対談 藤田一照×小用茂夫 05「質疑応答」

| 藤田一照、小用茂夫

去る11月5日に行われたコ2【kotsu】発のイベント「静中の動を身体に問う」で行われた、禅僧・藤田一照先生と刀禅創始者・小用茂夫先生による対談の模様を数回に分けてお伝えします。

当日の動画もFBのコ2【kotsu】ページ(https://www.facebook.com/ko2.web/)上で公開していますので合わせてご覧ください。※動画はFBに登録していない方でもご覧頂けます。

コ2【kotsu】イベント“静中の動を身体に問う”より

対談/藤田一照(禅僧)×小用茂夫(刀禅創始者)

第五回(最終回) 質疑応答

語り藤田一照、小用茂夫
構成コ2【kotsu】編集部

 

 藤田先生、小用先生

 

「まず自分の坐標軸を体の中に入れることが先決だと思います」(小用)

質問者 本日はありがとうございました。坐って何か坐禅をしてるときには垂直や水平といったものが調っているのですが、例えば動くときにはそういうものが乱れやすくて、実際武術として動いている中で、当然斜めになったり、必ずしも常に垂直・水平じゃないと言う場面が出てくると思います。そういった中で内観していくというのはどういう風なことになるのでしょうか。

小用 仰る通り武術というのは垂直・水平を極めるためにあったわけではなく、如何に自分が安全に相手を制せられるかということがあるわけです。そのためには例えば相手に対して前傾した姿勢をとると流儀もありますし、倒れ込むような形で入っていくこともあるわけですね。

しかしそれはそれとして、まず垂直・水平を確立した上でそういう他のバリエーションに入っていくのが大事ではないかと思っています。先に身体の基準性がされていないと、崩しているのか崩れてているのかもわからず、そういった姿勢になる必然もわからないわけですね。

ですからまず垂直・水平があり、それがあるからその間に色々な展開があるという、まず自分の坐標軸のようなものをしっかりと体の中に入れることが先決だと思って刀禅ではやっています

質問者 ありがとうございます。

藤田先生、小用先生

 

「(坐禅は)「何かのための方法」というカテゴリーでは考えられない」(藤田)

質問者 坐禅についてもう少し心境についてもうちょっと伺えればと思っていたのですが。今日は姿勢から呼吸が調っていくような流れを教えていただいたと思うんですけが、禅の中での心の方向性、よく無心という言い方をされるようだと思うんですが、心の持って行き方や有り様、方法論とか何か教えていただければ嬉しいのですが

藤田 僕が属している曹洞宗では、めざすべき心境とか境地といったことについては、あまりあれこれ言わないのですね。

禅と言うことで、普通にわれわれが耳にするような特殊な境地みたいなものは目指さないんです。まだ悟っていない者が、悟った状態を想像してそれを目指してもあてにはならないじゃないですか(笑)。

今日言ったように姿勢と息を見守り続けるという以外に何か心でするということはないんですよ。僕の師匠の師匠はこういう風に言っていました、

「正しい坐相を骨組みと筋肉で狙い続ける。あとはそれに全てを任せる」

と。任せている状態なので、「心はこうならなきゃいけない」「こういう境地に到達しなければならない」といったことはないんですね。任せておけばいい。むしろそういう風な思いは有所得心と言って、「何か欲しがっている心」、欲望なんだと言うんですね。

藤田先生

 

普段我々は「自分がこうなったらいいのになあ」と言うということを目指して何かをやり続けているわけですけれども、「こうなったらいいのになぁ」という活動の一つとして坐禅をしてはいけないと言うわけです。そういう枠から出ないといけない

ですから心に対する方法というのも言わない。方法というのは必ず何かのためのという目的があるわけです。「何のため」というものがない方法ってないですよね? 方法論といったときには必ず何か欲しいものが想定されています。

別にそれが悪いわけでは無いのですけれども、坐禅というのはそういう方法論を論じるような営みのカテゴリーの中に入れることができない、それとは全然別の営みということになっているんです。

特にうちの宗派はそれが強いというか、道元さんが厳しく「そういう枠組みの中で坐禅を捉えてはいけない」と、「そういう有所得心を持って行う坐禅は坐禅ではなく習禅だ」と厳しく区別しているんです。

