コ2【kotsu】特別インタビュー 韓競辰導師に訊く「韓氏意拳とは何か?」 第一回

| コ2【kotsu】編集部

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いよいよ今年も韓氏意拳創始者である韓競辰導師の来日講習会が開催が近づいてきた。
毎年恒例で行われている講習会では、まったく初めての方から熟練者まで、直接韓競辰導師に触れられる貴重な機会となっている。
とはいえ韓導師の高名さと、どこかに漂う韓氏意拳の敷居の高さから及び腰の方もいらっしゃることだろう。

そこでコ2【kotsu】では、前回来日時に収録した韓競辰導師のインタビューを全三回で公開!
韓氏意拳が求める武術の核”状態”から導師ご自身のことはもちろんお父様である韓星橋老師のことまでお話をご紹介したい。

一回目の今回は韓氏意拳がもとめる”自然”からお父様のお話をお届けする。

コ2【kotsu】特別インタビュー

来日講習会記念企画
韓競辰導師に訊く「韓氏意拳とは何か?」

第一回 「自然とは何か?」

インタビュアー・文コ2【kotsu】編集部
取材・写真協力日本韓氏意拳学会
監修光岡英稔師範

 

何が”自然”なのか?

コ2編集部(以下、コ2) 本日は講習会を拝見させていただきまして誠にありがとうございました。あらためて御礼申し上げます。3時間ずっと通しでパワフルにお話と実技をされているのに大変びっくりしました。

韓競辰導師(以下、韓) (笑)私は中国武術と言っても運動の捉え方と理解の仕方を主に教えています。世の中に武術だけに限らず運動や体育を教える人はいますが、その多くは運動の核心を忘れています。
運動の核心、本質、根本、それは私たち自身の活力へ注目することから始まります。そこが私の指導方法が他と違うところです。

3時間の講座中、ほとんど休まず動き続け、参加者一人一人の手を取り指導されていた韓導師。

 

韓氏意拳ではいつも身体の状態や活力へ注目することを強調しています。先ほど御覧いただいた講習もそうですが、教学上は養生講習会、技撃講習会と分けて指導してますが自然に従った本能の運動は一つで本来なら分けることができません。自然本能(自然に従った本能)の運動における起源は一つであり、一つの根本や源から活力は発生してます。
自然の概念から見えて来る養生、すなわち生を養うことも、それは自然の流れの中で不断である生命現象の一つであると言えます。また、その自然のなかで非常事態が生じた時に技撃が自然と生じます。

コ2 その技撃についてですが、今日の講座で技撃の時に3つの要素、“圧迫感、緊張感、危機感”のある状態に注目し常に保つことが大事である、というお話だったかと思います。それは人間社会では失われつつある要素であると同時に、自然界で生存するには必要不可欠な要素であるように感じました。

 それは養生の場合も実は同じです。今の現実社会に生きる人に「何が自然か」と尋ねてみると恐らく多く人は答えられないでしょう。一部答えられる人は、概念としての自然、例えば草原や森林、水の流れといった人の手が加わってない要素を「自然」であると言うかもしれません。
しかし私は、それらの答え対して「NO、それは違います」と応えます。そうした答えは常に“人が概念化した自然、人が理想とする自然”の見方や捉え方だからです。

韓氏意拳における自然の探求が、結局どこに帰納するのかと言うと、それは“生命”への理解へと還って行きます。私たちに生命があるからこそ、この自然というものが私たち自身に取っての真実となるのです。
自身や他の生命を別にして自然、文化、思想、医学、武術を幾ら研究しても何の意味もありません。また、皆誰でもその自然が大切で、自然であることが根本であるとは言いますが、しかし、その“自然の根本”“自然の源”はどこにあるのでしょうか?そこまで考えている人は稀で、それを自分の身体を通じて経験的に理解している人は更に稀です。その問いにお答えするなら、

自然の根本は私と万物の“生命”にある

と言えます。

どうしてそういうふうに言えるかというと、私たちの先人が何千年も自然現象、自然というものを探求する上で、彼らは自然の中にある共通した特徴を見出しました。自然界はある法則を守っています。それは何か?それは発生と消滅ということです。発生し、消滅するということに、私たちは生命という名称を与えました。

自然の本質というのは、やはり発生と消滅からなる生命にあります。その生命から自然を語る時に初めて自然と言うことに意味が生じます。発生と消滅からなる自然の生命が、その自然に生じる発生と消滅に対峙した時、そこに何を感じるのか?そこに自然の本質があります。

 

自然生命に備わる元の能力を発揮する

コ2 発生と消滅からなる生命こそが自然なんでしょうか?

