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数年前から急速に注目を集めた沖縄空手。現在では本土でも沖縄で空手を学んだ先生も数多く活躍するとともに、そこに学ぶ熱心な生徒も集まり、秘密の空手という捉え方から、徐々に地に足の着いたものへと変わりつつある。ここでは、多年に渡り米国で活躍し、瞬撃手の異名を持つ横山師範に、改めて沖縄空手の基本から学び方をご紹介頂く。
瞬撃手が解く、沖縄空手「基本の解明」
第十回 「ピンアン」
文●横山和正(沖縄小林流研心国際空手道館長)
ピンアンの謎
前回は首里手における最も基本かつ重要型として継続されて来たナイファンチについての解説を行いましたが、もうひとつ首里の空手を行う際に非常に多く用いられれる型にピンアンの型があります。
今回はそのピンアンの型についての考察を試みてみましょう。
ピンアンの型は現在でこそ様々な会派で採用されている非常にポピュラーな訓練型ですが、元来沖縄の古典的な空手の稽古には存在していなかったものと言われています。その発祥は比較的近年の空手家に属する糸州安恒の手によって明治時代、沖縄の学校教育の一環として体育を目的に創作された型であることが知られています。
その構成は初段・二段・三段・四段・五段といった五つの型から成り、先のナイファンチに比べると、前後左右に転身を含めた移動(演武線)を大きく行いながらも、対象物(敵)の位置を明確に定めて前進しながら技を繰り出す非常に解りやすい動作の組み立によって行われる型と言えるでしょう。
挙動の流れの構成もシンプルで長過ぎず短過ぎず、初心者から熟練者まで老若男女、万人が各々の目的に合わせて実践できる訓練型として非常に適した内容に纏め上げられている型であり、且つそれらが五つの段階を追って学ばれていくというカリキュラムは、空手に含まれる技法の理解を助けてくれる画期的な型と言えるでしょう。
また、その演武者の熟練度を容易に把握できる風体を持つことから、昇級審査等においても非常に便利なことも特徴です。
しかし、現在でこそ一般的になったピンアンの型も、その創成期には他の空手家達からの強い批判も受けたといった話も伝えられ、また創始者である糸州自身も、ピンアンの創作後も自分の指導はナイファンチを中心に行われ、一部の稽古場にてのみピンアンは稽古されていたといった説も存在します。
ところがそうした時代から約100年を経た現在において、首里手系空手の土台を築く鍛錬型といえば、ナイファンチとピンアンは不可欠なものとして確固たる位置付けとなっています。
実際、この相性の良い二つの型の習得が、首里手を習得する上で大きなポイントを占めていることは、私も認めるところです。
なぜなら私自身も、かつての小林流の型稽古では仲里周五郎先生からナイファンチとピンアンを徹底的にやらされ、それは私自身の中でハッキリ感じ取れる程明確な向上をもたらせてくれたからです。その効果を実感した当事者の一人として、それは今まで学んだ何よりも大きな向上の実感、異次元の感覚を与えてくれたものでした。それ以来、私はその時に得た力・動作・スピード・動きの充実感を頼りに稽古を続けていますが、その中心となるのが今日においてもナイファンチとピンアンなのです。
百数年前に空手史に登場した異色の創作型ピンアンは、従来の創始者や発祥年史が一切不明な中で伝えられてきた古典空手の伝授体系の経路をある意味で一新した型であり、当時の沖縄空手界において必然として産み落とされた“運命的な型”であると私は解釈しています。
それではピンアンを生み出される前後の、沖縄空手の背景を踏まえつつ創始者・糸州安恒の空手家像を、私なりに紐解いていきたいと思います。
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