対談 横山和正×小野美由紀 沖縄空手を巡る対話 05

| 横山和正、小野美由紀

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本サイトで「沖縄空手の基本」を連載されている横山和正師範と、この連載を読んだのを切っ掛けに沖縄空手に入門した作家・小野美由紀さんの異色の対談を、数回に渡ってお届けします。

五回目の今回は、信じていたものが変わる瞬間のお話しです。

対談/横山和正(空手家)×小野美由紀(作家)

第五回  なにも分からないまま動く

語り横山和正、小野美由紀
構成コ2【kotsu】編集部

 

突きに光が通った

小野 私は本業が作家なので一日中ものを書いているのですけれども、空手を始める前に比べて「なにも分からない状態で、物事をゼロから始める」ということ自体に慣れた気がします。本を一冊書くってすでにフォーマット化されてるんですよね。最初から何ページ目でこういうことがあって、こういう軸があって、こういうテーマで、このくらいの刷り部数で、こうなったらいいね、と最初に編集者さんが言ってきたりするのです。それが当たり前だと思って書いてきたんですけれども、それがすごく苦しくて。

これまで3冊出しているんですけれども、枠にはめられた中で出しているという苦しさがずっととれなくて、でも空手を始めてからは、そういう外側だけを整えたり、はじめから定められた正解に向かっていったりするのではなく、何も分からない中でも、それが良いと言われるか悪いと言われるか分からなくても、とりあえず出すという方法もあるんだな、ということに気付かされまして。それが一番空手をやって大きかった効能なんですね。なので、先生がいまおっしゃったことって自分の体験に近いなと思いながら聞いてました。

横山 そうだと思いますよね。やっぱり第3者の目というのはすごく気になりますし、自分も気にするところがありますから。でもそういうのって時間が経つと変わるじゃないですか。今まで信じていたことが大きく変わるということが。私はそれを空手で体験しちゃったんですよね。当たり前だと言われていたことが、実はそうじゃなかった。

小野 それは具体的な経験として?

横山 まず型に対する考え方が全く違っていた。それと「こうするべき」と教えられたものと全く違う方法で、自分は今の空手を覚えてしまった。昔はひとつひとつの動き細かくきっちり作っていたのですけれども、沖縄に行ったら全然違う。正直、沖縄の空手を見て「すっごい雑だな」って思ったんですよ。なんでこんなに雑なんだろう?って。でもそれこそが空手を身につける本質だったというね。

小野 ああ……。


横山 自分は何かを習う時はそれまでに習ったことや経験を一切捨ててしまうんです。なまじっか「おれは他の流派で黒帯だった」とか引きずってるとそれで自分を止めてしまうから。本当にとにかく言われるまま120%、向こうが思う以上にやってやろうという気分だったので。だからもう形なんて関係ない。今までの考えとか知っていたこと、型の動きなんかも全部取っ払って、感覚で身につけるしかないと思ってやってました。

練習は厳しかったですよ。型の練習ってこんなに苦しかったのか、と思いましたね。そうやって始めたんですけど、ある時突然、パッとそういう感覚が自分の身体に宿って。これが自分の追い求めていたものか、と思ったんですよね。そういう風になったのが沖縄での訓練を初めて2週間ほど。だから意外と短かったんですよ。

小野 そうなんですか。

横山 それまでは身体も痛くて。噛み締めすぎて歯が一本抜けたくらい。そのくらい無理してやって、2週間してたら突然ポーンとやって来た。「あれ、この感覚いままでなかったな」と。で、極端な言い方をすると突きでも蹴りでも光が通っているような感じがするんですよ。スパーンと。「これってすごいな」と他人事のように感じながら思ったんですよね。「武道って身につけるのにそれほど時間は要らないんじゃないかな」って。

よく武道って身につけるまで長い時間がかかると言うじゃないですか。確かにそれってどの程度、沖縄での教えによるものなのか分かりません。十数年のキャリアが関係してたのかも知れませんから。