 古代の言葉でそれを語るならば、それは「道」であるとも言えます。常に流れていながら全てにおいて何が何時どこでどのように起きるかわからない世界が其処にあります。
それ以外に私たちの既存の経験や既知から分かり得る生命と自然もあります。それは“必ず何かが発生する”ということです。消滅もあるが必ず何かが発生してくる、これが自然が私たちに見せてくれている真実なのです。

自然界におけるすべて生命は皆、その共通した特徴として発生と消滅が繰り返されている状態を保っています。これは一本の草を取って見てもそうなんです。発生しては消滅し、消滅から発生が生じ、生きている間は緩んでないし固まってもいない、また同時に緩くもあり固くもあるのです。いつも調和が取れた生きている状態を保っています。

生きている時に何かと衝突し、ぶつかっても問題はありません。活力があり、生命力が感じられ、その次に精気にあふれている様子があれば其処には必ず自然の根本となる源があるからです。それを感じている時には恐れるものはありません。
仏教、道教でも、西洋の宗教も、皆そういうことを教えようとしているのではないかと思います。

  • 何が生命なのか?
  • 自然現象をどのようにして把握するか?
  • 自然の万物はどのように発生したのか?
  • 自然の本質とは何処からやって来てどのようになっているのか?
  • 私は、私たち人間は自然の法則に従っているのか?

韓氏意拳ではそういうことを皆に理解していただけるよう指導しています。

 

コ2 それはどのような方法で理解されるものなのでしょうか?

 まず生命とは何か? 自然の法則とは何か、その理解から始まります。私はその点については自信をもってお話しすることができます。本当に生命を、本当に自然のことを語っているのは韓氏意拳しかないと自信をもって言えます。

くり返して言いますが、“生命”それが全ての根本にあり、生命から離れて、思想や文化、医学、武術などをどれだけ研究しても何の意味もありません。
生命への経験と理解があるからこそ、私は身体を此処に置くことができ、生命という概念なしに、生命の捉え方抜きで物事の良し悪しや是非を語ることはできません。また、生命ということから外れて哲学や思想、宗教を語っても何の意味もありません。

優れた作家が世界に向けて執筆している作品の多くは現実社会の中で本当に生きている人々を取り上げて描いている作品が多いです。この様な作品の中でも作者は生命の在り方を物語の中に出てくる人々やエピソードを通じて語っています。

日本の優れた作家・村上春樹氏の本を私も読んだことがありますが、非常に素晴らしい本です。彼は本当に生きている現実社会の人のことを語っています。それは韓氏意拳と共通するところでもあります。

ですから、その面から言えば拳(※拳法、拳術、拳学を含む意味で拳と言う)も自然生命に本からある能力を発揮することを学んで行きます。例えば、これは以前から私が言っていることですが、虎は拳、拳法の練習しているでしょうか?私は虎が拳を練習し、発力や発勁の練習をしているところを見たことなどありません。彼らは自然界の中で生存しているだけです。そこでは生や死、発生と消滅など全てのことが自然と生じます。それは生命が生存していくために自ずと発生している自然本能の働きでもあります。

他の運動や体育、武術、拳術では、このような深さまで物事を見ていくことがナカナカできません。韓氏意拳を学んでいる人たちは、拳学だけでなく他の生活面でも、学問の面でも、どんどんと物事に対する見解が深まっていきます。それは意拳の教え、学習方法と直接関係があります。

 

父・韓星橋老師の教え

コ2 今のようなお話というのは、お父様である韓星橋老師の影響もあるのでしょうか。

 父は非常に深いところで私に影響を及ぼしています。最近は周りの人が私に「どんどんお父さんに似てきていますね」と言います。父は私に生活の中や練習において普段から「妙なことをしてはいけない」ということをよく教えてくれました。

