去る11月5日に行われたコ2【kotsu】発のイベント「静中の動を身体に問う」で行われた、禅僧・藤田一照先生と刀禅創始者・小用茂夫先生による対談の模様を数回に分けてお伝えします。
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コ2【kotsu】イベント“静中の動を身体に問う”より
対談/藤田一照(禅僧)×小用茂夫(刀禅創始者)
第一回 検証性を求めて
語り●藤田一照、小用茂夫
構成●コ2【kotsu】編集部
「刀禅は、“レッスン1”ではなく“レッスン0”」(藤田)
藤田 小用先生に初めてお会いしたのは、フィットネスセッションという、アスリートのコーチのような仕事をしている人たちが集まって、三日間ぐらいに渡って沢山の講座を受けられるイベントでしたね。
私もどういうわけか坐禅をそういう文脈の中でやってもらいたいというオファーがあって、その時が小用先生とお会いした初めてでした。
小用 そうですね。
藤田 その時に先生の講座に加えて頂いて、初めてこの刀禅というものを経験しました。その後にも武術の雑誌「秘伝」の取材で一度お会いすることがあって、喫茶店で色々お話をさせて頂いた後で、実際の稽古にも参加させて頂いています。
刀禅については、武術に展開する以前の一番基礎になる体の稽古法、レッスン1じゃなくてレッスン0。1、2、3……と展開する前の原点的なところに焦点を当てて、そこに小用先生がこれまで学んでこられたものを材料にして武術以前の体の稽古法を純粋に学ぶものなんじゃないかという印象を僕は持っています。
武術と言うと突きとか蹴りとか投げといった具体的な争いのことを思い浮かべるんですけど、刀禅のお稽古の中ではそういう暴力的な光景が全然見られなくて、そういうものの手前にある非常に大事なことを静かに学んでいるという印象です。
小用 恐れ入ります。
藤田 僕も坐禅をずっとやってきているんですけれど、実は坐禅ができる体というものが育っていない人が非常に多くて、そういう人が坐禅を教えられた通りやっていると、苦しいのを我慢するという苦行にしかならないケースが非常に多いんですね。
体の痛みとかしんどさとか、そういうものと戦ってしまうか、ひたすら耐えてそういうものを通り抜けていこうとするという二通りしか道がないんですね。
一つは負けてしまう。悪い形、悪い姿勢のままで痛みに耐え続けるというやり方で、もう一つはがんばって戦うという方法。けれども、その場合でも自分がそれまでやってきた方法で、ひたすら頑張るだけなので結果的に解決にはならないわけです。
そういう状況に対して、伝統の中に昔はもしかしたらあったのかもしれなのですが、今はそれに対するどうするのかというちゃんとした手立てが全くないわけです。
僕はアメリカで禅の指導をする期間が長かったので、椅子に坐る文化のなかで育った、体格の大きい人たちを相手にすることが多かったのです。ですから余計に、今言ったような問題に直面していました。そこでどうしたらいいかと言うことで、仏教の外側のボディワークや武術の世界などに何か局面を打開するヒントがないものかと助けを求めてきたんです。
武術の基礎、あるいはそれよりもっと手前のところにある僕らの体のあり方とか用い方、身体観、そういう一般的に武術として語られることよりもずっと手前のところに問題意識があったんです。
それで日本に帰ってきてから、「日本発のボディーワーク」という刀禅のことを知り、僕の理解のレベルは非常に浅いものですけれども、それでも先生のやっていることと共通するものを感じて凄く興味を持ってきました。今回、こうやってご一緒させていただくことができたので、その刀禅のことをもっと深く知って、さらに先に行きたいと思っています。
ここまで小用先生何かコメントありますでしょうか?
