対談 藤田一照×伊東昌美 『生きる稽古 死ぬ稽古』出版記念イベント06

| 藤田一照、伊東昌美

2017年8月17日(木)、新刊『生きる稽古 死ぬ稽古』発刊記念イベントが東京・八重洲ブックセンターにて開催されました。こちらでは著者である藤田一照先生と伊東昌美さんが、【生と死の不思議を笑って語ろう】というテーマで、本書のできた成り立ちと、そのなかで見えてきた遠くて近い生と死とどう向かい合えば良いのかについてお話しいただきました。

コ2では、当日の模様を連載でお届けします。また本でも使われている、3年弱の取材の間に撮影された茅山荘でのお写真も紹介していく予定ですのでお楽しみに。

 

『生きる稽古 死ぬ稽古』(日貿出版社)出版記念

対談/藤田一照×伊東昌美
【生と死の不思議を笑って語ろう】

第6回 生き物は常にリニューアルしている

語り藤田一照、伊東昌美
構成コ2編集部
協力八重洲ブックセンター

 

藤田先生、テラちゃん

 

「おい、テラ、おまえ出てるぞ」(藤田)

司会 いまお話を伺いながら思いだしたのですが、タイトルにある生死という漢字は初めて三人で打ち合わせをしたときに出ていました。確か一照さんがお帰りになった後、残って私と伊東さんが打ち合わせをしていた時に、「タイトルはこの漢字を作ってもいいですね」と。

藤田 そうだったんですか。

司会 そういう意味では最初から縁があって、収まるべきところに収まった感じで不思議です。

藤田 この漢字をでかい文字にしてタイトルにどーんと使っていただいたのもそうだし、『生きる稽古 死ぬ稽古』っていうのもあんまり耳慣れないないタイトルだと思うし、帯もにA案、B案をアンケートで決めたりと色々斬新な試みがありましたね。

結果、白で何か“あっけらかん”としてるデザインに決まって、僕としてはいろんな願いがうまく結晶化してこういうカバーになってるなと、今日初めて実物見て思いました。とてもうれしいです。同じ葉山に住む、何度か一緒にお仕事をしてきた渡部さんのデザインだというのも縁を感じますね。

生きる稽古死ぬ稽古

 

伊東 素晴らしいです、このデザイン。

藤田 それと、さっき開けて驚いたんですけど、ここ(扉)の「赤いセロファンを外してみれば」って、これだけだと、みんな意味分からないと思いますよね。

司会 そうですね(笑)。これは実は入稿直前に私が思い付きまして、意味は読んでいただけると意味が分かるというものです。実は赤地に白文字で、さらに紙が薄いので印刷屋さんを泣かせて作ってもらいました。

藤田 僕もうっかりしてたら、この意味深なセロファンを見逃してたと思います。

司会 そこは、もう「気がついた人だけでいいかな?」と思って(笑)。本当に最後の最後に思い付いてやったものだったので、出来上がるまで心配でした。

藤田 詳しくはこの本文を見てくれれば、この「セロファン」というのが何を意味してるかはお分かりになるので、今はネタバレにならないように全部は言わないですけど。

聖書にも「目の梁木(うつばり)を取れ」っていうように言っていて、梁木というのは建物の梁(はり)で、目にとげが刺さっているみたいないイメージですね。そんな状態で世界を見てて、ああだこうだ言ってるわけですけど、「まず目の梁木を取れ」とイエスさまは言っている

この本の中ではそれを“セロファン”と言っていて、「眼鏡に赤いセロハンが被さった状態で見ているのではないか」という文脈から出てきた言葉です。本当に赤いセロファンを入れて眼鏡に貼るようにしても面白かったね。

司会 重版ありましたら検討します(笑)。

生きる稽古死ぬ稽古
『生きる稽古 死ぬ稽古』の扉。言葉の意味は読んで見てのお楽しみです。

 

藤田 あと、本作りの上でのそういう仕掛けのことで言えば、写真がずいぶん多いですね。うちの猫ちゃんをいっぱい出してくれてて。

伊東 かわいい、テラちゃん。

藤田 テラちゃんっていうんですけど。本の中の僕のプロフィールにも「写真に登場する猫は愛猫テラ」って書いてくれてます。愛猫っていう言葉が面白いですね。テラちゃん、実際二人が話してるときに「うちの父ちゃん何してるのかな?」みたいな感じでひょろっと乱入してきたりしましたね。

(司会の)下村さんは猫の本(『ご長寿猫に聞いたこと』ちなみにカバーの猫は伊東さんの愛猫・ちたまちゃんです)を作っているぐらい猫好きな方で、Facebookでもご自分の愛猫チョークディのことばっかり書いてます。

