コ2【kotsu】特別インタビュー キモ・フェレイラ師範が語る実戦(前編)

| コ2【kotsu】編集部

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「実戦とは何か?」武術・格闘技を学ぶ中で、この質問は常に修行者自らに問いかけられるものだろう。そこでここではアメリカ陸軍空挺部隊としてベトナム戦争に従軍経験があり、日本武術にも造詣が深い国際拳法術會宗家・首席師範 キモ・フェレイラ氏に格闘技と武術、苛酷な軍隊時代、そして実戦での心得についてお話しを伺った。
今回はその前編をお届けする。

コ2【kotsu】特別インタビュー

キモ・フェレイラ師範が語る実戦(前編)

インタビュアー・文コ2【kotsu】編集部
通訳キコ夫人

 

マーシャルアーツは戦争のための技

コ2編集部(以下コ2) キモ先生にはこれまで何度かお話しを伺わせて頂いていますが、今回はこちらのコ2【kotsu】でのご登場は初めてとなります。そこで改めて先生のキャリア、つまりベトナム戦争に従軍されていた経験を踏まえて、武術・格闘技のお話しを伺えればと思っています。

キモ 何でも聞いてください。

コ2 それでは改めて格闘技と武術の違いはなんでしょう?

キモ マシャールアーツというのは、「Martial(マーシャル)」という英語の意味自体が示すように、ケージ(囲い)の中で試合をするスポーツとは根本的に全く違います。マーシャルアーツは、ケージもルールもなく、「自分が死ぬか、相手を殺すか」それだけが目的です。それが大きな違いです。

コ2 「Martial art」とは英語でどういう意味なのでしょう?

キモ 元々は「戦争の技」という意味なんです。今では武術全般のことを言っていますが、言葉の根本は「Martial」(形容詞で“戦争の”の意)は「War(戦争)」を目的とした、“戦争のための技”ということです。

コ2 キモ先生の道場に来る生徒さんは、そうした格闘技と武術という部分での混乱はないのでしょうか?

キモ 生徒が入ってた最初の時点で「何のためにあなたはこの道場に来たのか?」と聞きます。その上で私は「ケージマッチは絶対に教えていない」と話し、「通りで狙われた場合、そこを切り抜けるための技を教えるために、この道場が存在する」と言います。もし生徒が「いや、俺はケージマッチの選手になりたい」と言ったら、「よそへ行ってください」と、それだけです。ですから迷ったり、意味がわからなくて入門する生徒はいません。

コ2 最初の明確に線引きをするわけですね。

キモ 私が道場で教える技はMMAやその他の格闘技のための技ではなく、とにかく自分が生き残るための技しか教えていません。

そこにいるだけで、ただならぬ威圧感があるキモ師範。

 

苛酷な少年時代から軍隊へ

コ2 そうした発想は、先生の軍人としてのキャリアがそうさせているんでしょうか。

キモ そうです。軍隊というのは、入隊した時点で上官から教えてもらうことは、とにかく“この世界で生き残る。それが第一だ”ということを徹底的に身体と頭に叩き込まれる、そういう人間になるのです。それが武道にも関係してくるんですね。

コ2 コ2【kotsu】読者では先生のことをご存じない方もいらっしゃると思いますので、先生が軍隊に入るまでの経緯を教えて頂けますか。

キモ 分かりました。それは私の幼い頃の環境に関係しています。私の母は私が3か月の時に亡くなり、父も9歳の頃に若くして亡くなりました。その後面倒をみてくれた祖母もやはり子供の頃に亡くなり、自分の愛していた家族がみんな亡くなってしまったのです。その後は、周りの叔父や叔母といった親戚をたらい回しにされて、そのなかで酷い虐待もありました。本当に惨めな子供時代で、小さい時から我慢に我慢を重ねて育ちました。それが変わったのは18歳の時でした。アメリカでは18歳になると成年として扱われますから、保護者が何と言おうとも自分の人生を決められるわけです。
その時に、

自分がここから逃げ出すには軍隊に入隊することだ

と、軍隊を選んだのです。

コ2 それは何年のことでしょうか?

キモ 1969年です。退役が1989年です。軍隊は20年所属していれば、恩給が出るんですよ。

コ2 入隊するまでには武術には興味がなかったのでしょうか?

キモ 意外に思われるかも知れませんが私は小さい頃は喘息持ちで病弱だったんです。当時は生まれた西海岸からハワイのワイハ島に移住していていて、心配した祖母が「どうしたらいいんだろう」と散歩していた時に、チャイニーズ拳法の小さい道場を見つけたんです。
祖母の話では、小さい子供が黒いパジャマのようなものを着て、殴ったり、蹴ったり、一生懸命やっていて、それを見て「こういう体操をすれば体が丈夫になるだろう」ということで入れさせられたのが武術を学ぶきっかけです。入ったらめきめき身体が丈夫になって、喘息が出なくなりました。それが始まりなんです。

コ2 いま思うとそのチャイニーズ拳法とは何だったんでしょう?

キモ 大人になってから振り返ってみると、ハワイで教えていた中国系の移民が中国拳法をベースにしたオリジナルな拳法だったと思います。もともとハワイの拳法は、日本の移民が伝えたものが多く、そのなかでも“ミトセ”という先生が有名です。

コ2 Kosho – Ryu流(日系人のジェームズ・ミトセ氏がハワイで開いた流派)ですね。お話を伺うと武術自体には小さい頃に接点があったわけですね。

キモ そうです。

コ2 では実際に軍隊に入ってからはいかがでしたか?