禅定とよばれる特別な心境を一生懸命学習して習得しようとするための方法論というのは、人間が考えることですから実にいろいろあって、息を数えるものから始まって、公案やヴィパッサナーのような方法が習禅のカテゴリーの中に一杯あるのです。

それと坐禅を混同してはいけないというわけです。

坐禅は、今稽古したように、坐って水平と垂直を体の中に生み出して、そこで呼吸が自然に調っていくのをしみじみ味わっているというだけの話で、何かが手に入るかどうかという話ではないんです。ですからそれを「一体何のためにしてるんですか?」と言われたときには、何のためというか「坐禅のためにやっている」としか言いようがないんですね。

僕らが普通常識で考える「何かのための方法」というカテゴリーでは考えられない、考えてはいけないあるいはそういう考えで理解しておこなってはいけない何か特別な位置づけが与えられているというのがうちの宗派での坐禅の考え方なんです。

ですから、今のご質問には「そういうのはないです」という答しかないと思います。あるいは、そうやって坐っている時の心が「無心」ですというしかない。

藤田先生、小用先生

 

質問者 心は体の方に置くということでしょうか。

藤田 そうですね。坐っていると心には色々なことが起きていますので、そういうことをきめ細かく見逃さないで、それについてああだこうだ考えるのではなく、“細かく気づく”と言うんですか、内観と言ってもいいかもしれませんね

内観という便利な言葉を借りると、姿勢と呼吸が自ずからなる働きで、より調っていく状態を、或いは逆にそこから外れていく場合もありますよね、調うのではなく乱れていく方向になっていく、それに気がついたら調う方向に立ち戻らせるということをずっと続けているということですね。だから内観と言うのがいいかもしれませんね。

ぼーっとしているわけではなく、むしろ細やかに気づいて、内観している状態。うかうかしていたらできません。それが方法論ですかね(笑)。

ただ方法論と言うと何か決まった手続きに従ってやらなければいけないというニュアンスが僕には聞こえてくるので、方法ではない方法としての「内観」と言った方がいいかもしれません。あるいは「体と息に心を寄り添わせていく」「姿勢と息から心が離れない」という言い方をしています。波の上に浮かんでいる小舟が、波が上下しても離れないみたいな。

その状態で何が起きてくるのかは、あらかじめわからないですね。無数の条件の組み合わせで刻々に変化していますから。ですから、これをゲットしなければならないという特定の境地を求めているわけではありません。

でも、そういうことをやっていたら多分特定の境地に落ち着かざるを得ないと思いますが、最初からそれは言わないようにしているわけです。そういうものが先にあるとやっぱりそれを想像して、目指してしまうんですね、頭で考えたことを目指してしまう。そうではなくて、何がその時来るかなどあらかじめ予想せず、一生懸命坐っているいると向こうから何かがやって来てくれるので、それを素直に受け取ればいいわけです。こっちから取捨選択したり、ガツガツ取りに行かないという態度を僕らの方では大事にしています。

正しい姿勢で坐るということがとりわけ強調されていますが、海外の人にはちょっと理解できないところもあるらしく、「はい、言われた通りちゃんと坐りました。それで次に、心で何をすればいいのか教えてください」という質問がよくきます(笑)。体で坐って、心はそれとは何か別なことをするんだろう、彼らはそういうイメージで捉えているので当然と言えば当然の質問なのですけれども。

「坐禅というのは、体でも心でも坐るということなので、心で別にやるってことはないんですよ」と言うしかないんです

質問者 ありがとうございました。

(第五回(最終回) 了)

藤田先生、小用先生

 

動画のご案内

現在、コ2フェースブックページでは、当日の模様をダイジェスト動画で紹介しています。こちらからご覧ください。またページへの「いいね」をして頂けると、動画を含む更新情報が届きますので是非この機会にどうぞ!

随時新作動画を追加予定です!

