連載 初見良昭「人生、無刀捕」 第一回「弟子力、師匠力」

| 初見良昭

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人生、無刀捕

第一回「弟子力、師匠力」

お答え初見良昭
取材・構成藤田竜太

 

「人生無刀捕」題字・初見良昭先生
題字・初見良昭先生

 

虚実転換、変幻自在、行雲流水、奇想天外、千変万化、円転滑脱……。
 発想法、考え方こそが、最大の武器と言われる武神館の初見良昭先生。そんな初見先生に、人生の切所を切る抜けるための、さまざまな知恵を授けていただくというのが、本連載の狙い。
 ときに脱線、煙に巻かれたり、はぐらかされてしまうこともあるかもしれないが、それこそまさに、初見先生の口伝、心伝。
 姿勢を正して、初見先生の幽玄の世界に足を踏み入れてみようではないか。

 

「何かを学ぶ“弟子力”、逆に教える“師匠力”というものはあるのでしょうか?」

初回は、先人から物を学ぶときの態度、力量、姿勢、すなわち「弟子力」がテーマ。弟子たるものの心得と、弟子力はどうすれば高まるのかを、初見先生に訊ねてみた。

 

初見先生のお答え

弟子力ね。まず、言っておきたいのは、武道家でなくても立派な方はたくさんいらっしゃるということ。これが一番大事なことです。テクノロジーの世界でも、文化の世界でも、政治、経済、教育、スポーツ、各分野に、それぞれ一流の人物がいるわけです。年齢も関係ないし、男女も関係なく、LGBT(レズ、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)だって関係ない。
 武道に「三心の形」、「五行の形」があるでしょ。「心」という字は「りっしんべん(立身便)」。つまり「性」につながっていて、第三の性につながっているわけです。
 そうした人々まで含めて、世界には優れた人がたくさんいることをまず知らないと。

狭い道場、狭い流派の中で、一流、二流を語っていたってダメなんです。
手裏剣だって、屋内の道場で練習するのと、屋外で投げるのとでは、ぜんぜん感覚が変わってきます。やっぱり世界に視野を広げることですね。

もうひとつ、偉い人は、大事なことを偉く単純化して言うものです。単純に深いことを言う。その単純な言葉をいかに咀嚼できるか、これはその人の質に関わってきます。これがまた大事なポイント。自分を過信せず、いまの自分のレベルを客観的に把握していないと。
それが「弟子力」の第一歩。

やはり、師匠と弟子の間には、大きな壁かあるわけです。例えばピカソの弟子たちは、ピカソにどれだけせまれたか。
なかなか二代三代と続いて、名人達人が現れることは稀ですよ。天才は神様の気まぐれで生まれるわけですから。

私が高松先生のあとを継げたのも、神様のいたずらだったと思っていますから。私が高松先生に出会えて、弟子入りできたのは、非常に幸運だったと思っています。
いわゆる「神韻武導(しんぎんぶどう)」です。

「武道」ではなく「武導」。「道」だけだと、迷っちゃうでしょ。「導」と書けば、武道も迷わない。「道」と「導」の違いは、「寸」でしょ。でもこの「寸」が大事なのです。
 だって、武道の世界では、その「寸」が生死勝敗を分けるわけですから。「寸」には命がかかっていることを忘れてもらっては困ります。守の字はウ冠に「寸」が隠れているでしょう。

もっとも寸の取り方などは、教えれば誰にでもわかるものではないでしょう。最後は結局人の質。

人間の質を見極めるのは容易なことではありませんが、幸い私は長生きできて、たくさんの人々に出会い、多くの一流の方々とも交わる機会があったので、だいぶわかるようになってきました。風姿花伝ではないですが花性竹性(かじょうちくせい)ですね。

それで「弟子力」の話に戻るけど、弟子として大事なことは、気立てのいい事。心根の清い人であることが条件です。そして素直に学ぶこと。

一方で、私は私のコピーになることを弟子たちに望んでいません。そんなことはできっこないし、同じにしようなんていうのは、そもそも失礼なことです。

初見先生

 

