2017年8月17日(木)、新刊『生きる稽古 死ぬ稽古』発刊記念イベントが東京・八重洲ブックセンターにて開催されました。こちらでは著者である藤田一照先生と伊東昌美さんが、【生と死の不思議を笑って語ろう】というテーマで、本書のできた成り立ちと、そのなかで見えてきた遠くて近い生と死とどう向かい合えば良いのかについてお話しいただきました。
コ2では、当日の模様を連載でお届けします。また本でも使われている、3年弱の取材の間に撮影された茅山荘でのお写真も紹介していく予定ですのでお楽しみに。
『生きる稽古 死ぬ稽古』(日貿出版社)出版記念
対談/藤田一照×伊東昌美
【生と死の不思議を笑って語ろう】
第5回 感情は速い
語り●藤田一照、伊東昌美
構成●コ2編集部
協力●八重洲ブックセンター
「家族のありがたいところは、
遅かれ早かれ仲直りしなきゃいけないこと」(藤田)
伊東昌美(以下、伊東) 私の中で何度も思い出し笑いしてしまうことがあって、「怒ったことを書いてください」って言ったとき、最初は一照さん「怒ったことない」って言ってたんですよ。「本当ですか。何も思い当たりませんか」と何度も何度もやっていたら「一回だけある」って思い出してくれて、それは「どうしても新しいパソコンが欲しかったんだけど、連れ合いが許してくれなかった。あれは腹が立った」と言って。
藤田一照(以下、藤田) はいはい。
伊東 そのときに頭にきて、お箸を食卓にぼんと突き刺したというエピソードがありまして、それが人間らしくてすごく私のつぼに入って(笑)。この本のことを思うたびに思い出してます(笑)。
藤田 あれは「何で賛成しないんだ、俺が必要だから欲しいって言ってんのに何でそれがわからないんだ!コンチクショー!」っていう感じの怒りでしたね。
伊東 そっちですね。
藤田 やっぱり僕は高校以来一人暮らしが長かったのと、何ていうんですかね、タイプとして、「思ったことは誰にも邪魔されずにやりたい」っていうところが強いんでしょうね。今もそうですけど、「こうしたい」っていうことに、逆に正当な理由で逆らわれると怒りのやり場がないので、しようがないからその辺のものを投げつけるとか、やっちゃうんですよ。たまたまそのとき眼の前に自分の箸があったので、全く意味はないんですけど、八つ当たり的にぶち壊したくなるんですよね。
そのエピソードを思い出した途端に芋づる式に、「ああ、あれもあった、これもあった」と怒りの実例を次々思い出しましたね(笑)。
家族のありがたいところって、そういう後悔するような行為をやっちゃっても、遅かれ早かれ仲直りしなきゃいけないことですね。それから何時間か後には、一緒にご飯食べなきゃいけないでしょう。
伊東 そうですね。
藤田 そこから逃げてそれでおしまいにできないですから。それが家族の素晴らしいところじゃないですかね。壊れた関係をどうやったら修復できるかというのをいろいろ考えるわけです。手紙にして「ごめんね」とか、土下座するとか(笑)。
伊東 今までにない「人間藤田一照」が入ってますから。
藤田 そんな変な言い方しないでください。僕は前から人間ですよ、ずっと。
伊東 一照さんの出す堅い本には、書いてない部分ですね。
藤田 そうか、僕の本を読む人たちにはそんな振る舞いをする一照は考えられないかもしれませんね。たとえば、傘で……。いや、もうやめとこう(笑)。
伊東 いろいろ出てきますね(笑)。
藤田 そうです、話せばいろいろ(笑)。
伊東 きっかけさえあれば、男の方で「感情が出てこない」って方も、「本当ですか、本当ですか」と問い続けていくと思い出すと思いますので、是非ご自身の感情にも触れてみてください。
藤田 僕は結構、涙もろいですしね。いまだにアニメの『ハイジ』見るとクララが立ったところで泣いてしまいますし、漫画を読んでてもそういう時がありますしね。だから、それはいいんじゃないですかね。心がそれだけ生き生きして反応してるってことで。
問題は、例えばネガティブな感情が出たときに、それをどうするか、その後の態度が大事だよっていうお話しです。どこかで聞いた歌詞がありますよね。「勝った負けたとさわぐじゃないぜ あとの態度が大事だよ」(「どうどうどっこの唄」唄:水前寺清子 作詞:星野哲郎 作曲:安藤実親)っていう。確か、水前寺清子の歌でしたっけね?昔過ぎて知らない人が多いか(笑)。
