コ2【kotsu】特別インタビュー バートン・リチャードソンに訊く 第四回

| コ2【kotsu】編集部

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バートン・リチャードソンという名前を聞いてピンときた方は、恐らく40代から50代のマニアではないだろうか。1990年代、まだ日本では未知の武術であった“ジークンドー”を紹介する、恐らく国内初のビデオに登場したのが師範だ。そのバートン師範が去る10月8日から12日に東京でセミナーを開催、コ2【kotsu】編集部では、今回の講座を主宰された光岡英稔師範のご厚意によりバートン師範にインタビューをする貴重な機会に恵まれた。
そこで今回から5回に渡りバートン師範にフィリピンの武術のことからジークンドー、ダン・イノサント先生、そしてブルース・リー師父への想いなどをお送りする。

コ2【kotsu】特別インタビュー

バートン・リチャードソンに訊く
フィリピン武術とJKD

第四回 「ダン師父とJKDアンリミテッドについて」

インタビュアー・文●コ2【kotsu】編集部
通訳&取材協力●光岡英稔師範

 

「生徒のために尽くす」得がたき師・ダン・イノサント

コ2編集部(以下、コ2) イノサント先生との関係について改めて伺いたいのですが、スクールに入った時、おいくつだったのでしょうか。

バートン 17歳です。でも正式に入門したのは18歳の時です。それまで父が入門を許してくれなかったからです。でも高校を卒業し18歳になったことで、父が「自由にしたらいい」と入門を許してくれたのです。(注:アメリカでは18歳で成人)

コ2 18歳でアカデミーに入るのですね。当時から武術で生きていこうと考えていたのですか?

バートン ノー。特に好きではありませんでしたがハイスクールから続けて大学でも野球をやってましたし、大学では医学部へ入り4年間、医師になるための勉強をしていました。
多発性硬化症の研究をしていましたが、自分は科学者として医学に挑んでいたので当時使っていた科学的な検証方法は、いまの武術の練習を教えたり組み立てる上でも役立っています。

コ2 それがどうしてマーシャルアーツのプロになったのでしょう。

バートン 大学を終えた頃の私は、疲れ果ててました。専攻の生物学以外に、私は好きでやっていた文学が優秀だと評価されたので栄誉者会(Honors)から奨学金が出ており、途中から私だけが同時に二つの専攻を持つようになったのです。この2つを同時進行するだけでも大変なのに、その上に大学野球もやっていましたから。

コ2 まだ野球をやめていなかったんですね。

バートン 授業を終えて野球をやって、それから勉学読書の時間です。武術の本も読みたいけど、それは我慢して宿題や予習をやらなくてはいけません。その影響でか、そのころ体調を大きく崩しました。それで一年間、医療と文学の学科を休学し、ゆっくり休養をとることにしたのです。“1年だけ休んで好きなことをして過ごそう”と決めて、ジークンドー(JKD)、武術にのめり込んだのですが、気づいてみたらいつの間にかに35年間経っていました(笑)。いつの日かは医学部に戻るかも知れませんが、おそらく可能性は低いでしょうね(笑)。

大学では医学部で奨学金をもらっていたというバートン先生。

 

コ2 それでいろいろなところで武術を学ばれたわけですね。

バートン ダン・イノサント師父はものすごくオープンな方だったんです。武術・武道ではよく先生に忠誠を誓うように言われます。ですが彼は生徒のために尽くします。習う人にとって常に最善の選択をしようとするのです。そのために彼は自分の知る限りの実力者をイノサント・アカデミーへ招いていました。その点は私もダン師父から学び、実行しています。

ある時、ダン師父がポール・ディトゥワースというシラットの第一人者のもとに連れていってくれたことがありました。その精妙なシラットの技術技法がすごい方で、私たちに家の裏庭で個人教授をしてくれたのです。実は秘密裏なところもある武術界でダン師父は随分苦労されて、やっとの思いでポールから学ぶまでにこぎつけたのに、私を同伴させてくれたのです。当時はそんな事情を一切知らずダン師父と一緒にポール・ディトゥワースに習っていたのですが、あとでダン師父の奥様が教えてくれました。