一子相伝 → 一刀萬法 → 万物帰一

武道の世界では、一子相伝といいますよね。私も若い頃はそういうものだと思っていましたが、長年弟子を指導しているうちに、一子相伝ではどうもうまくないな、と気づき、一子相伝から、一刀萬法へ。一刀萬法から万物帰一に行きついたわけです。

そこからもっと進化すると「神韻武導」へ。人間の意識、自分の意識で伝えていくものじゃないってことです。自然が大事。大自然の超越いわば宇宙の意思ですよ。
それは時代の流れによっても違うでしょう。時代というのは季節です。作物が育つのも季節によって違うでしょ。

私の武道が世界的に広まっていったのも、ちょうど世界に種をまく季節に私が生まれたからなんだと思います。これが肝心です。神心という字変です。

武道の世界では、「位取り」って言いますよね。それを自分で自覚しないと。
私が世界を回り出したのは、1982年から。テロも少なく、ちょうどいい時期でしたよね。そうして25年間世界を回り、各地が穏やかでなくなってきた頃には、世界中から人が集まってくるようになったわけで。

「月かげのいたらぬ里はなけれどもながむる人の心にぞすむ」という法然の歌があるけれど、眺める人の自然を見る目の感受性によって、変わってくるから。

こうしたことを悟った時期ですか? 風と共に去りぬです。

時期というのは一瞬ですから。何年間修行しても、何十年修行しても、私は時期というのは一瞬だと考えています。森羅万象、万物から考えれば、人の人生なんて一瞬ですよ。
だから私も年齢を忘れて、いまでも稽古できるんですよ。

先日も、NHKのBS番組(「いま忍者 初見良昭84歳」2016年7月7日放映)の取材がありましたが、撮影監督から、「どう見ても84歳の動きではない」と言われましたよ。

それはやっぱり私が動いているんじゃないからです。「神韻武導」なんです。
日本の武道家の中で、私と同じ歳で、いまでも道場に出て、弟子たちに実際に稽古をつけている先生って何人います? おそらく稀でしょう。
 私の場合、年齢なんて一瞬の中に包まれている思っているので、歳なんて考えてやってませんから。

でもだからこそ節目節目は大切です。武道を学んでいるのなら、初段なら初段、二段なら二段、といった具合に、それぞれの段階で、その資格にふさわしい弟子力を身につけていけばいいんです

よく聞かれることですが、武神館の最高段位は十五段です。なぜ十五段かというと、古の侍は十五歳で元服、成人になったからです。つまり、十五段=道を究めたというのではなく、十五段から大人扱いしていくよ、とそんな意味なのです。そういう意味では、初段なんてまだまだ子供の遊びみたいなものですよ(笑)。高段者になったからって、偉くなってはダメです。
 それが自然でしょ。宗家のワタシは段位なんてゼロ。無刀取りですよ
 (初見先生は、柔道五段、空手八段、抜刀道十段、他、他流派の段位は多数お持ちになっている)

すべて無です。戦わない、金は要らない、モノはいらない……。併し無元の軌道が授かってくるのですね。すべて輝き黄金力に包まれてくるのです。

 

修行人生には節目がある

とはいえ、私だって最初からこうした境地だったわけではなく、はじめは「武道の究極を求めよう」という目的だけでした。個人的に、極意を求めて修行していました。

そんな私の修行人生も、振り返ってみると42年がひとつの周期になっているんです。第一期は42歳の時。この年、師匠の高松先生がお亡くなりになりました。そして42年の第二期は84歳。高松先生から教わったことを、去年、ようやく一通り弟子たちに伝えきりました。いまは第三期に入っているわけです。

第一期、つまり高松先生の訃報に接したときも、私はこれからのことを特に考えたりはしませんでした。高松先生のご生前もお亡くなりになったあとも、自分の修行のリズムは変えていません。

