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数年前から急速に注目を集めた沖縄空手。現在では本土でも沖縄で空手を学んだ先生も数多く活躍するとともに、そこに学ぶ熱心な生徒も集まり、秘密の空手という捉え方から、徐々に地に足の着いたものへと変わりつつある。ここでは、多年に渡り米国で活躍し、瞬撃手の異名を持つ横山師範に、改めて沖縄空手の基本から学び方をご紹介頂く。
瞬撃手が解く、沖縄空手「基本の解明」
第九回 「ナイファンチ」
文●横山和正(沖縄小林流研心国際空手道館長)
沖縄空手の重要型
沖縄空手は大きく分けて首里手・那覇手・泊手の三つの異なった流儀からなると伝えられるのは多くの人の知るところです。
そうした三つの流儀はその発生の背景と共に稽古法と動作の特色に違いがみられると言われています。
その違いが最も明瞭なのは中国南派拳法の趣を色濃く残す、重厚で力強い那覇手(剛柔流・上地流)と、同じく中国拳法の影響を受けながらもスピーディーでダイナミックな動作に特色をもつ首里手(泊手を含む)でしょう。
それぞれにその流儀の特色を示す鍛錬型が伝えられており、それが那覇手では三戦であり、首里手のナイファンチ(=ナイハンチ)となっています。
特にナイファンチの型には、かつての沖縄でも実戦派空手家として知られる本部朝基が「ナイファンチしか知らなかった」という伝説が残されているほど重要な型でとして言い伝えられ、その型のなかには、
「首里手における身体操作から技法に至る全ての秘密が秘められている」
と言われることも少なくありません。
そこで今回は、首里手の重要型と伝えられるこのナイファンチの解説をしてみようと思います。
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–Profile–
●横山和正(Kazumasa Yokoyama)
沖縄小林流空手道研心会館々長。
本名・英信。1958(昭和33)年、神奈川県生まれ。幼少の頃から柔道・剣道・空手道に親しみつつ水泳・体操等のスポーツで活躍する。高校時代にはレスリング部に所属し、柔道・空手道・ボクシング等の活動・稽古を積む。
高校卒業の年、早くから進学が決まったことを利用し、台湾へ空手道の源泉ともいえる中国拳法の修行に出かけ、八歩蟷螂拳の名手・衛笑堂老師、他の指導を受ける。その後、糸東流系の全国大会団体戦で3位、以降も台湾へ数回渡る中で、型と実用性の接点を感じ取り、当時東京では少なかった沖縄小林流の師範を探しあて沖縄首里空手の修行を開始する。帯昇段を機に沖縄へ渡り、かねてから希望していた先生の一人、仲里周五郎師に師事し専門指導を受ける。
沖縄滞在期間に米国人空手家の目に留まり、米国人の招待、および仲里師の薦めもあり1981年にサンフランシスコへと渡る。見知らぬ異国の地で悪戦苦闘しながらも1984年にはテキサス州を中心としたカラテ大会で活躍し”閃光の鷹””見えない手”との異名を取り同州のマーシャルアーツ協会のMVPを受賞する。1988年にテキサス州を拠点として研心国際空手道(沖縄小林流)を発足、以後、米国AAU(Amateur Athletic Union アマチュア運動連合)の空手道ガルフ地区の会長、全米オフィスの技術部に役員の籍を置く。
これまでにも雑誌・DVD・セミナー・ラジオ・TV 等で独自の人生体験と沖縄空手を紹介して今日に至り、その年齢を感じさせない身体のキレは瞬撃手と呼ばれている。近年、沖縄の空手道=首里手が広く日本国内に紹介され様々な技法や身体操作が紹介される一方で、今一度沖縄空手の源泉的実体を掘り下げ、より現実的にその優秀性を解明していくことを説く。 すべては基本の中から生まれ応用に行き着くものでなくてはならない。 本来の空手のあり方は基本→型→応用すべてが深い繋がりのあるものなのだ。 そうした見解から沖縄空手に伝えられる基本を説いていこうと試みる。
平成30年5月26日、尿管癌により逝去。享年60。
書籍『瞬撃手・横山和正の空手の原理原則』(BABジャパン) ビデオ「沖縄小林流空手道 夫婦手を使う」・「沖縄小林流空手 ナイファンチをつかう」・「沖縄小林流空手道 ピンアン実戦型をつかう」「沖縄小林流の強さ【瞬撃の空手】」(BABジャパン)