コ2【kotsu】特別インタビュー 韓競辰導師に訊く「韓氏意拳の系譜」 第三回(最終回)

| コ2【kotsu】編集部

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今年も韓氏意拳創始人である韓競辰導師の来日講習会が開催される。そこでコ2【kotsu】では、昨年来日した際に行った韓導師へのインタビューを三回に渡りご紹介する。

コ2【kotsu】特別インタビュー

2018来日講習会記念企画
韓競辰導師に訊く「韓氏意拳の系譜」
(第三回)最終回

インタビュアー・文コ2【kotsu】編集部
取材・写真協力日本韓氏意拳学会
監修光岡英稔

 

 

力を用いない運動とは何か?

韓競辰導師(以下、韓) 中国の伝統的な教えに「天人合一」という考え方があります。私が言っている自然というのは、自然から生命がなくなって独立することはできないと言うことで、自己存在なき自分と自然との関係は存在しません。

あなたが存在しているからこそ自然も存在しているのです。そして、自然があるからこそあなたも存在してます。これが自然と人間の関係です。これが実在の自然と言えるでしょう。

光岡英稔(以下、光岡) 自然と生命の話しに関して言うなら、韓先生の一番最近の講習会で事や物の「質」のお話がありました。たとえば、自然、生命ほどダイナミックなことに取り組むに当たって韓老師は、自分たちが関わる運動の「質」について「勁」と「力」の違いを用いて語られていましたね。

 そうですね。簡単にお伝えすると、中国には古来から“勁(Jing、けい)”という考え方があります

“勁”とは何かということについて、先人が一つの答えを導き出しました。

その結論というのは、言葉遊びをすると『用勁不用力=“勁”を用いて「力」を用いないというような結論を出した』と言った表現にもなるのですが、この言葉は何を意味し、表しているのでしょう。

これを私たち現代人にも分かるように話しをするなら、ここには二種類の異なる運動系統というものがあります。これにどんな違いがあるかというと“勁”というのは「力を用いない運動」と言うことができます。それに相対する運動として「力を用いる運動」というものがあります。

この古人の教えには私たちに二種類の全く異なる運動系統があるということを教えてくれています。一つは力を用いる運動、もう一つは力を用いない、この「勁」の運動系統がある言うことができます。

ですから内家拳でも他の伝統的な武術でも「用勁不用力=勁を用いて力を用いない」という言い方が中国の伝統武術ではされています。この二つは全く異なる運動系統ですが、これが一番簡単な最初の説明です。

コ2 二つの運動、力を用いる運動と勁を使った力を用いない運動がある、ということでしょうか。

 …、では質問があります。例えば自分が身体を動かす時に「力を用いない運動」「力を一切用いず動く」と言ったことを受け入れられますか?

コ2 難しいですね。

 どうして難しいのか、その理由を言ってください。

コ2 力感を伴わない運動はあるかと思いますが、力を全く用いない運動はないかと思います。

 それは下手をすると「できるけど、できない。できないけど、できる」的な単なる言葉遊びになります。この質問の答えは、最初に“難しい”と感じられた方の「運動は力から離れられない」となるのです。純粋な運動は力から離れてしまっては存在することはできないのです。力を使わないで何かを持ち上げることができるということが信じられますか?

コ2 ちょっと考えられないですね。

 その通りです。よって多くの人には不用力の運動というのは理解できないと思います。結局のところ、多くに取っては「動くこと=力を用いないといけない」に、なってしまうのです。私たちが自らの経験や体験から導き出した答えが、私たちが“勁”から何処まで離れてしまったかを示しています

先ほど「伝統文化における物事の伝え方」の大切さについてお話をしましたね。経験して証明して行く文化であると。これは言葉遊びではなく、実際に “勁” と「力」の違い、“勁”を伝えて行く唯一の方法なのです。

