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数年前から急速に注目を集めた沖縄空手。現在では本土でも沖縄で空手を学んだ先生も数多く活躍すろとともに、そこに学ぶ熱心な生徒も集まり、秘密の空手という捉え方から、徐々に地に足の着いたものへと変わりつつある。ここでは、多年に渡り米国で活躍し、瞬撃手の異名を持つ横山師範に、改めて沖縄空手の基本から学び方をご紹介頂く。
瞬撃手が解く、沖縄空手「基本の解明」
第十一回 「夫婦手」
文●横山和正(沖縄小林流研心国際空手道館長)
夫婦手(めおとて)とは
夫婦手とは沖縄空手独自の名称で、夫婦という表現を用いてお互いを補助し合う概念を用いたもので、左右の双方の手を有効に連結させて行う両手を活用した技法の総称に用いられているものです。
読者の皆さんも、これまでに古典的空手の実用法を解説する文献を通じて、この夫婦手という言葉を目にしたことがあると思います。それ程この手法の名称は幅広く知られているものです。
ところが、その一方でいざその活用法の実態となると、いまひとつ曖昧で「何をもって夫婦手となるのか」、「それが技なのか」、「どの様なものが夫婦手として理解されるべきものなのか」、などその定義が難しいところもある様です。
そこで今回は、沖縄空手に伝わる夫婦手の解説を試みながら、その具体的活用法に迫ってみようと思います。
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–Profile–
●横山和正(Kazumasa Yokoyama)
沖縄小林流空手道研心会館々長。
本名・英信。1958(昭和33)年、神奈川県生まれ。幼少の頃から柔道・剣道・空手道に親しみつつ水泳・体操等のスポーツで活躍する。高校時代にはレスリング部に所属し、柔道・空手道・ボクシング等の活動・稽古を積む。
高校卒業の年、早くから進学が決まったことを利用し、台湾へ空手道の源泉ともいえる中国拳法の修行に出かけ、八歩蟷螂拳の名手・衛笑堂老師、他の指導を受ける。その後、糸東流系の全国大会団体戦で3位、以降も台湾へ数回渡る中で、型と実用性の接点を感じ取り、当時東京では少なかった沖縄小林流の師範を探しあて沖縄首里空手の修行を開始する。帯昇段を機に沖縄へ渡り、かねてから希望していた先生の一人、仲里周五郎師に師事し専門指導を受ける。
沖縄滞在期間に米国人空手家の目に留まり、米国人の招待、および仲里師の薦めもあり1981年にサンフランシスコへと渡る。見知らぬ異国の地で悪戦苦闘しながらも1984年にはテキサス州を中心としたカラテ大会で活躍し”閃光の鷹””見えない手”との異名を取り同州のマーシャルアーツ協会のMVPを受賞する。1988年にテキサス州を拠点として研心国際空手道(沖縄小林流)を発足、以後、米国AAU(Amateur Athletic Union アマチュア運動連合)の空手道ガルフ地区の会長、全米オフィスの技術部に役員の籍を置く。
これまでにも雑誌・DVD・セミナー・ラジオ・TV 等で独自の人生体験と沖縄空手を紹介して今日に至り、その年齢を感じさせない身体のキレは瞬撃手と呼ばれている。近年、沖縄の空手道=首里手が広く日本国内に紹介され様々な技法や身体操作が紹介される一方で、今一度沖縄空手の源泉的実体を掘り下げ、より現実的にその優秀性を解明していくことを説く。 すべては基本の中から生まれ応用に行き着くものでなくてはならない。 本来の空手のあり方は基本→型→応用すべてが深い繋がりのあるものなのだ。 そうした見解から沖縄空手に伝えられる基本を説いていこうと試みる。
平成30年5月26日、尿管癌により逝去。享年60。
書籍『瞬撃手・横山和正の空手の原理原則』(BABジャパン) ビデオ「沖縄小林流空手道 夫婦手を使う」・「沖縄小林流空手 ナイファンチをつかう」・「沖縄小林流空手道 ピンアン実戦型をつかう」「沖縄小林流の強さ【瞬撃の空手】」(BABジャパン)