小用 とても良いところを見ていただいて、また分かりやすく説明していただきまして感謝しています。禅においてもやはり同じようなことを課題として感じていらっしゃる方がおられるということが非常に心強いことです。
我々が考える禅というのは一つの動きの世界、武術世界から見ると、静の行を深く専門的に行ずるというなかで基本的なことはもはや歴史的に解決済みなのではないかと思い込んでいました。だから昔から多くの剣客などがどこかで行き詰まると禅に学びに行くということがも繰り返されたのではないかと。
「刀禅」と名称に“禅”を冠したのは、人は根底から変われるのかという模索を続けていく中で、大きな動きから小さな動きへ。瞬間的な動きから持続的な動きへと、稽古の内容が“動”から“静”へ向かって収斂していく。いわゆる武術的な稽古からどんどん離れていって、禅的なものへ近づいているのではないかと思えたからなんです。そして静の持続のほうに価値をおくようになっていったわけです。
「刀禅は検証性を模索する果てに辿り着いたもの」(小用)
藤田 坐禅の場合は一人で行うものなので、ともすると自己満足というか、自分の中で完結しまって独善的になる落とし穴があるような気がするんですね。本当は「できている気がする」程度なんだけど、当人は「できている」と思ってしまう。内に閉じた感じで、さらに奥に展開していかないで停滞するという、危ないところがあるんです。
その点で刀禅の場合は常に相手がいて、自分の改善すべき場所を気づかせてもらえる、それも後から気がつくのではなく、実際にやっている最中に気づいて改善していくということが可能です。さっきも横で拝見していたのですが、あれは掛け拳というのですか?
小用 あれは「掛け拳」ですね。手を開いて行うのを「掛け掌」と言います。
藤田 相手と一緒に手を切り結ばせて、自他の状態を感じ合いながら、その都度リアルタイムの修正を現場でおこなっていくところにすごく実践的と言うのもおかしいのですが、学び方のコツがつかめれば、じっとしているようですが凄くリアルな学びが起こるという感じがしました。
禅の修行法の中にも、一人で自己完結していくようなものに加えて、相手との交流の中で自分を鏡に映していくようにして、自分を客観的に知っていくというやり方もなければいけないだろうなと感じています。
もちろん禅でも師匠と出会ったり先輩と話したりということはあるのですが、体の使い方、体に関することでそういう稽古が確立したら坐禅の深まりに凄く有益なんじゃないかと思うんです。
小用 我々も稽古の中で「もうできたんじゃないか」という思い上がりにすぐなりがちで、私なんかもそういう勘違いに何百回も立ち合ってきていて(笑)。そういうことが起こらない検証性というか、実証確認されていく方法というのがないものかという、模索の中で辿り着いてきたわけです。
もう一つは、「お互いの中で」ということと、「道具を使う」ということで、道具と己の体の中とを照らし合わせて照合していく。そうしたことをしないと「できたつもり」になってしまうんですね。つまり道具を検証のための装置として、それを相手との間に置いておこなう。
藤田 もう一つだけいいですか。僕が刀禅から取り入れたいというか盗みたいと思っているのは小用先生の指導の仕方なんですね。
坐禅の場合は先生が指導するといったら外から坐っている人を見て、その姿勢の悪さ、「猫背だから良くない」とか「腰がじゅうぶん入っていない」とか、外から見た形で指導をおこなっていることが多いわけです、結局それは直す人が良いと思う形を押し付けていることになってしまって、坐っている当人にとっての本質的な学びにならないんですね。
やっぱり感覚の世界の話なので見えないことをお互いの中でやりとりして、そこに何か改善なり深まりなりをもたらさなければいけないんですけど、そのルートが今のところないんですね。
それで先生の指導の仕方はそういう体の感覚的なところにも、言葉を使って言われているので、そういう体の見方、感じ方、語り方を坐禅の指導の中にも取り入れていきたいなと思っています。今日はそういう二つの思い・目論見があります。どうぞよろしくお願いします。
小用 心許ない限りですができるだけ応えられるように頑張っていきたいと思います。
動画のご案内
現在、コ2フェースブックページでは、当日の模様をダイジェスト動画で紹介しています。こちらからご覧ください。またページへの「いいね」をして頂けると、動画を含む更新情報が届きますので是非この機会にどうぞ!