また、ダン師父は「もしかしたらバートンは私のもとを離れて、ポールのほうに行っちゃうかもしれないな」ともこぼしていたと奥様から聞きました。ポール・ディトゥワースがあまりにも素晴らしい先生でしたからね。ダン師父は内心でそう思いながらも私をポール・ディトゥワースのもとに連れて行き、なおかつ入門まで薦めてくれたのです。とは言え、私は今でもダン師父のもとで教えていますけれどもね。

その他にもロンドンでのセミナーに私を同行させてくれたこともありました。「バートンも一緒に来られるかな?」と言うので「もちろん、行きます」と乗ったのです。でも後になって私の渡航費などを自分のポケットマネーで出してくれていたことが分かりました。そこまでしてイギリスの人たちに私のことを紹介したかったのです。これがダン・イノサントという人です。

光岡 そう言うスタンスで弟子との関係を築いて行く指導者は武術界でも珍しいですね。武術界広しと言えども本当にバートンとイノサント師父の師弟関係は本当に希少で素晴らしい!
普通、先生は弟子を囲ってしまうか、仮に口先では“他のことも色々やりなさい、他の先生にも習いなさい”と言っても本心で認めきれてない先生が少なくありません。
また、先生の流派の理念と異なることをしていると、それがどれだけ有効な技で良い稽古方法でも先生や他の御弟子さんから白い目で見られることも少なくないかと思います。
たしかに稽古場でのマナーとかも大切ですが、まず武術家として考えた場合に初歩の初歩にくる一歩目の“できる”、“できない”が職人的な技術者として問われます。そのイノサント師父の武術への向き合い方、師、弟子との距離の取り方は学ぶべき所が多々あります。

バートン もう一つ、ダン師父にまつわるストーリーがあります。
ブルース・リーのお弟子さんに、ラリー・ハートソールという人物がいました。彼はダン・イノサントと同期で、とても仲の良い友達です。彼はブルース・リーが亡くなった後、40~50代くらい時期にロサンジェルスに引っ越してきました。当時、彼は金銭的にとても困っていたのですが、ダン師父は、「オーストラリアのグループが、私だけじゃなくてラリーにも来て欲しいと言ってるんだ」と、オーストラリアの各地で招かれていた自分のセミナーにラリー・ハートソールも呼んだのです。結局、ラリーとの合同セミナーになったのですが、ダン・イノサントの収益はゼロです。ラリーの飛行機代などを全て出していたからです。ラリー・ハートソールは最期までこのことを知ることなく亡くなりました。
こうした訳で、ダン先生は今でも貧乏なんです。本当のマスターですね。
彼が人に「ああしろ、こうしろ」と命令するところを目にしたことがありません。でも、おそらく彼は自分の生き方そのものを見せることで、私たちに何か教えてくれているのです。死ぬ瞬間に「いい人生だった。多くの人のためになったかも知れない」と感じられることこそが、武術家として何よりも大切なことなのだと。

光岡 本当に人間的にも、武術家としても素晴らしい人格者ですね。

 

「JKDアンリミッテッド」のコンセプトは“ムゲン(無限)”

コ2 JKDアンリミテッドはいつから始まったんですか。

バートン 1992年です。

コ2 バートン先生はジークンドーをメインに教えられているのですか?

