UFCとは何か? 第六回  「王者フランクが連続防衛も選手の日本への流出が続く……」

| 稲垣 收

この記事は有料です。

現在、数ある総合格闘技(MMA)団体のなかでも、最高峰といえる存在がUFCだ。本国アメリカでは既に競技規模、ビジネス規模ともにボクシングに並ぶ存在と言われている。今年7月には大手タレント・エージェンシーであるWME‐IMG(*1)が40億ドル(4000億円以上)という高額で、ズッファ社からUFC(Ultimate Fighting Championship)を買い取った。
しかしMMAの歴史を振り返れば、その源には日本がある。大会としてUFCのあり方に大きなヒントを与えたPRIDEはもちろん、MMAという競技自体が日本発であるのはよく知られるところだ。

そこで本連載ではベテラン格闘技ライターであり、この4月までWOWOWで放送していた「UFC -究極格闘技-」で10年間解説を務めていた稲垣 收氏に、改めてUFCが如何にしてメジャー・スポーツとして今日の成功を築き上げたのかを語って頂く。
競技の骨組みとなるルール、選手の育成、ランキングはもちろん、大会運営やビジネス展開など「如何にして今日のUFCが出来上がったのか」そして、「なにが日本とは違ったのか?」を解き明かしていきたい。

*1:WME-IMGは、クライアントにクリント・イーストウッドやマイケル・ベイ監督、ラッセル・クロウ、ナタリー・ポートマンらの映画界の大物や、錦織圭らトップ・スポーツ選手らを持つ老舗エージェンシー)

世界一の“総合格闘技”大会 UFCとは何か?

The Root of UFC ―― The World Biggest MMA Event

第六回 王者フランクが連続防衛も選手の日本への流出が続く……

稲垣 收(フリー・ジャーナリスト)

 

後に大統領選でオバマのライバルとなる有力な上院議員ジョン・マッケインらのバッシングを受け、「野蛮で危険な大会」というレッテルを貼られたUFC。
多くの州で大会開催を禁じられたため、南部の田舎町でドサ回り興行を続けながら、少しずつルールを改正し、健全な「スポーツ」として認められるべく努力を重ねてきた。

前回は、そのUFC初の米国領以外での大会として1997年12月に横浜アリーナで開催された日本大会について書いた。このUFCジャパン(UFC15.5とも呼ばれる)には桜庭和志が初参戦し、カーウソン・グレイシーの弟子のマーカス・“コナン”・シウヴェイラを破って“日本格闘界の救世主”と呼ばれた。
これは桜庭にとって唯一のUFC参戦となったが、その後はPRIDEを舞台にヘンゾやホイスなどグレイシー一族を次々と撃破し“グレイシー・ハンター”の称号を欲しいままにする。

皮肉なことだが、これ以降巻き起こるPRIDEを中心とした、日本における総合格闘技ブームは、このUFCジャパンが生み出したものと言えるかもしれない。桜庭が登場しなければ、高田がヒクソンに惨敗したショックから日本の格闘界が立ち上がる切っ掛けはなく、UFC自体がPRIDEの成功の影響を受けていることを考えると、あるいは総合格闘技の歴史全体が違うものなっていた可能性すらある。

また、初期UFCで活躍したケン・シャムロックの義弟であるフランク・シャムロックも、この日本大会でUFCデビューし、バルセロナ五輪レスリング金メダリストのケヴィン・ジャクソンにわずか16秒で秒殺一本勝ちして初代UFCライトヘビー級(当時はミドル級と呼ばれた)王者となった。

今回はそのUFCジャパンに続く、UFC16とUFC17を見ていこう。

特にUFC17からノー・ホールズ・バード(No Holds Barred=「何でもあり」。略称NHB)という俗称を改め、ミックスト・マーシャル・アーツ(Mixed Martial Arts=「ミックスした格闘技」→「総合格闘技」。略称MMA)という名称を公式に使うことにしたことにも注目だ。

 

「総合格闘家」となるためフランクが積んだ特訓とは?