高松先生に入門して、先生がお亡くなりなるまでちょうど15年間、毎週、夜行電車で千葉の野田から奈良の橿原まで稽古に通っていましたが、その橿原通いがなくなっただけです。その前から、野田で自分の道場を開いていて、弟子も通ってきていましたから。

私の弟子にもいろいろな人がいましたよ。筋がいい者もいれば、そうでない者もいる。でも人の顔が一人ひとり違うように、みんな違っていいんですよ。まさに十人十色。体型も違えば体質も違って当たり前です。

よく、十怪十傑っていいますよね。

真田十勇士もそうですし、釈迦の十大弟子なども有名でしょ。一子相伝ではなく、9~10人ぐらいの高弟が、分割して師匠の教えを引き継げばいいんですよ。その一人ひとりが、自分は1/9、1/10だと思っていれば間違いないわけです。十戒ならず十解です。

人間の意識も、顕在意識が1、潜在意識が9で、1:9なんですから、そんな割合だと思っていればよくって、修行するうえでも潜在意識の9が、とっても重要なのです。

ところが、多くの修行者は、顕在意識だけで修行してしまうんです。能力や身体とか、自分でわかることだけで修行するわけだけど、そうではなく、潜在意識が大事なんです。なんといっても9割は潜在意識なんですから。それがわかると武道の九字がわかってきて、遠当ての術などがわかってきたりするんです。潜在意識を修行して洗在意識に浄化していくのです。

知的なものでやっても武道はわかりません。科学的に数値化、データ化して武道を語るなんて愚の骨頂。私に言わせれば、単なる自己満足でしかありません。

潜在意識を鍛えるのが、武道の稽古になるわけですが、潜在意識は表現できない。だから無刀取りなんです。浄化された意識となりますね。

当然、無に至るのは容易ではありません。だからこそ、無にはなれなくても、無とコンタクトできるようになることを目指さないと。

どちらかというと、有形、形のあるもの、目に見えるものに囚われて、執着しがちでしょ。そうではなく、無に執着する方向に進むことが肝心です。結局、無刀取りの暖寒が分かってくるのです。零度、0度、プラス・マイナス。現在道場では無刀取りのコントロール、大自然の超越の境地を稽古指導しています。

 

武神館で教えているものは「生きのびる術」

とはいえ、私だって高松先生のところに通っていた頃は、そんなことも考えず、ただ夢中だっただけ。こんなことが言えるようになったのも、85歳を越えて、修行の第三期に入ってからですよ。

だから長生きしなければダメなんです。逆に言えば、私の話は老人と戯言だと思って聞いてください。ハッハッハッハッハ!

武神館で教えているのも、言ってみれば生きのびる術ですから。息伸導です

かつて湾岸戦争やその他の危険なミッションで、どういう軍人の生還率が高いのかをペンタゴン(米国防総省)が調べたことがあるんです。そうしたら、武神館で学んだ兵士の生還率が突出して高いことがわかり、ペンタゴンから感謝状をもらったことがあるぐらいで。何が違うかって言ったら、この息伸稽古をしたか、していないかの差ではないのかな。

ひと口に潜在意識と言っても、いろいろな潜在意識があるんですよ。
 「閃き」と書く「“閃”在意識」もあれば、予知という「“先”在意識」もある。予知という先在意識了知意識。常識に囚われてしまうと、心理学的な「潜在意識」に限られてしまうけど、「せん」にはいろいろな字を当てはめないと。こういうことは、大学でも教えないでしょ。戦財意識とでも言えるのかな。
 私はアメリカのモアパーク大学の犯罪学の名誉教授なっているけど、こういうことを他に教えられる人がいないからだろうね。

何が怖いって、人間の常識です。教育というのは非常に怖い。教育が恐ろしいと考える人って、あんまりいないんじゃないですか。東大を卒業しても、司法試験に合格しても、仕事に就けなかったり、年収が低い人だって珍しくない時代でしょ。

私はあまり勉強が得意でなかったのがよかったのかな(笑)。勉強ができる人は、知的常識者になりやすいから。頭でっかちの人は、顕在意識が1/10だということがわからないんですよ。意識に壁がある。