バートン 哲学はすべてジークンドーを元にしています。常に自分が進歩するのです。自分のやっていることは必ず有効でなくてはいけません。使えなければ仕方がないです(笑)。そして何よりも人間的に優れていないといけないと思います。その上で、技術的な部分をフィリピン武術やタイボクシング、柔術、柔道などから大いに学びます。フィリピン武術の哲学や思想を取り入れることで、ジークンドーそのものの理解が深まったり、視野が広がったりします。
ジークンドーという名前や流派にとらわれることよりも、一個人として、より良い武術家になることがテーマなのです。

コ2 そうした意味が、バートン先生の創始した「JKDアンリミテッド」の名前に込められているのでしょうか。

バートン イエス。ジークンドーでも色々な人がいて、ブルース・リーが行ったことだけがジークンドーと言う人もいます。でもブルース・リーの格言にこうあります。

制限、制約がないということが、唯一の制約である」と。

私のことをあまりよく思っていないある人が、ダン師父に「バートンは新しく“JKDアンリミテッド”という流派を立ち上げたそうですが、どう思われますか?」と尋ねたそうです。するとダン師父は「まさにその通りなんだよ!私が言いたいことはそういうことなんだ、アンリミテッドなんだよ、ジークンドーは!!」と答えました。ジークンドーには制限がないんです。「ムゲン(無限)」なのです。

コ2 今はダン・イノサントの元から独立して団体を主催されているんですか。

バートン 自分独自のスクールを持っていますが、常にダン・イノサントを支えていきます。私は今、JKDアンリミテッドの考え方に基づいて、インストラクター育成コースも行っています。すぐ指導者になれるわけではなく、長年私と一緒に練習を積んだ上で、インストラクター資格を取得してもらっています。

コ2 ジークンドーというと、トラッピングやビルジーといったテクニックが象徴的だと思うのですが、今回のセミナーでは行われていませんね。何か理由があるのでしょうか?

バートン それらはジークンドー全体の中では、ごく一部分にすぎません。その部分だけ取り出して教える人も多いので、それがジークンドーの専売特許みたいになってますけれどもね。また今回は時間もなかったので、また来日する機会があれば教えるかも知れません。

光岡 それはそれで楽しみですね。ジークンドー創始者のブルース・リーが御自身の武術経験でベースに詠春拳(えいしゅんけん)を学習していたので、詠春拳の専売特許であるパックサオ(拍手、トラッピング)やビルジー(標指、Darting finger)をブルース・リー初期の御弟子さんたちはジュン・ファン・グンフーの基本として練習していたようです。そのせいか一部のJKDの学習者の中ではそれに拘る方もいるようですし、それも個人の経験から見ると仕方がないことなのかも知れません。
しかし、だからこそブルース・リーは個人の経験と同じくらい他人の経験からなるコンセプトを大切にし、自分の経験から語りながらも更なる経験を積むことを拒否しないようJKDをコンセプト・ベースの体系にしたのではないかと思います。
武術の世界においては永遠のテーマではありますが、人間ならではの学習方法として自身の経験から学びながらもコンセプト(理念、発想、概念)を用いて何かを習得することもできる訳です。

コ2 ハワイの教室ではトラッピングなどを練習しているのでしょうか。

バートン 実はトラッピングやビルジーは、アドバンスの生徒にしか教えていません。実際にそうしたテクニックを使うは、実戦経験に近いことを積んでおく必要があるためです。ですからまずはもう少し分かりやすいところから入って、レベルが上がってくるのに合わせて、少しずつ細かい技に移行しています。
例えば今日はフェイキングとキックを練習しましたが実はここでもトラッピングを使っています。相手の手をトラップ(制して)して急所を打っています。でもそれをいきなりスパーリングの中でやるのはとても難しいです。

JKDの代名詞とも言える鋭いストレートリード を見せるバートン先生

 

コ2 そうした発想になったのは、先生がキックボクシングや柔術などの競技的な武術・武道・格闘技の世界を経験されたことの影響もあるのでしょうか?

