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金春流(こんぱるりゅう)の能楽師である柏崎真由子さんは、大学時代に経験したダンスのワークショップをきっかけに、能を演じる“身体”に魅せられ、それまでまったく縁のなかった能の世界に足を踏み入れました。
「演じる側になった今でも、能はよくわからない」という柏崎さん。演者として、身ひとつで舞台に立つ側から観た、お能のあれこれを綴ります。
お能ののの字〜舞台から観る能楽散歩
第一回 能と出逢う
文●柏崎真由子
身一つ、という潔さに魅せられて
一人遊びの好きな子どもだった。暇さえあれば、チラシの裏に絵を描いて過ごした。とりわけ綺麗なものが好きで、TVで目にしたバレエの美しい世界に憧れた。両親に頼み込み、念願のバレエデビューを果たすものの、身体の固さを克服できず、トゥシューズを履く前に挫折。以来、中学・高校は帰宅部。運動から遠ざかっていた。
そんな私が大学のカリキュラムで数週間ダンスに専念することとなった。講師に来てくださったのはダンサーの伊藤キムさん。
キムさんの第一印象は、高い身体能力をギュッと纏めたような小柄な身体と、切れ長の鋭い眼差し。しかも片目は黒い眼帯で覆われていた。その為か、背中に秘密を幾つか潜ませているような想像を掻き立てる人物だった。
数あるワークの中で、一番記憶に残っているのは視界がグラングランになるまで脱力する(勝手に)名付けて「ふにゃふにゃ蛸ダンス」だ。
理性が邪魔するのだろうか。「身体の力を抜く」と、言葉にするのは簡単だが、これが難しい。どうしても首で頭を支えてしまうし、手足も棒切れの様に自在に振り回せない。自分の身体のはずなのに、思い通りにならない不思議さ。
私は、意外と人目を気にするタイプのようだ。気恥ずかしさが邪魔して、最後まで完全に脱力することができなかった。運動系部活なみに、自分の身体と向き合う日々は続いた。オマケのようについてくる筋肉痛とは裏腹に、心は充実していた。
ある日、キムさんがダンスを披露してくださった。場所は、私たちが普段制作をする為の簡素な部屋。ダンスに相応しいとは言い難い。しかし、キムさんの動きに誘われるように部屋が呼吸をはじめた。身一つで空間をも変えてしまう。場所を選ばず、道具も必要ない。
「必要なのは身一つ」という潔さに魅力を感じた。この経験が身体に興味を持つきっかけとなった。それまで私は、自分に身体があることさえ忘れかけていたのだ。
身体のことをもっと知りたい〜能と出逢う
9月のある日、駅構内に貼ってあった「薪能(たきぎのう)」のポスターが目にとまった。これまでとは無縁の世界。この機会に観ておくのも悪くない。伝統芸能というよりも、単純に身体表現の一つとして興味が湧いた。
せっかちな私は、すぐにでも能が観たくなった。能の公演はどこで観ることが出来るのだろう。早速ネットで「能」を検索した。能楽堂という能楽専用の劇場が全国各地に点在し、都内だけでも数舞台あることを知った。毎週のように公演が開催されていることに驚いた。数ある中で、学生にも手頃な料金のものへ行くことに決めた。
数日後、私は京王井の頭線の神泉駅に降りた。松濤の閑静な住宅街。ゆるやかな坂を上ると、前方に戸栗美術館が見えてきた。その右手に観世(かんぜ)能楽堂はあった(現在銀座に移転中)。
能楽鑑賞にGパン、スニーカーなんて場違いだろうか。到着して心に余裕が生まれたのか、少し心配になる。ズシリと重厚な扉を押し開く。私の目にゆっくりとオレンジ色の光が入り込んできた。立方体の能舞台は屋根と四本の柱に守られていた。「結界」、そんな言葉が頭に浮かんだ。
客席に分け入るように配置された正方形の舞台と、その舞台をぐるりと囲む客席の構造が新鮮だ。席の一つに腰を落ち着ける。平日昼間の公演ということもあってか、やはり観客の年齢層は高めである。程なく、幕の奥より囃子(はやし0の演奏が聞こえてきた。「お調べ」という、所謂楽器のチューニングである。お調べが終わると、紋付袴姿の演者が皆一様に静々と舞台へ進み出で、それぞれの持ち場につく。
わからなさ、という余韻に憑(つ)かれる
この日の演目は『龍田』だったと思う。『龍田』は、秋を司る神「竜田姫」が神木である紅葉を称え、乱れ飛ぶ紅葉の中、神楽を舞う紅葉尽くしの美しい能だ。