(第一回 了)
刀禅、「刀法講習会〈その5〉」のお知らせ
来る12月17日(日)、小用茂夫先生が直接指導される、「刀法原理:正中心面の中段・上段位の太刀筋をボディワーク刀禅の観点で学ぶ」が開催されます。動画でも紹介されている竹尺を使ったワークも行われる予定ですので、ご興味おありの方は是非どうぞ。
■日時:2017年12月17日(日)午後2:10-4:30(受付1:30-)
■場所:埼玉県蕨市。お申し込み頂いた方にお知らせいたします。
●内容:日本刀によってもたらされた心身の飛躍という高度な変容について、原理的な解明を目指していきます。竹尺を使用して竹尺ならではの特性を活かし、刀法入門の段階からその究極の水準に至るまで、不可欠となる厳格な基準性と刀法のエッセンスをお伝えします。刀禅独自の方法を初公開し、それらを丁寧に紹介し学んでいきます。
●注意:いわゆる剣術の勝ち負け技法はお伝えいたしません。また剣術諸流派の伝統的教習体系とも全く異なる方法となります。刀法のセミナーとは思えぬと面食らうかもしれません。伝統的な身体智を喪失した平成時代の身体が往時の高度な境地を獲得するにはどのようなアプローチが必要なのか、をテーマとする「剣術入門以前の基礎」といった極めて地味な内容となります。それはまた武器としての日本刀から人を活かす機能という新たな価値を見出そうとする試みとなります。迂遠なようでいてそれが刀法習得の早道となり、また応用範囲の広い普遍性を有したものと考え提案するセミナーとなります。
●対象:18歳以上の方。未経験者を歓迎します。
●参加:連続セミナーとなりますが、新規で単発の参加者にも受講可能な内容となります。
●講師:小用茂夫。刀禅古参会員。
●費用(保険費用込み)
○一般:4,000円(初参加者には竹尺一本付)
○刀禅会員:定例会員1,000円、回数会員2,000円、その他会員3,000円(竹尺持参のこと。当日購入の方は+500円)
●懇親会:4000円程度(スペースの関係で早期に締め切る場合があります)
●申込みフォーム:必須です。保険申請の関係で正確にご記入下さい。(名前を知られたくない方はこちらの申込だけでも可です)。前回〈その1〉〈その2〉で申込フォームに記載して頂いた皆様に再三記入して頂くのは大変心苦しいのですが現在のシステムでは省略はできないようです。お手数をおかけして誠に恐縮ですがあらためて記入のほどをよろしくお願いいたします。m(_ _)m
https://goo.gl/forms/yAzcCMZiq9xqhMcH2
●締め切り 12月9日(土)早期締切アリ
申込人数の関係で早期に締め切る場合もあります。
●刀禅とは?
日本発のボディワーク。刀禅は、伝統武術の共通原理を礎に、全ての身体運動の基盤となる根源的な力を養うボディワークです。立つ・歩くという基本的な動作を精密な基準を設け丁寧に行うことで、関節運動を補完し、それを越える内圧運動への転換~機能性と効率性・安全性を兼ね備えた総合密度の高い身体を目指しますが、二人で行う相対稽古により、独りよがりではない、検証性を常に持つワークであることも特徴です。現在、武術家・施術師・ボディワーカー・トレーナー・ダンサー・アスリートをはじめ身体を研究される多くの方々が練行し、各分野で成果を上げています。限りなく奥深いワークではありますが、老若男女問わず、全くの初心者でも御参加できる内容のクラスです。どうぞ、この機会にご体験ください!(「フィットネスセッション2017」紹介文より)
※会場へのお問合せはご遠慮願います。
藤田一照先生の新刊『生きる稽古 死ぬ稽古』現在好評発売中です
「絶対に分からない“死”を語ることは、
「同じく不思議な、“生”を語ることでした」
私たちはいつか死ぬことをわかって今を生きています。 でも、普段から自分が死ぬことを考えて生きている方は少ないでしょう。
“あらためて、死ぬってどういうことなんだろう?”
この本は、そんな素朴な疑問をエンディングノートプランナーでイラストレーターをされている伊東昌美さんが、禅僧・藤田一照先生に伺う対話となっています。
人生の旅の果てに待っているイメージの死。ですが藤田先生は、「生と死は紙の裏表みたいなもの」で、「生の中にすでに死は忍び込んでいる」と仰います。 そんな身近な死を語るお二人は、不思議なほど“愉しい”様子でした。
それは、得体の知れない死を語ることが、“今この瞬間を生きている奇跡”を感じるからだったのかもしれません。 そう、死を語ることは生を語ることであったのです。
“どうして私は生きているのだろう?” 一度でもそんなことを考えたことがある方へお薦めします。
現在、全国書店、Amazonで好評発売中。
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