司会 でも、良い歌詞ですね(笑)。
藤田 感情って頭の思考より動きが速いです。体の問題ですから。落語なんか聞いてると分かると思いますけど、オチに行く前まででかなりボルテージが上がってるんですよ。最後に何かぽろっと言うとそれがきっかけで爆笑するっていう、そういうのが本当の笑いですよ。聞いて、「ああっ、これは面白いな」と考えてから笑うんじゃないんです。もう笑うギリギリのところまで、笑いが喉元まで来てて、最後のぽろっと下げを言うところの間とか声の大きさとかうまいタイミングでダムが決壊するみたいな形で笑いが飛び出してくる、そういう直接的なものなんです。
だから、多分僕が「このやろう」って行為に出したときには、もうずっと前に怒りが始まってるんですよ、感情は速いから、そこを捕まえられるようにならないと止めようがない。それには本物の感情じゃなきゃいけない、本当の怒りじゃないと稽古にならない。仮想の状況でのシミュレーションのような練習ではいざという時には通用しないんです。
伊東 そうですね。
藤田 だから、そういう本物の怒りを感じることができる場を与えてくれる家族、あるいは本物の嫉妬を味わせてくれる場を与えてくれる職場、マジで殺してやろうか、と思うような上司とかいるわけじゃないですか。そこで、その感情から逃げないで、今までだったら落ち込むか我慢するか、酒を飲んで忘れるか、愚痴を言って憂さ晴らしをするかだったところで、新たな第3の道を探す。
しかもシミュレーションとかワークブックの上じゃなくて、リアルな現場でやるっていうことですよ。だから、そういう現場でリアルなチャンスを与えてくれる家族や職場はいわば道場でもあるわけです。もちろんそこにいればみんな修行になるっていうことはないですよ。こちらの取り組み方次第です。
こちらがそういう態度で臨んでなきゃ、家族も職場もただ単に苦しいだけで、何の成長にもつながらない。下手をすればそれこそ殺人事件や傷害事件の方にいってしまうかもしれないけれど、そうならないための準備や訓練というものをもっと真剣に考えてもいいんじゃないか。
そういう時に、仏教が何らかの寄与ができるのではないか。家族を持つことや職場を持つことが、単なる慣習とか金稼ぎのためじゃなくて、もっと積極的な意味を持って生きることに関わってくるような場にどうやったらなっていくのか。そのことが多分、社会を根底から変えていくのではないか。家族や生業の問題は色々なことを変えていく突破口の一つになるんじゃないかなというふうに僕は思ってるんです。
そういう意味では、ジブツタはそういうスケールの大きな使命の一翼を担っているので、そういうことも時々は話題にしてもいいんではないかなと思いますね。
伊東 ありがとうございます。
司会 今、仰った現代の社会に仏教がどういう役割を果たすかというのは、実はコ2での連載時には少し入っていましたね。
藤田 全然覚えていないです。
司会 実は入っていたんです(笑)。ですがもう一つまとまらなかったので、今回の本の中には収まっていないんです。
藤田 この本はいわゆる仏教書みたいな感じでは作らないようにしようね、みたいな話もしましたよね。
司会 はい。さっき伊東さんから「自分は分からないから、しつこく“それだと分かりませんと繰り返しました”と仰っていましたが、冒頭で少しお話ししたように、編集側の意図よりも先に分かっちゃうことが多かったんで、こちら側から「もうちょっと粘ってください」と随分しつこくお願いしました。
藤田 そういえばありましたね。
司会 やっぱり私も最初の打ち合わせの際に、この本の中にも登場するキリスト教で言うところの「カテキズム」と同じで、仏教もあらゆる質問に対して答えが用意されていて、それを聞いていると、なんだか分かったような気がしたんですね。だけど、後で考えるとやっぱり悩みが解消されたわけではないし、分かってない。
伊東 そうですね。
司会 「これは結構厳しいな」っというのが本当にあったんです。横で聞いていて、結構、伊東さんが先回りして答えてしまう。それはインタビュアーとしては当然の態度なのですが、それだともう沢山ある、「仏教のありがたい話の本」になってしまうという危惧がすごくありました。
藤田 編集者として、それはどうしても避けたかったんですね。