キモ 最初に学んだのは“自分の人生を見つめる”ということです。上官から言われるんです。「見つめろ」と。「とにかく焦点を掴んで、迷わずに良いと思ったことに進みなさい」と言われました。彼らが自分の人生を位置づけてくれた。ですから軍隊にはとても感謝しています。まだ若くて何をすれば良いのか分からない時にそう教えられたのはとても良かったです。

 

罵詈雑言は米軍の伝統的システム

コ2 私にとってはアメリカの軍隊というと映画「フルメタル・ジャケット」のイメージが強烈で、滅茶苦茶に暴言を叩きつけられながら厳しく鍛え上げられるというイメージがあるのですが、実際はどうなのでしょう?

キモ それは凄いですよ。訓練専門のドリルインストラクターがいて、死ぬ寸前まで頭をトイレの中に突っ込まれるようなものです(笑)。

コ2 あの映画はそんなに間違っていないわけですか。

キモ ええ、本当です。大げさには言ってないですよ。ただあの映画は海兵隊で私は陸軍でした。

コ2 映画では罵詈雑言を新兵に浴びせますがあれは伝統的なものなのでしょうか?

キモ そうですね。例えば「お前の頭は滅茶苦茶なのか!? それはお前の母ちゃんがお前を育てた時にその頭をぐるぐる振り回して、お前のBrain(脳)が滅茶苦茶になっているのか!? ここにいたければしっかりしろ」と、物凄くキツい言葉を最初から聞かされます。(※ここではかなり表現を柔らかくしています)

コ2 どうしてそうしたことを言うのでしょう?

キモ 理由はそこまで新兵達が持っていた自我(ego)を破壊するためです。それまで持っていた常識やプライドを一度壊してしまうことで、新しい軍隊のやり方をインプットするわけです。だからドリルインストラクター達はわざと新兵達が、もうどうしたらいいかわからなくなるほど粉々にするわけです。そうすると、その若者は「こんな自分ではいけない」と「負けてはいられない」と、自分で精神面を鍛える。それがタフで簡単にはへこたれない力を湧かせてくれるための訓練の最初の第一歩です。

コ2 そうしたシステムはいつからあったのでしょうか?

キモ それはずっと昔、第一次大戦より前、Revolutionary war(革命戦争)の時にはもうありました。結局、いつの時代でも兵隊は目標を与えられ、命令されればそれを成し遂げる必要があるわけです。そのためのトレーニングなのです。

コ2 誰がそのシステムを作ったのでしょう?

キモ Von Steuben(フォン・シュトイベン:フリードリッヒ・ヴィルヘルム・フォン・シュトイベン)、プロイセンの軍人です。アメリカの歴史というのはすごく複雑で、最初にアメリカの米軍に入った人のなかには、もともとは海賊で生計を立てた人もいれば、移民やインディアンもいます。最初、インディアンは白人の敵だったわけですが、彼らも軍隊に入って、とにかく一つの目的のために訓練をして、強い兵隊になるために軍隊で生活したんです。

 

ケサンの戦い“ハンバーガー・ヒル”

コ2 先生にとってはあまりお話したくないことかもしれませんが、大変貴重な機会ですのでよろしければもう少し軍隊時代のお話しを伺ってもよろしいでしょうか。

キモ 大丈夫ですよ。ただ答えの中には、日本人があまりいい印象を持たれない話しもあるかもしれませんが。

キコ夫人 今まで他の人にも、軍隊の話とか経験した話は話したがらなかったんですね。いろんな戦友を目の前で亡くしていますから。すごく精神的に悪い悲しい記憶がいっぱいあるんですよ。

コ2 お答えできる範囲で構いません。

キモ ただ、そうした戦争の経験が余計、自分が“いかに強い武道家になるか”という意欲を燃やしてくれたのも事実です。

コ2 やはり一番厳しい経験はベトナムだったんでしょうか?

キモ ベトナムの戦争のなかで、ケサンで戦った時の記憶、体験がいちばん辛かった。目の前で同じ部隊の戦友が地雷に足を突っ込んで、身体の半分が違う場所に吹っ飛んだのを見ました。それが今でも頭の中に残ってる。その記憶が今でも一番辛い。

コ2 ケサンの戦いというと「ハンバーガー・ヒル」(Hamburger Hill)という映画になっていますね。

キコ夫人 「ハンバーガー・ヒル」で舞台になったのが、彼の所属していた部隊がいたところなんですよ。

(前編 了)

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–Profile–

キモ・フェレイラ師範

キモ・フェレイラ(Kimo Ferreira
1949年カリフォルニア州オークランド生まれ。本名フェレイラ・フェルシアーノ。ハワイで育つ。1955年よりケンポーカラテを学び、19歳で初段を取得。日本の合気道、空手、フィリピンのエスクリマ、ハワイの伝統武術ルアーなど、各国の武術を学ぶ。19歳のとき米国陸軍に入隊し、20年に渡って在籍 その間、映画『ハンバーガー・ヒル』のモデルになった101空挺部隊に所属し、最前線で戦う 部隊が全滅したと報告された戦闘から、ただひとり生還すること3度 1972年、米国大統領より「武勇勲章」「殊勲章」など多くの勲章を授けられる。帰国後、自らの実戦経験と、これまで学んできた武術に創意工夫を加え「拳法術」を創始 世界各地の軍隊や警察などで、生き残るための技術と精神を指導している。国際拳法術會宗家・首席師範(以上、DVD「戦場を生き抜く瞬間制圧術 ナイフも銃も2秒で制圧」(フル・コム刊)の著者紹介より)

DVD

「キモ・フェレイラ 拳法術 」(クエスト)
「戦場を生き抜く瞬間制圧術 ナイフも銃も2秒で制圧」(フル・コム刊)
「キモ・フェレイラ 路上戦闘術ストリート・コンフロンテーション」(クエスト)