コ2 なるほど。

 先ほど私が言いましたね。伝統文化を守るということが大切だと。何を守るのでしょう。いま力を使わない運動があるということが認められないというのは、あなたが社会のマジョリティーを代表して、その発言をしているとも言えます。そのように「不用力=力を用いない」で動きが生じることが理解できないというのは多数派を代表していると言えます。

私を始め誰しもが伝統や文化を守らなければいけないことは、実際、誰もが認めています。今の人達の理解がないのは、直接、私のようにストレートに此のことを指摘し、表現する人が居ないからです。ですからマジョリティの人が結局は力を用いらなければならないという回答や結論か、言葉の上では力を用いないと言っても実際にいざとなったら力を用いてしまうことも理解できます。

ですが私としては、現代社会や中国伝統武術界の今の状況を正直、受け入れられないという気持ちがあります

それは何故かというと、私は具体的な状況の中で力を用いない方法の気づき、その問題の解決の仕方を提唱できるからです。現代人の多くは此のことに実際は、なかなか賛成しかねるでしょう。なので先ずは皆に私の問題提起を理解して欲しいのです

私が伝統文化を守らなければいけないと言った理由もここにあります。私たちがいま向き合っている世の中がどんな状況なのか、社会的な状況というのはどんな状況なのか、今のお話しから分かると思います。私は、いま、このように私の考えを率直にお話をしました。私はこのような見解を通じて、貴方たち(コ2・マガジン、メディア)にも私達を手伝って欲しいと望んでいます。この教えを広げる手伝をして欲しいと考えています。今回のこの機会に、この社会に「伝統武術」の素晴らしい教えであり、実際に力を用いない運動、勁の伝え方があるということを皆さんに伝えて欲しいのです。

コ2 今回の取材も含め、私たちも韓老師の考えを世の中の皆に伝えられたらと思います。

意拳の動きと気、精、神、筋骨、勁の関係を解説する韓星橋先師。韓星橋先師と韓競辰導師、光岡英稔先生。2003年 広東省珠海市にて

 

本能の運動と技術的な運動

 今の世の中では一般的に “勁” についてあまり語られる機会はありませんが、それは現代社会の生活の中では私たちにとって重要ではないからです。私たちの普段の生活は頭脳と力だけで何とかなっていまうからです。よって勁に対する理解は更に困難を迎えています。

ただ、このような現状の中でも私たちは実際に勁について教え伝えることができます。

実際のこの二つの運動の問題において、人類の実際の運動の問題の中で二種類の運動体系があることは先ほどお話ししました。力を用いる「力の運動」と、力を用いない「勁の運動」です。

この力を用いない「勁の運動」が何に属するかというと、純粋な自然の原理に基づいた運動と言うこともできます

力を用いる運動はよく知られているように、現代風なトレーニングや運動力学を用いて力を増やしたり速度を上げたりし、どのようにその力を伝達させるかといった機械的、技術的なものとしてのトレーニングが主になります。

ですが力を用いない運動は、どこに確信があるのでしょうか。たとえば一般的な物理学の方式(ma=F)を用いて表すこともできます。

質量があるものが運動すれば、作用というものが自然に発生するということです。これがこの二つの運動体系を明確に分けるものです。

これは「自然本能の運動」と言うことができるでしょう。そして力を用いるものは「技能的な運動」と言うこともできるでしょう

繰り返しになりますが、この二つの運動は根本的に違います。この「自然本能の運動の発見=勁の運動系統の発見」は私の直感に基づいて発見しましたが、間違いありませんでした。ここ数年の間に気がついたことですが。特に光岡先生と共に気づくまでの時間を過ごし、二人が此の教えを広めることが非常に難しいことに気がつきました

どこに問題があるのか。簡単です、それは力を使う運動と使わない運動の明確な違いの提示が出来るかどうかということです。

繰り返しになりますが、現代人の多くは気づいてないかも知れませんが、当人たちは力を使わない系統の運動を認めてません。その存在自体が理解できない、認められてないということが根本的な問題なのです。

韓氏意拳中級教程を指導する韓競辰導師

F=力? F=作用?