司会 猫ありきで生きてます。

藤田 そういう猫好きのせいなのか、本の中でもテラを妙にうまく使っていただいていて、後でテラにも見せて「おい、テラ、おまえ出てるぞ」と伝えたいと思います。悦ぶんじゃないかな。

そんなところを含めて、この本のつくり、本当にありがたくて。その時の雰囲気もよく分かるし、中身もなんとなく、ストレートじゃないんだけど、微妙な感じで臨場感をうまく反映しているような出来になっています

 

「(坐禅は)何回ぐらいやれば楽しめますか?」(伊東)
「そんなん知らないですよ(笑)」(藤田)

司会 今回のお話しは全部茅山荘で収録しているのですが、やっぱりあの空間の素晴らしさが色々なことを作ってくれたのだと思います。この企画は始まりから3年くらい掛かっていて、伊東さんとスタッフは4回ぐらい伺っていて。

伊東 そうですね。

司会 夏、冬、春、夏でしょうか、蝉時雨を聞きながら、段々日が沈んでくる中や、ストーブの上に置かれた薬缶が鈍く光っている冬の日、時々顔を出してくれるテラちゃんとあの雰囲気が作ってくれた本のように思います。

藤田先生、伊東さん

 

伊東 茅山荘で行っている坐禅会はどなたでも参加できるんですか。

藤田 はい、参加できますよ。茅山荘自体は僕の友人が所有してるもので、僕は管理人としてそこに住み込んでるわけなんです。坐禅会の方はやる気のない人は要りません。やる気っていっても何をやるのかよく分かんないんですが(笑)。

伊東 どうすれば参加できるのですか?

藤田 僕の公式ホームページに問い合わせのメールアドレスがあるので、「坐禅会にぜひ参加したいのでスケジュール教えてください」って言ってくれれば日程をお伝えします。ただそんなに大きなところじゃないのと、ずっと来てくれている常連の方もおられるので、そういう方たちが入れなくなると困ることもあって、ホームページにも「何日にやる」っていうことは書いていないんです。僕に個人的にメールをくれた方にお返事を出すようにしています。

あと、いまお手元に配られてると思いますけど、“磨塼寺”っていうオンライン禅コミュニティっていうのがあって、僕もどうなるか分からないけど、今年の5月にオンライン上のお寺の住職になってしまいました磨塼寺 MASENJI online zen community)。今、手探りで進めてるところなんですけど、バーチャルな世界でのコネクションをうまく利用して、坐禅を中心にした禅を一緒に学びつつ、リアルな世界でも時々会って、一緒に坐禅するような新しい形の学びの場を提供しています。

その他にも、僕の公式ホームページを見れば、朝日カルチャーセンターや、毎月1回やっている仏教塾の情報などいろいろな活動の情報がわかります。仏教塾は年齢制限付きの仏教の学びを1日かけてやるっていう会です。縁の向くまま、気の向くまま、そういう色んな活動をやってます。

伊東 本当に色々されてますね。

藤田 これも別に僕が始めたんじゃなくて、「やりましょうよ」っていう、何か外圧に屈して始めたことばかりなんですよ(笑)。ただ一旦始めると僕も「面白いな」と思って全力投球はしているんですけど。そういう形で僕と一緒に体を通して探求していくような機会は幾つかありますということですね。

伊東 やったことない方は一回やってみると面白いと思います。坐るっていうことを。

藤田 一回だけじゃ分かんないです。

伊東 じゃあ何回か。何回ぐらいやれば楽しめますか?

藤田 そんなん知らないですよ(笑)。やらなくても分かってる人もいるかもしれないし。別に決まったカリキュラムがあるわけじゃないので。

伊東 こういう答えが返ってきます(笑)。

藤田 そうですね。禅っていうのは何かプログラム化を拒むところがあるんですよ。こうしたらこうなるという考え方を嫌う。大体、僕らは、何かを質問したり何かに取り組むにしても、あらかじめ「大体こんな感じだろうという予想」があるでしょう。

だけど、「予想通りのことが起こりそうだな」っていうことを体が感じると飽きて寝てしまうんですね。「別に聞く必要がない」と。さっきの既知ってやつですね。だけど、「次に何が出るか分かんないぞ」ってなると、襟を正すっていうか、体が本能的に目覚めて未知なものに対して油断なく待つというものが出てくる。多分、生物本能としてあるんじゃないですか。

禅はそういうところがあるわけですよ。決まった答えを期待しているような態度で弟子が問うと、全く期待とは違う答えをするのが禅の伝統で、それを第三者が外から見ていたら全く会話になっていないように見えるんですけど、当人は、自分の内部、特に息遣いやその時の天候まで含めて状況に巻き込まれた形で、2人が真剣にやりとりしてるところは「何か予想外のことが起こる」可能性が高いんですよ。

