「お能ののの字〜 舞台から観る能楽散歩」 第三回 「美しさ」は何に宿る?

| 柏崎真由子

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金春流のシテ方である柏崎さんが、演者として身ひとつで舞台に立つ側から観た、お能のあれこれを綴ります。
 連載の第三回目は「美について」です。美は“本質(存在そのもの)”か、“性質(付与されるもの)”か。子供の頃から感じていた疑問を解くのに、学生時代に花と向き合う作品を制作したという、柏崎さん。その疑問は、能楽師となった今、解消したのでしょうか。それとも……。

「お能ののの字〜舞台から観る能楽散歩」

第三回  「美しさ」は何に宿る?

柏崎真由子

 

砕かれた花に、美はあるか

人は何故、花を見て「美しい」と感じるのだろうか。

「美しい」という感覚は、私の内部から生成される純粋なものなのだろうか。この感覚は、環境による刷り込み? それとも、命を尊ぶ本能からくるもの?

もしかすると私たちは、花に騙されているのかもしれない。

昆虫を鮮やかな色彩や甘い香りでおびき寄せ、受粉の“道具”として使役するように。

小さな頃より“美しいもの”にひと際、関心のあった私にとって、この疑いは自分の根本を揺るがしかねない危険な問いだった。

美術大学の学生だった頃、生花(せいか)を素材に、試験的な作品を制作した時期があった。作品の意図は、主に花の視覚的、嗅覚的要素を否定することに向けられた。

当時の映像作品。ミキサーに薔薇を入れ、粉々にした
写真1:当時の映像作品。ミキサーに薔薇を入れ、粉々にした

 

  • ミキサーに薔薇を入れ、粉々に(写真1)
  • 薔薇の花を布で覆い消臭剤で香りを消す(写真2、左と中央。
    今思えば、重陽の節句で行われる「菊の着綿(きせわた)」のよう)
  • 百合の花に薔薇の香料を付け、布で隠す(写真2、右)。

 

写真2:花の香りを消臭剤で消す(左と中央)、香料を付け布で隠す(右)、という試み

 

仮に薔薇を“美しさ”のひとつの基準とし、それを“壊す”ことで、美しさの特徴を私なりに消失させたつもりであった。

こうすることできっと、花は花でなく何か違う物体になるのでは、そう考えていた。

しかし、期待は見事に裏切られた。制作を通してわかったことは、私の行為は、「薔薇が薔薇である」というその存在をより強く、証明するものに過ぎなかった。どんな行為を以てしても、薔薇は薔薇でしかなく、百合は百合でしかないのだった。

 

能の「カマエ」という美

私が思う「能の美しさ」のひとつに“人”、一人の人がもつ存在の確かさ、強さがあると思う。それは、ただそこに立っているだけで舞台が成立してしまう、圧倒的な強さと究極の表現の形だ。

能の基本的な姿勢を「カマエ」と呼ぶ。これは、頭頂が天井から糸で釣られているように想像しながら背筋を垂直に伸ばし、胸を張ることである。

  • 上半身をほんの少し前へ傾ける(この時、後ろにも意識を置く)。
  • 肘を張り、柔らかいものを抱くように両腕で優しい曲線を作る。
  • 両手は空気の移動する隙を作るよう優しく握る。
  • 腰を落とし(落とす加減は人それぞれ)、膝を曲げ、腰と地面を水平に安定させる。
カマエの姿勢(シテ:金春安明/撮影:辻井清一郎。転載禁止)

 

この「カマエ」の姿勢によって、足の裏と地面の関係がより密接になり、舞台に吸い付くような移動が可能となる

言葉で説明するのは簡単だが、実際にやってみると(しかも無理なく維持しなければならない)、これがとても難しい。

「立つ」「歩く」「座る」。普段、日常的に何気なく行っている動作の一つひとつに美しさを見出し、無駄な動きを省き、磨きをかけ、追求していく。

例えば、風景の一部のように舞台と自分の存在を同化させる。ただ立つ。

それは“自分を消す”という意味ではなく、舞台空間に自分という存在を広げ、巡らす活動なのだ。

 

“自分”を知りたくば…

能を舞い終えた後、採点済のテストを確認するような気持ちで、DVDを眺める。

まず感じるのは、「自分が舞台にとって異物だ」ということだ。

不用意な動きが多い。舞台の上では、左足の指先を少しずらしただけでも物凄く邪魔な動きに感じる。まるで取って付けたように、ふわふわと浮いたような存在となって、舞台という空間に上手く融け込むことが出来ていない。

どうすれば舞台に違和感なく存在することができるのだろうか。

学生時代、初めて能を舞わせていただいた頃のこと。カマエの型を作る時、どうしても手首を捻ってしまう癖が抜けなかった(能では、手首を真っすぐに保つのが基本)。先生にご指摘頂くのだが、どうにもこうにも改善できない。手首を板で固定してみようと、自主稽古の時に実際に挟んでみたこともあった。