司会 はい。ですから伊東さんには「ちょっと分からず屋になってください」と。「その結果、ちょっと険悪な雰囲気になってもいいですよ」とお願いしたくらいで(笑)。
伊東 実際には険悪にはならなかったですよね。
藤田 それはやっぱり、僕がかなり感情に関して修行してきた成果だと思いますけども(笑)。
司会 あれは修行の成果だったのですね(笑)。とにかく編集サイドとしては、あまり綺麗な仏教書にならないように粘ってもらって、その結果、出てくる結論は同じでも、藤田先生というフィルターを何度も濾すことで、ちょっと腑(ふ)に落ち方が違う過程や言葉が現れたのが、この本の価値だと思っています。
藤田 僕は対談するときは、大抵、例えば詩人の伊藤比呂美さんとの対談も本(中公新書『禅の教室 坐禅でつかむ仏教の真髄 』)になってるんですけど、伊藤比呂美さんも「アタシは(禅について)全く何も知りません。それでどこが悪いんだ!」みたいな、開き直った人で、ぐいぐい食い下がってくれたのが良かったですね。
僕も、対談の相手がお坊さんだったり、哲学者だったりすると話が面白くて、読者を無視して暴走しちゃうっていうところがあって、だけど女性の方っていうのは、腑に落ちないと、体に納得がいかないとはっきりそれを言ってくれる。あるいは態度で示す。だから僕にとって女性と対談するっていうのはそういう意味では、思うようにす~っと行かないところが逆にいいなと思います。
伊東 初めてお会いしたときに「聞いてくれないと分からない」っておっしゃったんですね。「どこが分からないのかが分からないので、分からないんだったらどこが分からないのかを聞いてくれ」と言われましたね。
藤田 そうでしたね。
(第五回 了)
新刊情報『生きる稽古 死ぬ稽古』(藤田一照・伊東昌美著)
「絶対に分からない“死”を語ることは、 同じく不思議な、“生”を語ることでした」
私たちはいつか死ぬことをわかって今を生きています。
でも、普段から自分が死ぬことを考えて生きている方は少ないでしょう。
“あらためて、死ぬってどういうことなんだろう?”
この本は、そんな素朴な疑問をエンディングノートプランナーでイラストレーターをされている伊東昌美さんが、禅僧・藤田一照先生に伺う対話となっています。
人生の旅の果てに待っているイメージの死。
ですが藤田先生は、
「生と死は紙の裏表みたいなもの」で、
「生の中にすでに死は忍び込んでいる」と仰います。
そんな身近な死を語るお二人は、不思議なほど“愉しい”様子でした。
それは、得体の知れない死を語ることが、
“今この瞬間を生きている奇跡”を感じるからだったのかもしれません。
そう、死を語ることは生を語ることであったのです。
“どうして私は生きているのだろう?”
一度でもそんなことを考えたことがある方へお薦めします。
単行本(ソフトカバー): 255ページ
出版社: 株式会社 日貿出版社
ISBN-13:978-4817082398
発売日: 2017/8/22
全国書店、アマゾンで好評発売中です。
藤田一緒先生が登場する、セミナーのお知らせ!
来る11月5日(日)、藤田一照先生と刀禅創始者・小用茂夫先生によるコ2企画・コラボレーションセミナー「静中の動を身体に問う」が開催されます。藤田先生ならではの禅へのアプローチと、日本発のボディーワーク・刀禅とを一緒に学べる貴重な機会となっています。お見逃しなく!
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–Profile–
●藤田一照(Issho Fujita)写真右
1954年、愛媛県生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程中退。曹洞宗紫竹林安泰寺で得度し、1987年からアメリカ・マサチューセッツ州のヴァレー禅堂住持を務め、そのかたわら近隣の大学や瞑想センターで禅の指導を行う。現在、曹洞宗国際センター所長。著書に『現代座禅講義』(佼成出版社)、『アップデートする仏教』(山下良道との共著、幻冬舎)、訳書にティク・ナット・ハン『禅への鍵』(春秋社)、鈴木俊隆『禅マインド ビギナーズ・マインド2』(サンガ)など多数。
Web site 藤田一照公式サイト
オンライン禅コミュニティ磨塼寺