例えば功夫については「ますます苦しく、キツく、無理することがクンフーになるといったような、おかしなことはするな」と教えてくれました。暑い日に太陽の下で無理をしながら汗をかいてキツさと苦しみを我慢し続け、身体を壊すような練習は戒めよとのことでした。

韓星橋老師と韓競辰導師の親子による練習風景。(写真提供●日本韓氏意拳学会)

 

コ2 そうしたことをお父様から小さい頃から学ばれているのですね。

 父の教え方は、今の人とは違って、一つの技能を身に付けるために一つの技術を習得させるような教え方ではありませんでした。
父の教育は、今の学校教育とはちょっと違う教え方でした。もちろん習う側の学び方も今の学校教育での学習方法とは違っていました。

コ2 今の学校などでの教育方法とは随分違うようですね。

 父は、その時に応じて何か教えてくれるだけで、「これを何時間やれ」「何回やれ」という、そういう時間と回数に制約された教え方は一切ありませんでした。
ここが今の現代教育とは一番大きく異なるところでしょうか。

コ2 現在、韓競辰老師が行われているカリキュラムを拝見すると、初級、中級、養生、高級と学習する側に理解しやすい段階が用意されているので、それぞれの段階で何をするか明快なように思います。こうしたことはお父様の代ではなくて、韓競辰老師が整理されたのでしょうか?

 父の代では断片的な手順はあっても、もともとはそういった大枠の教程はありませんでした。私が学んでいた頃には現在のような課程はなく、いま教えている韓氏意拳の初級、中級、養生、高級の教学体系は私が父の教えを編集し設立したものです。

父の代では、その時、その日に応じて「今日は八卦掌をやってみよう」「今日はこういう動作や練習方法があるよ」と教えてくれました。またそうした練習をしているなかで八卦掌の動きを学んでいると途中で「これは太極拳の中ではこう言う名前だった、形意拳だとこの様な名前でこうだった、共通している所がある」などと思い出しては、その時折に思い出したことを即興で教えてくれていました。
父の認識のなかでは、

一人一人の人間が持っている条件には、そんなに大きな差はなく、様々な拳(拳法、拳術、拳学)の流儀にそれぞれ似たところや共通するところがある

と教わりました。形意拳、八卦掌、心意六合八法、太極拳、摔角の基本動作には、それぞれの動きや技に違う名称や特徴はあれど、人間のもっている生命を規範とする条件の中では運動の源は同じであると父は考えていたようです。

コ2 お父様は様々な中国の伝統武術や伝統文化を経験した上で、そのことを御自身が感じた世界観を通じて伝えていたのですね。お父様の代ではどのように拳、武術を修練していたのでしょうか?

 父の経歴も非常に特殊で、私のお祖父さんに当たる韓友三は河北出身で形意拳と八極拳を学び、江南で昔、身分の高い人の護衛・ボディーガードをしていたので実戦経験が豊富でした。その様な経緯もあり私の叔父に当たる韓星垣は総統府の南京城で生まれました。

コ2 お父様の場合は、本当に若いころからお祖父さんに伝統武術を学ばれていたのですね。

 また、父は自分の父親、つまり私のお祖父さんから形意拳を習いながら、叔父さんから摔角(シュアイジャオ)と言う中国のレスリングみたいな流儀を少年期に学ぶなど、本当に特殊な教育を受けて来ました。

父が十代後半の頃、上海では拳(※拳法、拳術、拳学を含む)に対する見識の高い人たちが集り様々な中国武術の会を作っていました。父はそうした中でも当時、中国で名を奮っていた名手たちが集る四民武術社や中央国術館などの練習場に居ました。ですから中国の伝統武術の多くは父が十代のころ既に経験しており、そうしたこともあり17歳の時には上海ですでに武術、拳術の指導者となり教えていました。

父は中国武術においては非常に豊富な経歴を持っていて、中国の伝統武術を深く理解していました。形意拳、八卦掌、心意六合八法、太極拳、摔角など、色々と父は教えてくれました。常に原初の形意拳がどんなものであったか、発生当初の原始的な八卦掌はどういうものであったかということを追求し、私にそうしたことを教えてくれました。

コ2 実践家であり研究家であったわけですね。

 ええ。ですから各武術の流儀が色々と変わってしまう前の姿がどういうものであったのかということを、父はよく知っていました。例えば八卦掌は一番最初に誕生した頃は単換掌と双換掌という2つの動きしかなかったそうです。太極拳についても元々の老三刀がどのような姿のものであったのかを父は教えてくれました。

コ2 お父様は少年時代にお祖父様から中国武術の基礎を教わり、後には中国武術の名手たちに教っていたと伺いましたが、その頃はどう言った人たちから韓星橋老師は学ばれていたのでしょうか?

