コ2【kotsu】特別インタビュー  『大図解 陳氏太極拳』発刊記念、陳沛山老師 02

| コ2【kotsu】編集部

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様々な門派がある中国拳法の中でも、恐らく世界的に最も普及しているのが太極拳であり、その源流とも言えるのが陳氏太極拳だ。

その陳氏太極拳の創始者直系伝人であり陳氏二十世・陳沛山先生がこの程、『大図解 陳氏太極拳』を日貿出版社より発表した。本書では、陳氏太極拳の歴史から理論、技法までを網羅、一路はもちろん、炮捶とも呼ばれる二路を完全掲載。高速度撮影により空中姿勢を含む、激しい動きも全2241枚の連続写真で紹介している。

そこでコ2【kotsu】では、本書の発売を記念して、数回に渡り著者である陳沛山先生に、本書とご自身の修業の道程を伺った。

コ2【kotsu】特別インタビュー

『大図解 陳氏太極拳』発刊記念、
 陳氏二十世 陳沛山老師 第二回

語り陳沛山
聞き手・構成コ2【kotsu】編集部

 

父・立憲師と叔母・立清師から受け取った「感覚の記憶」

コ2【kotsu】編集部(以下、コ2) ところで、先生がお父様や叔母様から教えを受けていた頃の話に戻りますが、印象に残っているエピソードはありますか?

 父の陳立憲は優しくて、ほとんど怒らない人でした。指導を受けるときも、怒られたことはなかったです。教わる際に、私はあまり怒らせるようなことをしなかったからかもしれませんが。でも、ちょっと顔を険しくする瞬間が稀にあると、それだけで迫力があって、そんなときは弟子も、我々子どもたちも、皆、気を引き締めるのです。怒りを表面に出さず、また普段はあまり笑ったりもしない、真面目で実直な人でした。

父・陳立憲師(陳氏第十九世)(『大図解 陳氏太極拳』27頁より)

 

そういえば、一度だけ、父を困らせたことがあります。文革の終盤の時期だったと思いますが。演武会があって、当時小学生くらいだった私も出場したのです。その演武会は、町の武術の愛好家が作った協会と市体育委員会の主催で、父はその副会長でした。

その時、父と仲の良い先生が私のための表演服を用意してくれたのですが、そのズボンがものすごく太くて、脚が短く見える。私は父に、「この格好じゃあ出られない、少しだけでも直して欲しい」と抵抗したのです。
父は、直している時間は無いし、表演服を用意してくれた先生にも失礼だから、「とにかくそれで出なさい」と言う。私がいやだと抵抗をしていたら、父は仕方なく他の表演服を持って来てくれたので、私はそれを着て表演をしました。懐かしい思い出です。

コ2 昔の武術家たちの素顔が垣間見えるような話ですね。叔母様の陳立清師とのエピソードも何か教えてください。

 叔母と初めて会ったのは、文革がいくらか平穏になったところです。私の家に来て、稽古を付けてくれたのですが、その最中、叔母はずっと泣いていた。文革中は武術の練習が中断し、このまま陳家の伝統が失われてしまうのではないかと不安だったようです。文革が終わってやっと武術を教えられる、陳家の将来はまだある、と安心したのでしょう。

コ2 陳立清師というと、とても厳しい方だったと伺っています。

 そう、厳しかったですね。でも、私のことを大事に思ってくれていて、仲が良かった。まだ子どもだった私と、夜、一緒に寝ることもありました。

練習は厳しくて、叔母は座ったまま稽古を付けてくれるのですが、鶏毛撣(ジーマオタン)と言うホコリを払うハタキの竹製の柄の部分でビシバシと叩かれました。肩、肘、手、お尻、頭など、良くない部分を叩くのです。強くはないですが、やっぱり怖かったですね。站椿功で、脚がグラグラになるまで立たされても、「約束の時間まで、あと3分あるよ。がんばって」と言う。最初に決めた時間はキッチリとやれるような、男らしくなって欲しいと、私に思っていたようです。あと、叔母とは、私が高校から大学を卒業する位まで、よく推手をしました。推手の時は、ベッドに布団を敷いて置くのです。

コ2 えっ、どういうことですか?

 そのベッドの上に、私が推手で飛ばされるのです。マットの代わりですね。

コ2 立清師と手を合わせた感触というのは、どんなものだったのでしょう?