どうしても胸を張れず、姿勢補正ベルトを試してみたこともあった。自信がない部分もあったのだろう。

舞台という非日常的空間は、日常の延長線上にあるいうなれば、普段の生活が舞台に出てしまう。稽古の時にだけ気を付けていても仕方がない。

 上半身を引き上げ、出来るだけ綺麗に歩くよう心がける。足を組まない、身体が歪まないようショルダーバッグではなく、リュックサックにする。必要に応じて自主稽古で、自分の舞っている姿を映像に撮りチェックもする。

身体のことを中心に挙げたが、礼儀作法を重んじるということにも繋がってくる。

それでもやはり、舞台経験の積み重ねが物をいうのだ。

 

能の舞台で立ち上がるもの

舞台経験があってこその、と書いたが、単純に舞台の数をこなせば美しさが育つかといえば、それは半分嘘で半分本当だ。

舞台経験が増すごとに、舞台が演者の一日の一連の流れとして生活に組み込まれ、心身ともに力まず、自然に存在することが出来るようになる。舞台という非日常の中にあって存在する、この自然さを観客は感じとるのだ。

勿論その為には、演者の向上心(たゆまぬ努力)、そして正確さ(間違えない)は必須である。しかし、正しく舞えたからといって観客が感動するか?と言えば違う。技術的な美しさや正確さだけを求めた舞台には何も残らない。

「あなた、負けているよ」

数年前の“素人会(趣味でお稽古なさっている方の発表会)”で、あるご婦人の舞台を御覧になった先生から頂戴した言葉だ。曲がりなりにも玄人の端くれと思っていた私にとって、はっと気付かされる言葉だった。

観る人の心に何を伝えるか、何を残すか。このことに置いて、「玄人」、「素人」という線引きなど存在しない。実際、私自身、趣味でお稽古をなさっている方々の舞台を拝見し「ああ、いいな」としみじみ感じ入ることが多々ある。

その方の持っている人間性(本来具わっているものや、人生経験の積み重ねなど)が素直に現れているからではないだろうか。

“それ”は、技術を超えたところにある

能における美しさとは“人間の本質”、煮ても焼いても、ミキサーで粉微塵にしても変わりようのないものが、如何に様々な形で発揮されるかが、能の舞台では問われるのだ。

舞台にしっかりと根を張り、身も心も委ねたところで立ち現れるのがその人自身の持つ美しさであり、舞台という瞬間の熱量なのだと思う。それは、面や装束、そして型、もしかすると物語、役柄さえも超えて、思わず滲み出てしまうものなのだ。

もしかすると舞台において一番大切なのは、人間性を磨くことかも……と思うと、能はやはり“恐ろしい”芸能だ

薔薇を粉々にし、布で覆った、かつての自分(綺麗に咲き誇っている花には申し訳ないことをした)に、言ってやりたい。

小難しいことを考えていないで、自分を知りたければ能を舞え!」と。

(第三回 了)

 

※柏崎さん含の所属する(公社)金春円満井会主催の定例能が2017年9月16日に、特別公演が12月10日に行われます。
9月16日(土)開催の「円満井会定例能」へ、抽選で2名の方をご招待致します(詳しくはページ下の【お申し込み】のところをご覧ください)。ふるってご応募ください!

 

【円満井会定例能】

日時:2017年9月16日(土)12時半開演(11時半開場)
於:矢来能楽堂(東京都新宿区矢来町60)


【料金】

一般5千円 学生2千円

【番組】
能『高砂(たかさご)』 シテ柏崎真由子
能『半蔀(はしとみ)』 シテ本田布由樹
『船弁慶(ふなべんけい)』 シテ林美佐
他狂言1番仕舞6番

【金春円満井会 特別公演】

日時:2017年12月10日(日)1時開演(12時開場)
於:国立能楽堂(渋谷区千駄ヶ谷4-18-1)


【料金】

SS1万4千円 S席1万2千円 A席1万円 B席8千円(学生5千円)

【番組】
能『桧垣(ひがき)』 シテ本田光洋
半能『石橋(しゃっきょう)群勢』 シテ深津洋子
/ツレ村岡聖美、柏崎真由子、林美佐
他狂言1番仕舞3番

【お申込み】
担当:柏崎まで
TEL. 090-6213-0071
mail. hashimoto_noh(@)mail.goo.ne.jp
※(@)を半角の@に変えてお送りください
9月16日(土)開催の「円満井会定例能」へ、抽選で2名の方をご招待致します。申し込みは、メールでのみ受付致します。

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–Profile–

 

柏崎 真由子(Mayuko Kashiwazaki
北海道函館市出身。シテ方金春流能楽師、(公社)能楽協会会員。東京造形大学(絵画専攻領域)在学中に能と出逢い、能楽師の道を志す。卒業後、八十世宗家金春安明、高橋万紗に師事し、2016年『乱』を披演する。2016年に金春流女性能楽師の会「み絲之會」を旗揚げ、第1回公演を11月18日に行う。

Web site(ブログ):まいあそび*うたいあそび