生い立ちや環境もあるでしょうね。私は1931年生まれですから、14歳のときに終戦を迎えました。敗戦で日本はどん底になり、そこから立ち直ってくるさまを目の当たりにしてきたわけですし。

ただ、そうした中で、私自身はボーダーラインを持っていなかったんです。国境も結界も持っていなかったってこと。結界にはルールがあるけど、そうしたルールやマナーまではなくしていませんよ。でも、そういうものを自然に超えることができたんですよ。

外国に行っても、「アイ・アム・ノー・ジャパン、アイ・アム・ノーカントリー」と言って稽古をつけてやると、向こうの人にも受け入れられて、どんどん友達になれるんです。

とくにアメリカなんかでも、差別社会が根強いところもあるでしょう。だから「アイアムユーホー」なんて言ってね。映画「猿の惑星」の猿は、人種の原点ですよね。猿のルーツは三色、白、黒、黄。
 まあ、「猿の惑星」の話は、ウソかホントかわからないけど(笑)。でも、ウソは一番おもしろいでしょ。オンナにウソをつかれても、「そんなもんだ」と思っていれば、男女関係も上手くいくんです。真剣になっちゃうと大変なんで、無になればいいんですよ。

だって、男なんて本能第一の馬鹿なんですから。最初からそのようにできているんです。男は馬鹿なんだから方便は大事だね。そういう男の本質を知っている女もいないけどね。
 男の本質をよく知っているのは、傾城の美女だけですよ。

やっぱり、男と女でも無邪気になっているときほど、美しいんです。そこの煩悩が入ると結界の掟が騒がしくなるのですね。壁を作るとね。

初見先生

 

美学、備学、微学。武道家は「虚実文字」

そういうのを超越できるようになるのは、私の歳になってからですよ。この歳になって、はじめて女と遊べるようになるんです。だから皆さんも長生きしてくれないと。そして年寄りは無邪気になること。
 稽古だって、無邪気さを忘れてはいけません。チャンバラをやっているときは無邪気なのに、何か決め事を作って神々しさを求めすぎるのもよくないことです。

無邪気というのは、ゆとりがあることだから。ゆとりがなければダメですよ。生活に困ったり、時間に困ったり……。いまの日本は無邪気に慣れない環境で、息苦しいでしょ。女性のお尻にちょっとでも触れたりしたら、「セクハラだ」なんて、大変なことになっちゃうでしょ。前を触って「マンハラ」だっていうのなら大問題だけどさ(笑)。そんなことを言ったら武道の道場には入れませんよ。

私の道場の稽古を見てくださいよ。世界中から集まってきた弟子たちが、みんな笑顔で稽古しているでしょ。とくに凄い技を披露すると、みんな笑ってしまいます。それは、何か真理がわかってきた証拠なんです。
 無邪気はゆとりなんだけど、ゆとりだけだと馬鹿になっちゃう、間抜けになっちゃう……。でも、上達するのが武道なんです。

このように絶えず、虚実が繋がっているということが要諦なんです。言葉にも裏表があるでしょ。大意は同じでも、ちょっとずつズレていくとか。そうした変化の美学を武道家は大事にしないと。虚実転換です。

美学と言っても、備学もあれば、微学もあって、秘学もある。「秘学」なんかは、「秘すれば花」につながるでしょ。セクハラと秘すれば花も紙一重なところがあるわけで。

“無”の概念なんて、日本人にも難しいけど、外国人の弟子たちも、じつは求めているんです。やはり物質文明であればあるほど、“無”の大事さがわかってくるのでしょう。

私の弟子には現役の軍人が多いでしょ。彼らは戦場で見ているわけですよ。戦争になれば、何もかもなくなってしまうことを! 形あるものだけでなく、命だってなくなっていくわけですから、外国の軍人たちの方が、むしろ“無”についてわかっていますよ。何しろたくさんの“無”を見てきているからね。

