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「バランス」に着目し、独自の指導を行っているバランストレーナー・小関勲氏と、古伝の日本の武術を探求しつつ独自の技法を展開している武術研究者・甲野善紀氏。お二人の元には、多くのオリンピック選手やプロスポーツ選手、武道関係者に音楽家までもが、時に“駆け込み寺”として教えを請いに訪ねて来られます。
そんなお二人にこの連載では、一般的に考えられている身体に関する”常識”を覆す身体運用法や、そうした技の学び方について、お二人に語っていただきました。
十数年に渡って親交を深めてきた二人の身体研究者が考える、身体のコツの見つけ方とは?
第一回は、お二人の出会いのエピソード。身体を研究する者同志の第一印象、そして、小関先生にとっては忘れられない、甲野先生との印象的な対話とは?
カラダのコツの見つけ方
第一回 武術研究者とバランストレーナーの出会い
語り●甲野善紀、小関勲
構成●平尾 文(フリーランスライター)
甲野先生の肩甲骨の動きを見て
小関 甲野先生が初めて私を紹介してくださったのは、随感録(甲野善紀氏のホームページに掲載されているblogのようなもの)でしたね。そこから名前を少しずつ出していただけるようになりました。最初は「K氏」、それから「バランスボードの小関氏」へ、更に「マルミツの小関氏」になって、最近は「バランストレーナーの小関勲氏」。それぞれ甲野先生がお持ちの私の印象が少しずつ変わってこられたのかなと思います。
甲野 いやいや、お名前をフルネームで紹介しましたのは、もう公人になられているからですよ。本(『ヒモトレ』(日貿出版社)、『心とカラダのバランス・メソッド』(GAKKEN))も出されましたしね。私の所に稽古に来られる田島大義さんも「謙譲の美徳」という術理を見つけてからは、「T氏」からフルネームで紹介するようになりました。
コ2編集部(以下コ2) お二人はどこで出会われたのですか。
甲野 仙台ですね。私は、小関さんに初めて会った当時は2か月に1度くらいのペースで、仙台で講習会をやっていましたから。その講習会に小関さんが来られたときが初対面ですね。
コ2 小関さんはそもそも何で仙台にいらっしゃったのですか?
小関 バランスボードがキッカケで出会った、『動く骨(コツ)』(スキージャーナル)の著者である栢野忠夫さんが、当時甲野先生が桐朋高校のバスケットボール部で行った講習会のDVDを「これ、おもしろいですよ」と紹介してくださったことが始まりですね。DVDに映る、甲野先生の肩甲骨がクネクネと動く様子は当時は衝撃的でしたね。今でこそ「肩甲骨」と強調して言っていますが、甲野先生は、当時から身体はもっと繊細なものだと教えてくれていたのだと思います。他にも、身体のいろんな使い方を紹介されていました。実際に、桐朋高校のバスケットボール部の成績も上がり、“これは身体の使い方を変えたからだ”と思いました。
以前から甲野先生はテレビにも出られていたので、お名前は存じ上げていたのですが、このDVDがきっかけで甲野先生にすごく興味を持つようになりました。そうしたら、タイミングよく栢野さんから「甲野先生の講習会は仙台でもやっているよ」という情報が入ってきたので、仙台の稽古会へ行ったのです。
甲野 小関さんと初めて会ったときの印象は、今もはっきりと覚えています。
こっちに振り向くのに30分
小関 その後、今度は栢野さんが甲野先生の講習会を企画されるということで、愛知県豊田市で行われた講習会に参加させて頂きました。これが2回目でしょうか。その講習会の後、名古屋駅からの帰りの新幹線で運良くご一緒させていただいて。それも甲野先生に「よろしけばご一緒にどうですか?」とお声をかけて頂き、緊張し恐縮しながらもご一緒させて頂き、かなり素人質問をしたのは鮮明に覚えています(笑)。
先生に興味を惹かれたのはそんな出会いもあったのですが、それ以前に予兆はあったように思います。すでにその時にバランスボードをもう採り入れていたのですが、いろんな人に乗ってもらっている時に、それを観察していると、面白いことが見えてきたんです。すごく筋肉隆々の人が乗れるかというとそうでもないし、運動していない女性とか子どもがパッと乗れたりするんですね。“これって“単純に力や筋肉が関係しているわけではないのだな”と思ったのです。
ただ、僕もそういう勉強してきたわけじゃなかったので、最初は、—今は絶対言わないですけど(笑)—「感覚を鍛える」みたいな表現をしていました。感覚というのは大事だし、それが運動のベースだろうなとおぼろげながら感じていたんですね。ちょうど空手もやっていたのですが、“練習量や練習時間と強さの維持が比例しているのならイヤだなぁ”と、疑問に思っていました。
