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イラストレーターである伊東昌美さんが、曹洞宗国際センター所長の藤田一照さんのもとを訪ねて、「生と死」「私とは?」など、仏教から観る“生きる智慧”についてじっくりうかがうこの対談。第十回は「今」の捉え方について。輪廻転生はあるか、ないか? という探求から始まったこの対話は、「全き生があって初めて、全き死がある」という生と死の本来のあり方へと、深まっていきます。
対談/藤田一照×伊東昌美 「生きる練習、死ぬ練習」
第十回 「今を生きる」ことはできますか?
語り●藤田一照、伊東昌美
構成●阿久津若菜
一照さん:「一日を十全に生ききったものだけに安らかな眠りが訪れる。「夜、寝られない」という人は、中途半端に生きていて、体が寝る必要を感じないから。今の人たちって、そういう心地よい眠りが訪れる生活スタイルが、なかなか難しくなってきている」
伊東 過去や未来から今を見るのではなく、今に軸足を置くことで初めて「過去から学び、未来に願う」ことができるというお話がありました。でもよくわからないのが、「今」の捉え方です。今という時間は瞬間ですよね。いったい、どこまでが「今」といえるのでしょうか?
藤田 今って捉えられないですよね。
伊東 それは、瞬間だから?
藤田 いや、そういう意味じゃなくて。今って不思議じゃないですか? 昨日も「今」って言ってましたよね。
伊東 言ってました。
藤田 今も「今」って言ってるけど、それならば、さっきの「今」はどこへ行ったのか。
「今」って、「本当の今」と「いつでもある今」とでは、違っていませんか?
伊東 それは内容の濃密さが違うという意味でしょうか?
私は「輪廻転生があるなら、まだ次があるからいいか」と、今の生が薄まってしまうことに関連しているのかなと思ったのですが。
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–Profile–
●藤田一照(Issho Fujita)写真右
1954年、愛媛県生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程中退。曹洞宗紫竹林安泰寺で得度し、1987年からアメリカ・マサチューセッツ州のヴァレー禅堂住持を務め、そのかたわら近隣の大学や瞑想センターで禅の指導を行う。現在、曹洞宗国際センター所長。著書に『現代座禅講義』(佼成出版社)、『アップデートする仏教』(山下良道との共著、幻冬舎)、訳書にティク・ナット・ハン『禅への鍵』(春秋社)、鈴木俊隆『禅マインド ビギナーズ・マインド2』(サンガ)など多数。
Web site 藤田一照公式サイト
オンライン禅コミュニティ磨塼寺