UFCジャパンの3ヵ月後の1998年3月にルイジアナ州ニューオリンズで行われたUFC16では、ジャパンで初代ライトヘビー級王者となったフランク・シャムロックが初防衛戦を行った。

フランクは前回、五輪レスリング金メダリストのジャクソンと対戦するため、モーリス・スミスや元キックボクシング王者ハビアー・メンデス(後にアメリカン・キックボクシング・アカデミーを創設し、ケイン・ベラスケス、ダニエル・コーミエ、ルーク・ロックホールドらUFC王者を育てる)、“ジャクソンをレスリングで破った男”エリック・ドゥースをコーチに招いて猛特訓を積んだ。

初期UFCでは、ボクシングならボクシングだけ、空手なら空手だけ、レスリングならレスリングだけ、柔術なら柔術だけを練習した格闘家たちが、それぞれのジャンルの技術だけで「異種格闘技戦」的な戦いをしていたのだが、この頃になると、このフランクのように、さまざまなジャンルの一流の選手やコーチから指導を受けて練習をし、まさに「総合的な」戦いをする選手が生まれ始めてきていた

フランクはまた、ブルース・リーが創始した格闘技ジークンドーの哲学も学び「水のようにあれ」というリーの哲学を実践しようと試みた。
ドゥースの強烈なタックルに逆らわず、流れる水のように倒され、そこから一瞬で腕を取って十字を極める。その練習を何百回も繰り返したのである。

「それほど猛特訓をしたのに、ジャクソンとの試合はたった16秒で終わってしまった」

とフランクは述懐する。

「だから俺は不完全燃焼だった。それで、すぐ次のUFC16で初防衛戦をすることにしたんだよ」

 

この続きはこちらから有料(150円)でご覧頂けます。

連載を含む記事の更新情報は、メルマガFacebookTwitter(しもあつ@コ2編集部)でお知らせしています。
更新情報やイベント情報などのお知らせもありますので、
ぜひご登録または「いいね!」、フォローをお願いします。

–Profile–

UFC190の生中継後、WOWOWのスタジオにて高阪剛選手と。
UFC190の生中継後、WOWOWのスタジオにて高阪剛選手と。

 

稲垣 收(Shu Inagaki
慶応大学仏文科卒。月刊『イングリッシュ・ジャーナル』副編集長を経て、1989年よりフリー・ジャーナリスト、翻訳家。ソ連クーデターやユーゴ内戦など激変地を取材し、週刊誌・新聞に執筆。グルジア(現ジョージア)内戦などのTVドキュメンタリーも制作。1990年頃からキックボクシングをはじめ、格闘技取材も開始。空手や合気道、総合格闘技、ボクシングも経験。ゴング格闘技、格闘技通信、Kamiproなど専門誌やヤングジャンプ、週刊プレイボーイ等に執筆。UFCは第1回から取材し、ホイス・ グレイシーやシャムロック兄弟、GSPらUFC歴代王者や名選手を取材。また、ヒクソン・グレイシーやヒョードル、ピーター・アーツなどPRIDE、K-1、リングスの選手にも何度もインタビュー。井岡一翔らボクサーも取材。

【TV】
WOWOWでリングスのゲスト・コメンテーター、リポーターを務めた後、2004年より、WOWOWのUFC放送でレギュラー解説者。また、マイク・タイソン特番、オスカー・デ・ラ・ホーヤ特番等の字幕翻訳も。『UFC登竜門TUF』では、シーズン9~18にかけて10シーズン100話以上の吹き替え翻訳の監修も務めた。

【編著書】
『極真ヘビー級世界王者フィリオのすべて』(アスペクト)
『稲垣收の闘魂イングリッシュ』(Jリサーチ出版)
『男と女のLOVE×LOVE英会話』(Jリサーチ出版)
『闘う英語』(エクスナレッジ)

【訳書】
『KGB格闘マニュアル』(並木書房)
『アウト・オブ・USSR』(小学館。『空手バカ一代』の登場人物“NYの顔役クレイジー・ジャック”のモデル、 ジャック・サンダレスクの自伝))