 現代に生きる私たちの知識の中で、私達が知っている限りでは、この運動の問題というのは、物理的、機械的な現象ということからものを見れば皆んな納得します。

どのように力を伝えるのか、力をどうやって増やすのか、そういう風に考えますね。現代人の多くはどうやって力の使い方をより優れたものにしていくのか、ということが好まれることは理解できます。

ですがそうした人に力を使わない運動の話をしても、私の経験からは、相手は今まで私達が知らないもの、まったく違う、まるで存在しないものについて語っているように、皆さんの知識の範囲にはないものだという風に感じているようです。

光岡 ここで韓老師が言われている「力」「力の運動」とは、私たちの経験知、知識、情報、頭や脳で分かる範囲のこと、エネルギー、エネルギー理論なども指しています。これは、王先師(王薌齋)先師の「不用力、不費脳」「一用力便是錯、一具体便是錯」のよう“勁”「勁の系統の運動」は同じことかと、補足させていただきす。

 筋肉、筋力を使い力を用いると、作用や反作用が発生します。では力を使わな運動というのは、現在どこに証明があるでしょうか。この公式を成立させているのは、m質量があるものがa加速・運動をすると言ったことからですが、では教えてください、あなたは存在していますか? 質量はありますか?

コ2 存在して、質量はあると思います。

 行為をすれば速度はありますか?

コ2 あります。

 ではなぜこのF=力の存在を否定するのですか? この公式に成立させる要素は揃っていますね。

光岡 ここで大切なことは、大体の人はF(Force,フォース)を「力=フォース」だと言うのですが、韓老師は此処で“F”を「作用=フォース」と言っているんですね

 例えば手の上にものがありますね、運動を使うとこうなります(手のひらに乗せたペットボトルを払う)。この事実を否定できますか? 他の方法で証明する必要がありますか? これがこの力を用いない運動を証明する最も簡単な説明です。

ですが一般的な人たちは、力を用いるという観点になりすぎているのですね。全ての運動は力こそが運動の核心であるという考えに囚われ過ぎています。

光岡 力を使うことが運動の核心だという考え方が一般的になっているということですね。

コ2 先ほどFを作用とおっしゃいましたね。

光岡 はい、韓老師はFを力ではなく作用と表現されてます。

コ2 この場合、作用とはどういう意味でおっしゃっているのでしょう。

光岡 力の量とか、力の数量化・数値化というのは結局、作用の後にしか示すことできないことなんですね。作用の前に力の数量化、数値化はできない。私達がFと言っているものは、力を数量化して数値化したものを「力」と呼んでいるわけですが、「質量がこれだけのものが時速何キロでぶつかるとこれだけ動く」と。でも韓先生が言っているのはぶつかった時の作用が力の要因であるわけだから「F=作用」とおっしゃっている訳です

 これが一番大切でお伝えしたい核心的なことでもあります。もし韓氏意拳にどんな特徴があり、太極拳にはどんな特徴があるのか。韓氏意拳の考え方ではそのような流儀流派の特徴の捉え方には意味がないと考えています。

なぜならば私達が研究していることは力を用いない運動、すなわち「勁、勁の運動」を武術、拳を通じて研究しているからです。それが自分にとって本当に存在しているのかと、それが大切なことなのです。それが本当に作用するものになるのかどうか、そこが大事なのです。力を用いないものが本当に存在するのか、その力を用いない運動系統にも本当に作用があるのか。この二つが大事なことになります。また戻ってきますね(笑)。

勁の運動系統は存在するのかしないのか。力を用いる運動が存在するのかしないのか、第二の問題ですね(笑)。

駒井雅和 まず、力を用いない運動が存在するのかしないの。その上で、あるのだとしたら、その運動はどうやって存在するのか、ということが第二の問題ですね。

 このma=fは全世界で共有されている公式です。そして質量、運動、速度、それがあれば作用が生まれる。そして作用の大小というのは質量の大きさと速度によって変わる、ということです。この中でどれが具体的な力を表しているかといえばどれでしょう。先ほどの質問に戻りますが、私達は存在している。そこには質量がありますね。では手をあげるという動きの中に作用はありませんか?