 


【刀禅形意拳セミナー】2018年ゴールデンウィーク

今回ご登場頂いた小用茂夫先生が主宰する「刀禅」で初となる「形意拳セミナー」がGWに開催されることが決定しました! もともと刀禅は新陰流と形意拳をルーツにしていると言われ、小用先生自身、知る人ぞ知る利根川謙老師のもとで形意拳を学んでおられます。今回の講座ではこの形意拳をボディワーク的に捉え拳法修行者だけではなく、一般の人にも理解できるように要素に分けて紹介するそうです。
これまで刀禅会員にも公開されなかった本講座、次回開催は未定と言うことですので要注目です!

日時:【1】2018年4月30日(月・祝)。【2】5月3日(木・祝)。【3】5月4日(金・祝)。
午後2:10~4:30(受付1:30~)
場所:埼玉県蕨市。蕨市民体育館1F、格技場1
内容:こちらのページから「講習会-セミナー案内」をご覧ください。
https://www.touzen.jp/

申込みフォーム:必須です。お手数ですが、よろしくお願いいたします。
https://goo.gl/forms/nkyAYQ0teuG7D5Cx2

対象:身体に関心のある方。初心者一般の方。
講師:小用茂夫、刀禅古参会員
費用:
一般:一日のみ4,500円、2日通し8,000円、3日通し11,000円
仙骨尺一本・ヒモトレ用のひも進呈→受付の送信有

刀禅会員:定例会員一日1,000円、回数会員2,000円、その他会員3,000円→
お持ちでない方のみヒモトレ用のひも進呈→(申込ホームを送信した時点で受付完了となります)
懇親会:4000円程度(スペースの関係で早期に締め切る場合があります)

 


藤田一照先生の新刊『生きる稽古 死ぬ稽古』現在好評発売中です

「絶対に分からない“死”を語ることは、
同じく不思議な、“生”を語ることでした」

 

私たちはいつか死ぬことをわかって今を生きています。 でも、普段から自分が死ぬことを考えて生きている方は少ないでしょう。

“あらためて、死ぬってどういうことなんだろう?”

この本は、そんな素朴な疑問をエンディングノートプランナーでイラストレーターをされている伊東昌美さんが、禅僧・藤田一照先生に伺う対話となっています。

人生の旅の果てに待っているイメージの死。ですが藤田先生は、「生と死は紙の裏表みたいなもの」で、「生の中にすでに死は忍び込んでいる」と仰います。 そんな身近な死を語るお二人は、不思議なほど“愉しい”様子でした。

それは、得体の知れない死を語ることが、“今この瞬間を生きている奇跡”を感じるからだったのかもしれません。 そう、死を語ることは生を語ることであったのです

“どうして私は生きているのだろう?” 一度でもそんなことを考えたことがある方へお薦めします。

現在、全国書店、Amazonで好評発売中。

連載を含む記事の更新情報は、メルマガFacebookでお知らせしています。
更新情報やイベント情報などのお知らせもありますので、
ぜひご登録または「いいね!」をお願いします。

–Profile–

小用茂夫先生
小用茂夫先生

小用茂夫(Shigeo Koyou
虚弱な幼少期、青年期の腰椎圧迫骨折などに悩まされる。活路を空手、古流剣術、中国武術、合気柔術など武術に求め、そこで多くの傑出した師に出会い素晴らしい境地を知る。一方で、そこへは辿り着けない自分の身体性と向き合うなかで、欠陥の多い身体でも、そうした師の境地に至る術は無いかと独自の模索を重ねる。幸い稽古仲間に恵まれ長い実験と検証の時代を経て現在の方法に辿り着き、ボディワーク刀禅として提唱するに至る。

Face Book:刀禅(グループ)

藤田一照さん

藤田一照(Issho Fujita
1954 年、愛媛県生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程中退。曹洞宗紫竹林安泰寺で得度し、1987 年からアメリカ・マサチューセッツ州のヴァレー禅堂住持を務め、そのかたわら近隣の大学や瞑想センターで禅の指導を行う。著書に『現代坐禅講義』(佼成出版社)、『アップデートする仏教』(山下良道との 共著、幻冬舎)、訳書にティク・ナット・ハン『禅への鍵』(春秋社)、鈴木俊隆『禅マインド ビギナーズ・マインド2』(サンガ)など多数。写真に登場する猫は愛猫・テラ。

公式サイト: http://fujitaissho.info/

オンラインコミュニティ大空山磨塼寺:https://masenji.com/