中心論題である武蔵兵法≒二天一流についての考察を蔑ろにしては成り立たない、というのはあまりにも当然のことと思います。

 

インターネットの七不思議? 二刀流幻想論の怪奇

ところで、最近インターネットで古武術界隈の人たちと話していると、たびたび話題にあがる、ある不思議な現象があります。
それは「二刀流幻想」とでもいうべきもので、もう少し砕いていえば、二天一流を始めとする日本剣術の二刀流について、その有効性の是非に疑念を呈する一連の問題提起のことです。

「一連の」

と書いたのはその問題提起がおよそ三ヶ月に一度ほどのペースで何度も繰り返しネット上の掲示板に現れるためで、毎度かわらず「二刀流が実践に使えたはずがない、そのようなものは妄想の産物だ」という趣旨の主張から始まり、一頻り喧々諤々と論が交わされる、という流れを反復するのが特徴です。
その主張の論点としては、およそ、

  • 刀を実際に持ってみれば、そのような物を片手で扱うのがいかに不合理かわかる
  • 日本刀は重さや形状からいってそもそも両手持ち剣として作られている
  • 二刀流専門の流派は武蔵以降廃れているのをみればその非優位性は明らかである

の三点に絞られます。

本題ではないので詳しい記述は避けますが、各点それぞれ、

「そもそもその体験を語る論者が剣術や武術を修業したことが一度もないのは明らかで、そうであれば片手持ち二刀はもちろん、両手持ち一刀すら満足に扱えない。武蔵本人も五輪書にて端的に『人によっては初めて太刀をとる時は重くて扱いづらいものだ。慣れれば振りやすくなる』と語っている。そして武蔵流で用いる刀は決して長く厚いものではない」

日本刀は戦国時代にはむしろ片手持ちを主流として使われていた可能性が高い。また世界的にみても、日本刀程度の重さ、長さの武器を片手で扱うことは普遍的にみられる」

「武蔵の兵法が武蔵個人の資質に頼るもので後継者が出なかったというのは小説によって流布された創作で、その流裔は剣術諸流の中でむしろ大きく広まった部類である。またそもそも流儀の伝播には地域性や政治状況などさまざまな要素が存在するので、単純に広まりの多少のみで純技術的な優位性を勘案することはできない」

これらの反駁のみで論旨のほとんどを退けられるほどのものではあります。

ただ最後の一点、なぜ二刀流が多数派にはならなかったのかという点については、深く考察すると江戸時代日本の精神文化論へと繋がる重要な視点を含んでいると思います。
わたし個人の考えでは、江戸時代の鎖国体制と自発的な戦争技術の更新停止による武士の営為の箱庭的収斂という時代精神がその原因であり、その点を追及するならばそもそもなぜ剣術文化、ひいては武術という文化があれだけ江戸日本において繚乱を極め定着していったのかという命題と畢竟相似形を成していて、とても武蔵論の範疇で語れることではなくなってきてしまいます。
話を戻すと、この一連の二刀流幻想論者に共通するのは「おそらく確実に、まったくの武術未経験に限られる」という点で、逆に言えば武術、とりわけ剣術の修業者においてそのような論を建てる人をわたしは見たことがありません。

ここで重要なのは、そういった武術未経験の人たちをしてさえ、何か一言もの言わさずには済まない不可思議な吸引力が、

「二刀流、二天一流、宮本武蔵」

という象徴には宿されているということで、それは江戸の昔の講談師から引き続いて平成現代に至るまで今なお間を空けず宮本武蔵を題材とした創作物が生み出され続けていることと、軌を一にする現象といっていいでしょう。
ことほど左様に、わたしたち日本人にとって宮本武蔵とは巨大なアイドルであり続けているのです。
しかしながら、その兵法者・剣術家としての具体的な武蔵像は、今も昔も巷間には無視され続けてきている、というのが現状です。

 

武蔵の兵法と五輪書の唯一性

どういうご縁か、わたしは当初必ずしも自由意志からではなく、この武蔵の遺した二天一流兵法を学ぶことになりました。そして今でも稽古を続けています。
古人の境地や修練の厳しさには及ぶべくもないながら、この僅かばかりの経験と知見をもって、一般の方に向けては案外と正面語られてこなかった武蔵の兵法論を些か語らせていただきたいと思います。

とはいっても、歴史学的、書誌学的な考察では偉大な先行者が数多いる分野であり、研究者でもないわたしにとってその部分は到底カバーできるものではありません。
ここで述べて行くのは、あくまで伝承としての二天一流の体験と、五輪書との照合から得られる発見を中心としていきたいと思います。
目的にしているのは、多様な才を示しながらも終生武術家であることをその本領とした宮本武蔵の、具体性と肉感を伴った兵法論を平易に示すことであり、現代式の倫理道徳観念を排除したところから語られるべきその精神性に迫ることです。

語るにあたり、ここでまず、武蔵という兵法者と五輪書のもつ特殊な意義を掲げておきたいと思います。
それは、

日本武術史上類稀なる達人が、その開創した流派について、また自身の兵法について、非常に文意の明らかな文体で事細かに記した教科書を手ずから書き遺したこと。

これに尽きます。

そしてこの一点において、武蔵、二天一流、五輪書は、ほとんど古今独歩の唯一性を持つことになります。

そこには、

  • 実技を体得した表現者としての武蔵個人
  • 身体表象として伝承される、二天一流兵法

そして、

  • 言語形式で著述された、五輪書

という三つの相があります。

この三相はそれぞれが兵法者武蔵を構成する要素の再展開であり、とりわけ文章として記述された『五輪書』という書物の存在とその企図をもって、いわば「三位一体」としてこの武蔵兵法という、身法・心法を内包した文化体系を決定的に特徴付けるものです。
これだけの特異で有意義な武術流派は他にそうそうあるものではなく、その内容について語ることは小身のわたしには大風呂敷の誹りを免れませんが、しばしの間悪文にお付き合いください。

(第一回 了)

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–Profile–

 

高無宝良師範

高無宝良(Takara Takanashi
幼少期より各種格闘技、武術を学ぶ。
平成9年より古流剣術、居合術、柔術などを学習。
平成11年より数年間二天一流稲村清師範に師事。
平成21年より古武道学舎清風会を発足する。
平成22年 小用茂夫師範のもと刀禅を学習。
平成23年 新陰流兵法(疋田派)山本篤師範より同流指導の許しを得る。
平成27年  ユーラシア大陸横断旅行を機に会の名称を古武術是風会に改称。 現在まで、日本国内のほか米国・イタリア・ドイツ・スイス・ロシア・セルビア・ルーマニア・モンゴル・香港・台湾等諸外国にて指導。

Mail:zefukai.mail@gmail.com

平成29年5月20日、DVD「高無宝良 宮本武蔵の二刀流 ~実技とその変遷~」を発表。

高無宝良 宮本武蔵の二刀流 ~実技とその変遷~
高無宝良 宮本武蔵の二刀流 ~実技とその変遷~