光岡 外在する「手を挙げる動き」には「手をあげる作用」が必ず何処かにはあると言うことですね。

コ2 そうですね。

 自然本能の運動というのは生命本来の本質。人為的に何かを加えたものではありません。韓氏意拳ではこれを「虎は拳の練習、トレーニングをしない」という言い方をします

光岡 自然界では武術、拳などの闘争技術を練習したり、敢えて運動をする為に運動をする動物はいないということですね

 そう、虎はパワートレーニングをしませんね(笑)。そんなことをする人間以外の動物を見たことがありますか? そんな動物はいません。動物は自然の本能のみで運動を行なっています。ですから私の言うm=質量というのは本能と言えます。そしてa=速度は自然と運動の中に生じ既に存在します

コ2 そこで自然という言葉が登場するわけですか。

光岡 みんなの共通語であるこの式を使って表すのであれば、韓先生の場合は今のようなお話になるわけです。また韓氏意拳を練習する人たちは《F(Force, フォース,作用)=m(mass,マス,質量,本能)a(acceleration,アクセラレーション,速度,自然界の移り変わりの速度)》との理解の仕方ができる訳です

コ2 結果的に登場する力を、主体的に考えてしまっているのが、現代人の誤りだということでしょうか。

 その通りです。

コ2 物事を切り分けて考えるという方法で力もまた切り分けてしまったということですね。

 私達人類の進歩、進化、生存環境。もし私たちの文明において「数値化」「数量化」という概念がなかったら、今の私たちの社会は成立するでしょうか。私達が物事を「数量化」せずに認識するとしたらどうすればよいでしょう。どうやってそのものの違いをわかるでしょう。私達はものを「数量化」「数値化」することに非常に依存しています。数値化することでやっと社会の中の公平、平等を作り上げています。

コ2 たしかに数値化、数量化された概念が今の世の中では物差しになっています。

 ですが私に教えてください、自然にこの数値化というものはあるでしょうか。私達が自然を見るときに数値化することはありますね。数値化することによって予測したりしているわけです。

コ2 数値化、数量化するという行為自体が、自然から離れてしまうということですね。

 数値化、数量化というのは自然には全く関係のない、人間側の都合です。私たちの社会が数値化を必要としているだけです。自然には全く必要のないことです。ですから自然を数値化したり、木を見て「この木はテーブルに向いている」とか「この木は柱に向かない」など言いますが、自然の中にはそうした評価はありません。

これが力を用いないことと関係があります。現象としてただそれがある。現象が存在しているだけですね。現象というものが作用として存在する。私達はこれをさらに具体的にする必要があります

コ2 存在していること自体、作用しているということでしょうか。

 自然の表現自体が作用と言えます

光岡 存在がなにかを行ったり表現をしたりしたときに、そこに初めて作用が生じると。また存在しているだけでも、すでに其処に作用があることにもなります。

コ2 生きて動いていればそこに作用があるということですね。

光岡 周囲の環境に変化が生じ、動き、自らが周囲と共に何かを行えば作用も生じます。

コ2 そこに意図は関係ないわけですね。それが現代はできた結果を定義するのが今の主流で、むしろ結果が目的になっているということが問題だというわけですね。

 そうです。先ほど力を用いない運動は存在しますか、と尋ねたときに「いいえ」と答えていましたが、そこが問題なのです。

コ2 なるほど、そういうことですね。

 この様なお話は私は明日の朝まででもできます(笑)。

光岡 明日の講習会や施設の閉館もあるので、話しの続きは、急ぐ必要はないので後は私に送ってください(笑)。また、(コ2に)お伝えしおきます。

コ2 分かりました。今日されたような講座(中医学)はこれからも続けるご予定ですか?