バートン イエス。”協力的“な人とのトレーニングでは、相手は先生を良く見せることや、相手の技が掛かるように攻撃することが主な仕事になります。でも本当は自分のウィークポイントを練習の時に見つけ、何を補充すればよいのか学習しなくてはいけません。
ブルース・リーは常にスパーリングをしていましたが、現在のJKDの多くではスパーリングで実際に使えるかどうかをあまり試さなくなってしまいました。ですが私の先生としての仕事は、万が一私の生徒が予想外の状況に遭遇した時に、切り抜けられるかどうかが重点なのです。

コ2 だからこそ「アンリミテッド」なわけですね。

バートン イエス。

光岡 たしかに、練習において“協力的”な相手に慣れ過ぎて、相手に期待しだすと武術としての稽古は成立しなくなります。型なり、スパーリングのルールなり、何らかの規範の中で稽古を進めて行くにせよ、それは互いに稽古を進めて行く上で守ろうと決めた練習方法としての制約があるだけで、その中で自分の技量を深めるべく個々のテーマに従って稽古を進めて行く必要があります。バートンが言うように自身を掘り下げて探究することに終わりはありません。

しかし、その考え方は「相手の協力がないと成立しない技術や攻防の練習」とは異なります。武術的な実践性を無視した“協力的な”稽古ばかりをしていると、どこか心の奥底で“相手に協力的であって欲しい”といった期待感を攻防時に持つようになったり “協力してくれなかったらどうしよう”と言った不安を逆に稽古で生み出してしまいます。

また、武道の稽古で“受け”や“取り”の関係が有り過ぎるとプロレス的に見せるパフォーマンスになります。プロレスはエンターテイメントなので命がけでそうしたことを行わないとといけませんが、武術・武道の練習や稽古がそうなってしまうと問題があります。
可能性がアンリミテッドにある想定外の事態に対して応じれるだけの稽古を“如何に普段からして行くのか?” このテーマから脱線しないよう練習することは武術・武道の稽古における課題かと思います。

─そこが指導する側にとっても難しいところでしょうね。バートン先生のクラスでは、ブラジリアン柔術などを教えやすい例えとして使われているのが大変印象に残っています。

バートン ありがとうございます。ブラジリアン柔術は技術体系が分かりやすく、一つ一つの技を習得できるように体系が組まれてます。ブラジリアン柔術などグラップリング系の武術・武道は組み付いた時のリアリティーがそこ感じられるので初心者は分かりやすく、初心者から技やポジションを一つ一つ覚えることができます。

一緒の来日した愛娘のタリーナちゃんと柔術のムーヴを見せるバートン先生。

 

なにかを誰かから学ぶ時、例えばある先生が自分がいかにすごいかを見せつけたとします。もちろんそういう欲求が生じるのは自然なことです。生徒も「すごいな、これ」って思いながらも、何一つ覚えていないということがあるでしょう。私の場合は、参加した人に何かを覚えて帰ってもらいたいのです。
これに関してあるとても有名な先生がこんなことを言っていました。「自分の生徒が絶対に上達しないよう学習しない教授方法が2つある。それは“何も見せない”方法と“全部見せてしまう”方法だ」と(笑)。

コ2 それはありがちですね(笑)。

光岡 たしかに、その教え方は生徒が伸びないよう潰してしまうには有効な方法ですが、生徒を伸ばす指導方法としては成り立ちませんね(笑)。
先生側も悪気なく沢山のことを教えてしまうこともありますが、この場合は習う側が翻弄され過ぎて整理がつかなくなります。それなら、まだ何も見せない方が結果とし親切かも知れません。少なくとも何も見せないと自分から探究する気持ちを持ち始めるかも知れませんし、情報過多に翻弄はされることはありません。
まあ、何れにせよ先生側が気を付けないと簡単に習いに来る人を潰してしまえます。いざという時に備えるべく武術・武道の稽古を始めたのに、稽古や練習を始めて更にどうしていいか分からなくなってしまったら本末転倒です。その上、先生もどう伝えていいか分からなくなると習う側は本当に大変なことになるかと思います。

バートン また、それを善意からみんなにあれもこれもと全部見せてくれる先生もいます。でも先生は「何でできないんだろう」と悩む、全部見せているのに。生徒たちは「セミナーで何を習ったの?」と聞かれても「すごかったけど、なにも覚えてない」となってしまうのです(笑)。