 叔母の腕を触ると、綿のような感じでした。フワーッと柔らかくて、訳が分からない。推手をすると、私はフワーッと回されて、飛ばされる。それでベッドにドンと落ちる。本当に不思議でした。

叔母・陳立清師(陳氏十九世)と推手をする著者。(『大図解 陳氏太極拳』26頁より)

 

コ2 お父様の立憲師の推手はどうだったのでしょう?

 父の場合は、とにかく纏絲が小さい。手を合わせると、こちらの力が抜けてしまう。身体のどこを触っても化勁してしまう。やっぱり訳が分からない。子どもの頃の私は、動きの小さい推手は面白くないと思っていた。よく分からないし、地味でしたし。子どもの頃は、跳んだり、蹴ったり、派手で激しい動きの方が好きでした。

小架二路は子どもの頃から好きな套路でした。でも、私が成長して、内勁のことなどが分かってくると、これは高級な技だと気付きました。見た目に華やかではなくても、触れた瞬間に相手を制すことができるような、高級な武術があるのだと、徐々に分かってきたのです。

コ2 そういう経験によって、感覚の記憶のようなものが身体に染み込んでいて、現在の沛山先生があるのでしょうね。

 そうですね。直接身体で覚えているものです。我々は「喂勁(ウイジン)」と言って、親が子に食べ物を与えるように、いろいろなものを与えて育てていくことを大切にしているのです。

コ2 そういう、感覚の記憶を身体で伝えていくというのも、伝統の役割なのかもしれませんね。

 

定性的に捉える学び方に秘密がある

コ2 ところで、先生が子どもの頃は、理論についてはどのくらい知っていたのでしょうか?

 理論はたくさん勉強しました。父は接骨治療をしていましたから、経絡や薬学、解剖学にも詳しかった。父がそれらについてまとめた書籍もあります。
子どもの頃は、家に人体の骨や経絡を書いたボロボロの図がありました。それは大きなもので、使う時には床に広げて見るのです。それを何回も見て、「手首には7つの小さな骨がある」とか、「人体で最小の骨は耳にある」「男女の骨格の違い」など、骨の構造の基礎を勉強しました。それらを暗記するための、諺や歌もありましたよ。

コ2 子どもの頃から、太極拳の練習と平行して、経絡と解剖学の勉強をしているとは、意外です。今ではあまり聞かれないように思えます。

 本来はするべきでしょう。套路をひたすらやるだけではなく、人間の構造についての勉強も、推手などの対人稽古もやらなければならないのです。

父は、ある筋肉を刺激すれば、呼吸が止まるとか、手が上がらなくなるとかにも詳しくて、これらのことを経絡や解剖学で説明しました。このあたりは危険ですので、秘伝として表には伝えない技術です。

コ2 陳家溝の他の家でも、そのような教え方をしているのですか?

 それは分からないです。ただ、私の家系がそうでした。私は父から教わり、父は祖父や父の叔父から教わっています。

コ2 陳先生ご自身も、お父上も建築の専門家でいらっしゃいますが、太極拳の理論との繋がりはありますか?

 正確に言うと、父も私も、建築エンジニアです。私の場合は、超高層や大空間構造物の耐震強度などの構造計算を含めた形態デザインや設計が専門で、つまり構造工学です。ですが、父の時代は建築家があまりいないので、建築家と構造エンジニアの区別はなく、いろいろやっていました。

父がはっきりと建築と太極拳を結びつけるような説明をした覚えはありませんが、父の教え方はエンジニアらしく、梃子の原理や、回転のモーメントなど力学的な教え方が上手で、分かりやすかった。例えば、物理的なエネルギーのことを、中国語で「能量(ノンリャン)」と言うのですが、これは切り分けられない、個数として数えられないものです。

太極拳の動作や、それに伴って動くエネルギーも、切り分けることができない。現代の人は、すぐに細かく分けて考えようとしますが、切り分けられない概念もある。父はそういうイメージで太極拳を捉えていたように思います。