でも思ったのは、武道の訓練が身体に宿るにはそれほど長い時間が必要なわけではない、ということ。それと、正しい練習方法をある程度知っている人でなければ、そこに導くことはできないという感覚。知らない人が知らない人に説明しても分からないですから。

そういう意味で空手の練習が一般的な空手とは違ってきちゃった。すると色々な流派の空手がそれぞれが主張していることも、「あれも違うな」「これも違うな」と、思えるようになってくるんです。でも日本では、そういう新しい題材がマスコミなどで持ち上げられているんですよね。

一時期、アメリカで大会に出てた頃があるんですけれども、その時も専門誌でアメリカンカラテを紹介する取材で使われまして。アメリカンカラテの一種という扱いだったんです。自分は沖縄空手を紹介するつもりでも、取材者側から「アメリカンカラテをお願いします」と頼まれたりして。そうやってみんながレッテルを貼っていくことで誤解されていってしまう。アメリカンカラテといっても一部のスタイルを除いては単に色々な空手の流派が集まる大会でしかないんですよね。でもやっぱりそういうのに興味がもたれる時代だったんですよね。だから出版業界の人もそこに集まっていくる。

そうやって色々な空手が生まれて紹介されたんですけれども、結局どれも一過性のブームの範疇でしかないんですよ。そしてみんな一部分ではあるけれども、全体を総合するものではない。

1980年代後半頃だったんですけれども、そう考えるようになったら冷静になってしまって。世の中に出ている情報には、作られた情報が多いし、見ている人たちはそれが分からない。だから価値観とかもあてにならない。今、正しいとされていることが2年後にはどうなってるかわからないし、今流行っているものが来年流行っているとも限らない。空手をやったり映画をやったり、テレビに出たりしても、流れというのはどんどん変わってますから。結局、プロデューサーでも誰も分かってないんですよね。何がうけるか。周りがやってるから安全なんじゃないの? くらいのもので。

だから今回の帰国で映画関係の人とも話したのですけれども、みんな模索状態です。でも本当に好きな人たちは、「いまこれが流行ってるから、自分たちもこの路線で行こう」とは考えません。ただ自分たちが本当に作りたいものを作ろうとしています。そういう人たちがパイオニアになって行くんじゃないですかね。

小野 何がうけるかみんな分からない、というのはちょっとおもしろいですね。

横山 それが分かっちゃったら、歌手でもなんでもみんなヒットしちゃうじゃないですか(笑)。

小野 そうですね。

横山 ネットで見た話ですが、近藤真彦が歌を書いてほしいと矢沢永吉に頼んだそうです。すると矢沢は「君はとても良いから、最高の歌を書きたい。でも最高の歌を書いたら、自分で歌いたくなっちゃうだろ」といって断ったらしいんです。矢沢永吉はそのくらい一生懸命やっているわけですよね。自分もそう。自分がいいと思うものをただ一生懸命やっていく。ただ空手の場合は流行を追っているわけではないですから。流行を追えば流行が落ちた時に一緒に落ちちゃう。でも空手の本当の大事な部分は時代がいくら変わっても、絶対に変わらないものですから。

自分の場合はどう評価されても、ずっとこれをやっていく。でもそういう一つの幹があるからこそ、色んな枝が生えてくるわけじゃないですか。本体がしっかりしていれば、切っても切っても枝葉はいくらでも出てくるわけです。だから自分としてはどんな時代でもニーズに合ったものを提供できるという自信があるし、それも自分の訓練の一つだと思ってやっています。どんな枝が注目される時でも、いつでもその枝を生やせる幹を持つというか。

生涯のうち、短期間だけ注目されるために空手をやっているわけではありません。生涯の武道ということは、ずっと現役であるということじゃないですか。それには常に、新たな力も生んでいかないといけませんから。幹がしっかりしていればいくらでも新しい枝を生やせますし、枝が古くなれば伐ればいい。伐ったらまた新しい枝が生えてきますから。

でもみんなは、なにが良くてなにが良くないのかも分からないという葛藤の中で生きていると思うんですよね。空手にしても幹がなければ、ルールや言っていることががちょこちょこ変わったりしてしまう。