韓競辰導師の一指禅推拿のデモンストレーションで受ける駒井雅和教練

 反響がよければやりましょう。ただその場合は早めに教えて欲しいですね、準備が必要ですから。

韓家と光岡師範。左から、韓競辰老師、王萍師母、光岡英稔先生、ご子息のブライアン。2018年12月、広東省珠海市にて

今回も色々な質問がありましたが、私は最も簡単に分かりやすく問題を解決する方法をお話ししています。最終的な問題、力を用いないものがあるかないか、この問題に帰結します。もしこの問題が解決されないのであったら、他のことにどんなにお答えしても、最終的には「力を用いない運動の有無」という問題に帰ってくるわけです。

なぜならこの問いかけがすべての問題の根本になるからです。

この問題を解決すれば、他の全ての問題を解決することができるということが言えます。どうしてかと言えば、光岡先生もよく言っていますが、「永遠に自然側には問題はないでしょう、問題があるのはすべて人間のみです」と。力を用いない運動自体は自然界に存在する自然のことなので、自然からして見てれば問題はないのです。これが受け入れられないのは、人に問題があるからです。ですからぜひ皆も光岡先生と交流をして、この問いに対する正確な答えを探してみてください(笑)。

光岡 (笑)人間の問題は人間にあって、自然にあるわけではない。自然界にとっての自然ではなく「人間にとっての自然」が何を指すのかが問いの対象である、というお話をしていたので、そのことですね。

 本当にこの問題です。興味がありましたら実際に試してみてください。社会の中で一般の方にも問いかけてみてください。力を用いない運動があるのかないのか。計れず数値化・数量化できないことを信じられるのか。是非それを世に問うてください。伝統の運動の観念において二種類の運度があり、一つは力を用いるもの、もう一つは力を用いないもの。是非このことを記事を通じて世に問うてください。どんな反応があるのか楽しみです(笑)。色々耳を傾けてくださってありがとうございました。

光岡 私たち人間が力に頼って来た歴史や自然界を見ても、つい力で自然側の関係性を計ろうとする習性を持つことが、私たちが何処まで「力」で物事を計ることに慣れてしまっているかを現れかと思います。

現代人の多くが「力で計れないもの」「数や量で測れないもの」など“計り知れないもの”を何処まで信じられるようになるかは分かりません。また私たちは力の存在を否定している訳ではなく、力の存在を認めた上で、その存在より更に本質的、根源的な何かがあることを経験的に伝えようと「勁」を通じて生じる速度、作用、現象などの話しをしています

韓競辰老師と光岡英稔先生、2006年、広東省 珠海市にて

これは韓老師、韓氏意拳から世の中、伝統武術界に向けての命題の提起でもあり、挑戦でもあります。このような“問い”をコ2を通じて発信させていただけること、私からも感謝いたします。ありがとうございました。

コ2 こちらこそ貴重なお話を長時間ありがとうございました。

(第三回 最終回 了)

 

 

 

 

韓競辰導師、来日講習会情報

来る4月27日(土)から5月5日(日)、東京と岡山で、国際韓氏意拳総会会長・韓氏意拳創始人である韓競辰導師による講習会が行われることが決定、現在申し込み受付を行っています。会員向けの講座が中心ですが、一般公開している講座もあるので、韓氏意拳に関心、興味をお持ちの方は、この機会に実際に韓競辰導師に触れてみては?  一般公開の講座は韓氏意拳、武術/武道の経験がなくとも初心者から参加いただけます。

詳しくはこちらへ。


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–Profile–

国際韓氏意拳総会会長 韓氏意拳創始人 韓競辰導師
韓星橋先師の四男で、きわめて明晰な拳学理論と、卓越した実力の持ち主。現在韓家に伝わる意拳の指導に力を注ぎ、意拳の更なる進歩発展のために努められている。
国際韓氏意拳総会会長。(日本韓氏意拳学会 Web Siteより)

Web site 日本韓氏意拳学会