だから、僕もそういうつもりでやってます。なるべく予想を裏切りたい、「えっ?」って思ってもらいたい。「えっ?」と思ったところから始まるような何かそういう場を提供したいなと思ってますけどね。これを読まれるともっとハードル高くなるかもしれないですよね(笑)。

伊東 そうですね。

藤田 どこか本に書いてあることを計画的にやってるみたいに思われたら困りますから。そのつど、いつでもなにか新しいこと考えついていきたいと思っていますから、僕にとっては本を出すっていうことは、ネタをばらすみたいなことになるので、自分でますますハードルを高くしているようなものです。自分で自分の首絞めてるような気もします(笑)。だけど、そういう風に自分を追い込んで、嫌でもどんどんリニューアルしていくっていうか、新しい形を生み出していきたいとも思っています。

 

やっぱり、そういうのが生き物なんじゃないかな。生き物って常にリニューアルして、変化している。だからこういう所で話すにしても、ワークショップしても、ただパッケージ的な出来合いの禅を説明するのじゃなくて、禅を生み出している形のないものを新しい形で出してみたいっていう思いはありますね。だから、あんまり打ち合わせとかをしない。

伊東 今回もノープランですよね。

藤田 1時間前に集まったけれど、結局打ち合わせらしいことは何にもやらないで、四方山話をしてましたね(笑)。「最初に出来た経緯ぐらいから始めましょうか」っていうだけで。こういうぶっつけ本番的なやり方は外れたら悲惨なことになるけど、僕って「それだけのもんだった」ということで、反省はするけど、結果は受け入れるしかないのかなっていう感じでやっています

(第六回 了)

生きる稽古死ぬ稽古

 

新刊情報『生きる稽古 死ぬ稽古』(藤田一照・伊東昌美著)

「絶対に分からない“死”を語ることは、 同じく不思議な、“生”を語ることでした」

私たちはいつか死ぬことをわかって今を生きています。

でも、普段から自分が死ぬことを考えて生きている方は少ないでしょう。

“あらためて、死ぬってどういうことなんだろう?”

この本は、そんな素朴な疑問をエンディングノートプランナーでイラストレーターをされている伊東昌美さんが、禅僧・藤田一照先生に伺う対話となっています。

人生の旅の果てに待っているイメージの死。

ですが藤田先生は、

「生と死は紙の裏表みたいなもの」で、

「生の中にすでに死は忍び込んでいる」と仰います。

そんな身近な死を語るお二人は、不思議なほど“愉しい”様子でした。

それは、得体の知れない死を語ることが、

“今この瞬間を生きている奇跡”を感じるからだったのかもしれません。

そう、死を語ることは生を語ることであったのです。

“どうして私は生きているのだろう?”

一度でもそんなことを考えたことがある方へお薦めします。

 

単行本(ソフトカバー): 255ページ
出版社: 株式会社 日貿出版社
ISBN-13:978-4817082398
発売日: 2017/8/22

全国書店、アマゾンで好評発売中です。

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–Profile–

藤田一照Issho Fujita)写真右
1954年、愛媛県生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程中退。曹洞宗紫竹林安泰寺で得度し、1987年からアメリカ・マサチューセッツ州のヴァレー禅堂住持を務め、そのかたわら近隣の大学や瞑想センターで禅の指導を行う。現在、曹洞宗国際センター所長。著書に『現代座禅講義』(佼成出版社)、『アップデートする仏教』(山下良道との共著、幻冬舎)、訳書にティク・ナット・ハン『禅への鍵』(春秋社)、鈴木俊隆『禅マインド ビギナーズ・マインド2』(サンガ)など多数。

Web site​ 藤田一照公式サイト

オンライン禅コミュニティ磨塼寺

 

伊東昌美Masami Itou)写真左
愛知県出身。イラストレーターとして、雑誌や書籍の挿画を描いています。『1日1分であらゆる疲れがとれる耳ひっぱり』(藤本靖・著 飛鳥新社)、『舌を、見る、動かす、食べるで健康になる!』(平地治美・著 日貿出版社)、『システム感情片付け術』(小笠原和葉・著 日貿出版社)と、最近は健康本のイラストを描かせてもらっています。長年続けている太極拳は準師範(日本健康太極拳協会)、健康についてのイラストを描くことは、ライフワークとなりつつあります。自身の作品は『ペソペソ』『おそうじ』『ヒメ』という絵本3冊。いずれもPHP出版。

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