ヒィー
甲高い笛の音が空間を裂くと、囃子の演奏が始まった。観客の視線が一斉に幕へと走る。その期待に応えるかのように幕が上がり、装束を身につけた男性(ワキ)が二人登場した。ひとしきり台詞を語るのだが、正直何を言っているのかわからない。
言葉を理解するのは無理だと即座に判断し、演者の気迫、呼吸、強弱、流れ、圧に注目し、五感を働かせて音として感じてみる。
続いて、美しい面と装束に包まれた人物(シテ)が幕よりスーと歩み出でた。冷たい銀細工のようだが、手や顎など装束からはみ出た部分から人の息づかいが感じられる。面が、人であって人ではないような不確かさを醸し出している。
役者にとって、最大の表現道具であるはずの顔を面で隠すことに、どのような意味があるのだろうか。滑るように移動する。まるで動く歩道に乗っているかのようだ。上半身がぶれない。浮いているようにも見える。歩みをツッと止めると動かない。人ひとりの存在感とはこれ程大きなものなのだろうか。
観ている側であるはずの私が、急に見られているようで、ソワソワと落ち着かない。勝ち負けのないにらめっこが続いて、「あなたは最近どうなの?」とでも話しかけられているようだ。この時、閉じた舞台空間が私の内部に向けて開け放たれていくように感じた。
あれこれ考えながら、ぼんやりと眺めているうちに舞台は終わり、演者たちはそそくさと去っていく。演劇やミュージカルとは違いカーテンコールはない。少しそっけない感じもするが、「終わり」という感覚が薄れ、いつまでも余韻に浸ることができる。
家路に着くまでの距離、電車、駅、通りの喧騒に居ても、竜田姫の舞は私の頭の中でクルクルと続いていた。古い芸能どころか、むしろ新しい。私の目にはそう映った。もう一度観てみたい。頭の片隅から離れなかった。
魅力か罠か。能とは、何?
何度目の「もう一度」だろうか。気が付くと能楽堂通いが習慣となっていた。今日は千駄ヶ谷。明日は水道橋。神楽坂、目黒、横浜、表参道……etc.。1日2公演ハシゴをすることもあった。もはや中毒状態である。アルバイトの給与の殆どがチケット代へと消えていった。
ただし鑑賞には、私なりの拘(こだわ)りがあった。
【鑑賞の心構え】
- 其の一、コンディションを万全に整える。睡眠不足では良い観能ができない。前日が飲み会の場合は、公演に備えて早めに切り上げる。
- 其の二、能に関する書物を読まず、ただ観る事に専念する。これは、知識という眼鏡を通して観る事を避ける為である。素の状態で自分が純粋に感じたことを大切にする。
- 其の三、曲の世界に浸るため、1人で出かける。
振り返ると随分変な拘りだが、当時の私はとても真剣だった。私にとって、能とは一体何なのだろうか。その答えを知りたかった。とにかく舞台を観て、観て、観まくる。それが能を理解する上で最も大切だと考えていた。
今でもこの考えは正しいと思う。 実際、観る回数が増すごとに言葉が耳に馴染み、単語も聞き取れるようになってきた。曲の構成や舞に「型」があることも掴めてきたし、それぞれの演者の役割も見えてきた。しかし一方でわからないことも増えた。ただ観るというスタイルに限界を感じ、解説書など能楽関係の書物を読み、ワークショップにも足を運ぶようになった。
「わからないこと」が原動力となって、私を突き動かしていた。大学の講義はそっちのけで、生活が能一色に染まりつつあった。自然な流れかもしれないが、実際に体験したいという欲求も生まれてきた。能が趣味として、開かれていることを知った。
この後、私が現在所属している金春流(こんぱるりゅう)の門を叩くこととなる。
*
改めて能との出会いを思い返してみると、土石流の如く急速に能にハマっていったのがよくわかる。これは、ほんの数か月の間の出来事なのだ。
そして演じる側となった今、能への理解を深めたかと問われると、「はい」とは言い難い。やはり、能はよくわからない。しかし、わからないことは面白い。これが能の最大の魅力にして最大の罠なのかも知れない。私は、その深い罠に、ドボン! と落ちた一人なのだ。
(第一回 了)
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