光岡師範とバートン先生。武縁がつなぐ深い信頼関係のうえに、今回の来日セミナーが実現した。

 

光岡 そこは本当に指導する側が気を付けないといけないところですね。何かを講習で習いに行ったけど「すごい人に凄いことを沢山見せてもらったよ」で終わり「で、なに習ったの?どんなことしたの?」と訊ねられても「何か凄いことを沢山見せてもらったけど、何を習ったのか覚えてないし、何をどの様に練習していいかは分からないけど…凄かったよ!」といった受講者の声は日本、アメリカを問わず武術・武道のワークショップでは少なくありません。
この辺りのことも、これから武術・武道の世界で改善していきたいところではあります。そういったこともありバートン先生を日本へ御招きした訳です。

(第四回 了)

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–Profile–

バートン・リチャードソン(Burton Richardson
ハワイ在住の武術家、JKD(ジークンドー)と東南アジア武術の第一人者。
ブルース・リーのジークンドー・コンセプト、ジュン・ファン・グンフーとフィリピン武術 カリを継承し伝えるグル(導師)ダン・イノサントやラリー・ハートソールからJKD・インストラクターの認可を得る。
フィリピン武術に関してはアメリカ、フィリピン在住の多くのマスターやグランドマスターと交流し学ぶ。その多くは今となっては殆んど稀である、互いに武器を持っての素面で行う命をかけたデス・マッチやチャレンジ・マッチを生き抜いて来た世代のフィリピンの武術家ばかりであった。
カリ・イラストリシモの今は亡きタタン(フィリピン武術指導者最高の象徴)・アントニオ・イラストリシモから公認の指導者として認められる。
イラストリシモ門下の故マスター・クリステファー・リケットや故マスター・トニー・ディアゴ等と共にイラストリシモの下で稽古に励む。
グランドマスター・ロベルト(ベルト)・ラバニエゴにも師事しエスクリマ・ラバニエゴを習得。
フィリピン武術の世界では有名なドッグ・ブラザーズの立ち上げ当初のオリジナル・メンバーの一人でもあり、ニックネーム“ラッキー・ドッグ” の名前でも知られる。
インドネシア武術ペンチャック・シラットにおいては、今は亡きグル・バサァー(最高導師)ハーマン・スワンダに長年に渡り師事しマンデムダ・ハリマオ流(インドネシアで失伝しそうであった16流派のシラットを受け継いだハーマンがまとめた流派)を修得。
ペンチャック・シラットをペンダクラ・ポール・デトゥアス(最初にペンチャック・シラットをアメリカへ紹介したアメリカにおける第一人者)から習い、シラットにおけるグル(導師)のタイトルを授与される。
他にムエタイ、クラヴ・マガ、南アフリカのズールー族の盾と棍棒、槍の技術等を修得。イスラエル武術 クラブ・マガの指導をニル・ナマンから受け習得する。
イーガン井上からブラジリアン柔術黒帯を授与される。
90年代には総合格闘技UFCのコーチとしても活躍。

Web site:JKD UNLIMITED 

●光岡 英稔(Hidetoshi Mitsuoka
日本韓氏意拳学会会長。日本、海外で多くの武道・武術を学び10年間ハワイで武術指導。現在、日本における韓氏意拳に関わる指導・会運営の一切を任されている。また2012年から「国際武学研究会(I.M.S.R.I.International martial studies research institute)」を発足し、多文化間における伝統武術・武技や伝統武具の用い方などの研究を進めている。著書に『武学探究―その真を求めて』『武学探究 (巻之2) 』(どちらも甲野善紀氏との共著、冬弓舎)、『荒天の武学』(内田樹氏との共著、集英社新書)など。

Web site: 日本韓氏意拳学会
国際武学研究会: bugakutokyo.blogspot.com
twitter:@mclaird44