そういう背景もあって、仙台で初めてお目にかかったとき、甲野先生に質問したんです。この時のことはとても印象的で、よくあちこちでお話させていただいています。何を聞いたかというと、「どういう練習、トレーニングをされているんですか」ということでした。当たり前のように聞いた私に、甲野先生はどう返されたかというと、こう構えて(構えたまま身体全体を180度振り向く)、「こっちに振り向くのに、30分かけるんです」と仰ったんです。「エッ」と思って、試してみたら自分の雑さがよくわかるわけです。
「これってどういうことなんだろう」と思いましたね。
また、先生も筋トレなどの「鍛える」という価値観で稽古をされていなかったので、「これはおもしろいな」と思いました。実際に他に稽古会に来ている身体の大きい人が投げられたり、飛んだりしているわけじゃないですか。身体を工夫している甲野先生の姿がとてもおもしろくて。
僕はもともと身体が大きくなかったんですけど、運動は小さい頃から何でもやっていました。学校行事で、よく学校選抜市対抗という形で相撲大会があるじゃないですか。僕も一応「はい」と手を挙げてやっていました。ただ、もともと大きい人に比べて力がないのは分かっていたので、最初から「力で何とかしよう」とは思わなかったんですね。だから、力の強い相手と組むと最初はずっと押されっぱなしなんですけど、土俵際で向こうがグッと力むから、その瞬間にヒョイとやると勝つんですよ。学校で一番強い子と組んでも勝っていました。それで異名がついたのが「うっちゃりの小関」(笑)。相撲で他にも、いきなり相手の足をグワッと持って、ひっかけたりとかして相手を倒していましたね。そういう感覚で身体を使っていたことから、当時から身体を工夫して使うことは結構好きだったんだな、と後になって思いました。だから、甲野先生が身体をいろいろ工夫して使われている姿が、「僕も小学校の時こういうことをすごくやっていたような気がする」と思ったんです。そこから仙台の講習会に定期的に先生が来られていたので、空手の先生や友達と一緒に行くようになったんですね。
甲野 私が山形の高畠にあったデジタル射撃の練習所に行くようになったのは、小関さんの紹介があったからでしたっけ?
小関 あれはいろいろあるんです。藤井優さん(現ライフル射撃協会副会長・当時日本代表監督)が……。
甲野 ああ、思い出しました。あのジェルソミーナという花屋さんが関わっていたのでしたね。宮城県の山奥の七ヶ宿で炭を焼いている佐藤光夫さんの奥さんの佐藤円さんがよく知っていた花屋さんです。その花屋さんは、藤井監督もよくご存知で、そうしたことで縁が繫がり、私が七ヶ宿の佐藤宅に泊まりに行っていた時に、藤井監督が直接訪ねて来られたのです。そして、小関さんも藤井監督とは縁があったということから、高畠に行くことになったのでしたね。
小関 そうです。それで、2002年に「ぜひ一度、山形の高畠で講習会をしてもらいたいね」という話になって、先生が「行ってもいいですよ」と仰ってくださった。それで、仙台の講習会が終わった後、山形に先生をお連れして。それから10回くらい、先生の講習会をさせてもらったんですよね。
甲野 小関さんは出会った当初から、本当に人当たりが柔らかいという感じがしましたが、ただ柔らかいというのではなく、その柔らかさが聡明さを包んでいる感じで、「この人とはこの先ずっと縁が続きそうだな」という印象がありました。
(第一回 了)
次回は、甲野先生の松聲館道場と光岡英稔先生の率いる日本韓氏意拳学会に見る、組織の在り方と師弟関係のお話。
武術研究の道に入って35年の甲野先生の仰る、”組織”に縛られない組織、”師弟関係”ではない師弟関係とは……?
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–Profile–
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●甲野善紀(Yoshinori Kouno)
1949年東京生まれ。78年松聲館道場を設立。日本の武術を実地で研究し、それが、スポーツ、楽器演奏、介護に応用されて成果を挙げ注目され、各地で講座などを行っている。
著書に『表の体育 裏の体育』(PHP文庫)、『剣の精神誌』(ちくま学芸文庫)、『武道から武術へ』(学研パブリッシング)、『古武術に学ぶ身体操法』(岩波現代文庫)、『今までにない職業をつくる』(ミシマ社)、共著に『古武術の発見』(知恵の森文庫)、『武術&身体術』(山と渓谷社)、『「筋肉」よりも「骨」を使え!』(ディスカバー・トゥエンティーワン)など多数。
Web site: 松聲館
Twitter 甲野善紀