 私のお祖父さんに当たる韓友三は郭雲深の初期の弟子でしたので河北に伝わる形意拳など自分の武術経験をそのまま父に伝えたそうです。父は先ほどお話したよう後に中国の武術家がこぞって集まるような場所に出入りするようになって、そのなかで伝統的な中国武術の最後の姿を目の当たりにしていました。その様な環境で清朝末の時代に生きていた最後中国武術家たちから習ったり、交流することで学んだりしていました。

(前列右から) 形意 太極 八卦 諸桂亭老師、中央国術館館長 張之江老師、心意六合八法宗師 呉翼輝老師、形意 太極 八卦 姜容樵老師 ※張之江老師は心意六合八法の名手でもあります。 (後列右から) 呂紅八式 尹天雄老師、形意 太極 八卦 韓星橋老師、心意六合八法 陳楚帆老師。(写真提供●日本韓氏意拳学会)

 

そこでは太極拳を孫禄堂(そんろくどう)が指導し、尚雲祥(しょううんしょう)や姜容樵(かんようしょう)が形意拳を教えたりしていました。その頃、心意六合八法の呉翼輝(ごようき)先生も上海にいらして、呉翼輝先生から正式に習ったわけではないのですが交流はあり、父は武術研究家として呉先生を尊敬していました。

生前、父は「あのように文化的にも技術的にも優れている人は本当に稀である」と言っており、また呉先生は多くの武術の文献や文章をまとめたりし中国武術界に大きく貢献していたとのことです。

そうしたものは南京の中央国術館に保管されていて、30年代の写真の中には、そういう先生方と父が一緒に写っている写真もあります。

私が見た本では父や呉翼輝、中央国術館館長の張江之が一緒に写真で載っていて、そこでの父の紹介のされ方が、意拳ではなく、形意 太極 八卦の先生として紹介されていました。これはまだ王先生に会う前の時代の父です。ですから20代前後には既に相当な実力を武術家として持っていたことが伺えます。

コ2 45歳のころの王向斎先生とお会いしたと伺いましたが、それは何年ごろだったのでしょうか。

 王先生が45歳で、1931年か1932年頃だったと記憶しています。父が王先生に出会った時の印象では、王先生の拳が今まで自分が見て来たどの拳(※拳法、拳術、拳学を総括しての呼び方)よりも実質ともに優れていると感じたそうです。
それを感じたその日から、今までの事は一旦はすべて横においてこの人に習おうと、王先生の所で拳を勉強することになりました。

父は15年間ずっと王向斎先生の側についており、王先生の養子にもなりました。武術の指導を中心に家のこととかも手伝いながら、家族のように一緒に王先生と生活をし過ごしていました。

コ2 韓競辰先生ご自身は王向斎先生に会ったことがあるのでしょうか?

 没有(ありません)。父は1946年に北京から上海に戻りました。また1956年には上海から新彊ウイグル自治区に越しました。その頃の私は生まれたはがりで小さかったので、王向斎先生には御会いしたことはありません。

※本記事では、中国では年齢を問わず“先生”のことを“老師”と呼ぶ慣習に倣って表記しています。

(第一回 了)

 

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–Profile–

国際韓氏意拳総会会長 韓氏意拳創始人 韓競辰導師
韓星橋先師の四男で、きわめて明晰な拳学理論と、卓越した実力の持ち主。現在韓家に伝わる意拳の指導に力を注ぎ、意拳の更なる進歩発展のために努められている。
国際韓氏意拳総会会長。(日本韓氏意拳学会 Web Siteより)

Web site 日本韓氏意拳学会