小野 それは文筆の仕事も一緒ですね。「自分が何を作りたいのか」がなくて、枝葉の部分だけあっても仕方ない


横山 ヨーロッパのセミナーなどで良く言うんですよ。「自分には空手を教えるという気持ちで来ているのではない」って。なぜなら空手は誰にでもできるから。「私はその手助けをするだけ」みんな体つきも経験も違いますから、全員に同じものを当てはめようとしてもダメなんですよね。

だけど空手には訓練の道具として型があります道具を使って訓練して、それをどう開花させるかは個人の問題ですから。その人の熟練度にもよりますし。自分を型で磨いたら、今度は自分でデザインしないといけない。それが自分のものにするってことですから。その時に自分たちの感性があったりとか。それらを刺激し、影響を与えて行くのが私の指導です。

(第五回 了)

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–Profile–

横山和正(Kazumasa Yokoyama
本名・英信。昭和33年、神奈川県出身。幼少の頃から柔道・剣道・空手道に親しみつつ水泳・体操 等のスポーツで活躍する。高校時代にはレスリング部に所属し、柔道・空手道・ボクシングなどの活動・稽古を積む。

高校卒業の年、早くから進学が決まった事を利用し、台湾へ空手道の源泉ともいえる中国拳法の修行に出かけ、八歩蟷螂拳の名手・衛笑堂老師、他の指導を受ける。その後、糸東流系の全国大会団体戦で3位、以降も台湾への数回渡る中で、型と実用性の接点を感じ取り、東京にて当時はめずらし沖縄小林流の師範を探しあて沖縄首里空手の修行を開始する。帯昇段を期に沖縄へ渡り、かねてから希望していた先生の一人、仲里周五郎師に師事し専門指導を受ける。

沖縄滞在期間に米国人空手家の目に留まり、米国人の招待、及び仲里師の薦めもあり1981年にサンフランシスコへと渡る。見知らぬ異国の地で悪戦苦闘しながらも1984年にはテキサス州を中心としたカラテ大会で活躍し”閃光の鷹””見えない手”と異名を取り同州のマーシャルアーツ協会のMVPを受賞する。
1988年にテキサス州を拠点として研心国際空手道(沖縄小林流)を発足する。以後、米国AAUの空手道ガルフ地区の会長、全米オフィースの技術部に役員に籍を置く。
これまでにも雑誌・DVD・セミナー・ラジオ・TV 等で独自の人生体験と古典空手同理論他を紹介して今日に至り。その年齢を感じさせない身体のキレは瞬撃手と呼ばれている。近年、沖縄の空手道=首里手が広く日本国内に紹介され様々な技法や身体操作が紹介される一方で、今一度沖縄空手の源泉的実体を掘り下げ、より現実的にその優秀性を解明して行く事を説く。

全ては基本の中から生まれ応用に行き着くものでなくてはならない。
本来の空手のあり方は基本→型→応用全てが深い繋がりのあるものなのだ。
そうした見解から沖縄空手に伝えられる基本を説いて行こうと試みる。

書籍『瞬撃手・横山和正の空手の原理原則』

ビデオ「沖縄小林流空手道 夫婦手を使う」・「沖縄小林流空手 ナイファンチをつかう」

web site 「研心会館 沖縄小林流空手道
blog「瞬撃手 横山和正のオフィシャルブログ

 

小野 美由紀(Miyuki Ono
文筆家。1985年生まれ。慶応義塾大学フランス文学専攻卒。恋愛や対人関係、家族についてのブログやコラムが人気。デビュー作エッセイ集「傷口から人生。〜メンヘラが就活して失敗したら生きるのが面白くなった」(幻冬舎)を発売。著作に、自身のスペイン巡礼の旅を記した『人生に疲れたらスペイン巡礼~飲み、食べ、歩く800キロの旅~』(光文社新書)、原子力エネルギーの歴史について描いた絵本「ひかりのりゅう」(絵本塾出版)がある。

Twitter:@MiUKi_None
ブログ:http://onomiyuki.com/