コ2 なるほど。それは現代の日本人にはない認識かもしれませんね。

 私自身としては、構造工学と太極拳の原理を活かす研究をしています。建築の構造計算と言うのは、数学と力学解析を駆使する学問で、数値で決まっているもので、言ってみれば「非人格的」なハードなものです。一方で建築におけるデザインや美観というものは、文化と哲学、人間の感情に関わるソフトなもので、「人格的な要素」が必要です。

「非人格的」と「人格的」な要請、これらを一体にして表現すると言うのは、陰と陽を一体にして表す太極図のようなものです。この考え方を構造工学において活かせば、デザイン的に美しく、かつ構造的機能性と安全性を確保できる構造体、芸術的な構造体が生み出せる。そういう研究論文を書いたことがあります。

コ2 日本で太極拳の理論を説明する場面において、中日の文化・習慣の違いを感じたご経験はありますか? エピソードがあれば教えてください。

 私が日本に来たのが1988年なので、来年で30年になります。その頃から随分、練習に参加する人数が増えましたし、皆さんのレベルが上がってきています。中国人と日本人の違いと言えば、中国人は「定性的」にものごとを捉え、日本人はよく「定量的」にものごとを捉える傾向があるように思います。

定性的に捉えるというのは、変わらない本質的なものを捉えるということです。定量的に捉えるというのは、外観の形を捉えるということです。日本の生徒は、定量的に学ぼうとする傾向があるので、套路の形にこだわってしまう。「昨日やった動きと、2センチくらい違う」と。

我々は本質が変わらなければ、僅かな形の違いは気にしない。また、目的を達成する手順や手段を気にする傾向にあるのが日本人で、中国人は目的を達成することを一番に考え、手順や手段は二番か三番です。推手の目的は相手を倒して、勝つことですので、動きの形やルールを自由に変化することは当然なのです。

コ2 なるほど、その傾向はあるように思えますね。

 このあたりの考え方の違いを理解しないと、例えば、推手が分からないでしょう。相手と手を合わせて回すにしても、形ばかり気にしていては、本質を学習できない。そこは定性的に考えてほしい。推手だけでなく、散手もそうだし、套路もそうです。

コ2 それは、日本の武道愛好家にとって、とても参考になるお話ですね。それを意識できるかどうかで、套路の学び方が変わってくるように思えます。

(第二回 了)

 

大図解 陳氏太極拳

太極拳の創始者直系伝人、陳氏二十世 陳沛山が陳氏太極拳の歴史・論理・技法を網羅した決定版! 上製本全535ページ、連続写真全2241枚による詳細な解説写真で、ビデオでは分からない細かな動きをしっかり確認できます。 収録内容は、小架一路はもちろん、これまであまり公開されることのなく、“陳氏太極拳の源流”とも言われる貴重な小架二路(炮捶)を完全公開。激しい動きも高速度撮影で完全にフォロー、気になる空中姿勢もしっかり分かります。さらに推手、套路用法、実戦用法まで網羅した歴史的な一著です。

大型本: 535ページ
定価:6000円(税別)
出版社: 株式会社 日貿出版社
言語: 日本語
ISBN-13: 978-4817060150
発売日: 2016/7/21

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–Profile–

陳 沛山(Chen Peishan
1962年、中国河南省生まれ。原籍は太極拳発祥の地・中国河南省温県陳家溝。陳氏太極拳の第20世伝人。幼少の頃より父・陳立憲から家伝の太極拳を学び、叔母・陳立清の厳しい指導を受ける。陳氏太極拳小架一路、二路、推手、擒拿及び刀、剣、鐗、棍、春秋大刀等の武器を得意とする。特に太極拳実戦法、健康理論の研究を重視している。1988年に来日し、構造工学を学び博士号(工学)を取得する一方、陳氏太極拳の指導・普及を行う。現在、九州工業大学大学院教授、(中国)河南大学兼職教授、西安建築科技大学客座教授、陳氏太極拳協会主席、国際陳氏太極拳聯盟(ISCT)主席を務めている。 主な著作に『太極拳のインナーパワーで強いカラダになる』(学研ムック 2005年)、『宗家20世・陳沛山老師の太極拳「超」入門』(BABジャパン 2012年)など多数。映像作品に『VHS 家傳陳氏太極拳』(BABジャパン 1999年 日本語版・英語版)、『DVD 新版家傳陳氏太極拳』(クエスト 2015年 日本語版・英語版)など多数。

Web Site:陳氏太極拳協会