だから「無常」と「無」は同じです。そこに武神(無心)をかけて、「無刀捕」に結ぶと86年目に入るのです。
私の話は、こうして「音」を集めて語っていくのが特徴なんです。だから話すよりも、活字にした方がよく伝わります。「字」が「絵」になりますからね。
日本の漢字の素晴らしさはそこですよ。

そこにいち早く気が付いたのは、夏目漱石。彼のは、変体仮名、変体文字というけれど、私のは「虚実文字」です。「ヘンタイ」というと、「変態」が思い浮かんで、何かヘンでしょ(笑)。文豪・夏目漱石の揚げ足を取るわけじゃないけれど、彼が変体文字で面白くするなら、武道家は虚実文字で面白くして、彼と同等にならないと。

(第一回 了)

 

初見良昭先生の『一答良談』

・作麼生(そもさん)「知人が末期癌です」

家族ぐるみでお付き合いしているご家庭の40代前半の奥さんが、突然、末期の癌だということが判明! どう接して、どんな支援をしていけばいいのでしょうか……。
(千葉県 男性 40代)

 

・説破(せっぱ)「平常心で、これまでどおりで接すること」

気の毒にね。でもご本人が自分で解決することだよ。まわりの方が右往左往しがちだろうけど、一番いいのは、これまで普通に接することですよ。薄情なようだけど。薄情というのは、「広い心」言う意味もあるんだよ。
 けっきょく、人間というのは死ぬのが早いか遅いかの違いでしかないんだから。何か神仏の加護、自然の加護があればいいんだろうけど……。

末期の癌と診断された方でも、癌が消えて、元気になったという人も少なからずいるからね。最後まであきらめないことですよ。
 人一倍パワフルな方が、癌を患ったりするケースもよくあるし、血統的に癌になりやすい家系というのも確かにあります。併し忍法では最後まで忍んで生きよ、貫忍成寿という言葉があります。
 人の命より不思議なものはないからね。

私がこの歳まで、好きな稽古ができて、言いたいことが言えているのも、考えてみれば不思議なもんです。やはり何かの天命なんでしょう。神韻ですね。マタイ伝にも最後まで忍耐するものは魂が救ってくれるという一節があります。
 武道家は、不動心が大事だと言いますが、有名な薩摩の示現流に斬る気合があるけれど、あれなどは、相手に突っ込んでいくときの恐怖の声、「怖動心」と聞いてもいいんだよね。これは人間の共通声なんだろうね。

その癌になった奥さんにも、神仏の加護があって、奇跡を呼び込めるといいんだけど、私も奥さんがよくなるように祈ります。私はこの頃、貫忍独尊と言っています。釈迦の天上天下唯我独尊のルーツでしょうね。

(このコーナーでは皆さんからの質問をお待ちしてます、こちらへメールで質問事項とお名前(掲載を希望しない場合はイニシャルにしますので、その旨お書きください)を明記の上、お送りください。)

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–Profile–

初見先生

初見良昭(Masaaki Hatsumi
1931年、千葉県野田市生まれ。武神館(ぶじんかん)を主宰(武神館九流派宗家)、柔道五段、空手八段、抜刀道十段。ペンタゴンやFBI、イギリス特殊部隊、オランダ王室海軍などでも指導。テネシー州親善大使、ロンドン警視庁名誉顧問、テキサス州名誉市民、アトランタ、ロサンゼルス市名誉市民など。騎士(ドイツ国立歴史文化連盟より)。世界各国の指導者(レーガン大統領、メジャー首相、ミッテラン大統領、ローマ法王、マンデラ大統領ほか)や軍隊、警察、情報局や各種団体から感謝状、賞状、友好証などを受けている。国際警察会員、インターポール。英国王立医学協会名誉会員、トリニティ大学名誉教授、モアパーク大学犯罪学名誉教授、科学博士、哲学博士、芸術学博士。「日本よりも海外で有名な日本人」として、しばしばテレビ、雑誌、新聞などで紹介される。

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