筋肉を鍛えたり、ダイエットをするだけではない、
健康とウェルビーイングの一歩先を求めて−−。
今、こころとからだの健やかさの質を高める、
マインドフルネス瞑想やボディワークなどが人気を呼んでいます。
そこには、これまでの、
「筋肉を鍛える」「ダイエットする」
といったものとは異なる、体からだに対する向かい方に関心が向かっていることが背景にあるのでしょう。
からだの感覚に注目し、
心身が心地よい状態へとフォーカスすることで、
深い気づきや静けさを得たり、
自己肯定力や自己決定力といった心身の豊かさを育んでいく。
これらは、
こころとからだのつながりを目指す
「ソマティックワーク」という新しいフレームワークです。
その手法は、タッチやダンス/ムーブメントなど多岐にわたり、
1人で行うワークから、ペアやグループで行うワークもあり、
自分に向くものはそれぞれ異なります。
そこでこの連載では、
これからの時代を生きる私たちにとって、知っておくべき「からだのリベラルアーツ(一般教養)」として、各ワークの賢人たちの半生とともに
「ソマティックワーク」が持つ新しい身体知を紹介し、
それらが個々の人生や健康の質をどう変化させたのかを探っていきます。
あなたのからだは、無限の英知から成り立っています。
賢人とともに、それを読み解いていきませんか?
リベラルアーツ(一般教養)として学ぶ
ソマティックワーク入門
−新しい身体知の世界をめぐる−
第一回 アレクサンダー・テクニーク 片桐ユズルさん
“今ここ”に在ることは贈り物 (前編)
取材・文●半澤絹子
取材協力●日本ソマティック心理学協会
不必要な緊張を抜くことを学習する
気づくと、身体が緊張していることはないだろうか。
仕事でプレゼンをするとき、時間に追われているとき、苦手な人と会うとき。人は身体を緊張させて自分を守る。
さらには必要がないのに、身体が緊張しているときさえある。
今、自分の感覚をチェックしてみたら、身体のどこかにムダな力みが入っているかもしれない。
「『心身の不必要な緊張』に気づいて、それを止めていくことを学習するボディワークが、アレクサンダー・テクニーク(Alexander Technique)です」
と片桐ユズルさんは言う。
片桐ユズルさんは今回紹介するアレクサンダー・テクニーク」の教師である。1983年から長年このボディワーク(アレクサンダー・テクニークの場合は、ボディマインドワーク)を続けているせいか、その佇まいには力みがなく、自然霊のような独特の雰囲気を持っている。
アレクサンダー・テクニークは、19〜20世紀のオーストラリアの俳優、フレデリック・マサイアス・アレクサンダーが創始したボディワーク(ボディマインドワーク)である。俳優であったアレクサンダー氏が自身の声が出なくなった際に、身体の緊張が声の発生を妨げていると気づいた体験がきっかけとなって生まれた。
アレクサンダー・テクニークは、身体が力みのないニュートラルな状態に導かれることで、演奏時のピアノの音が良くなったり、芝居での発声が通るようになったりする効果があるとされている。実際に、音楽家やダンサーなどの芸術家が自らのパフォーマンスアップのために、このセッションを受けることが多い。
ところが、ユズルさんはそのようなものを求めてアレクサンダー・テクニークを始めたのではなかった。
「 最初はね、1960年代後半に、関西フォーク運動(フォークソングの歌にのせて、社会の理不尽な差別などに対する批判を行った運動)というものがあって、それを野次馬的に眺めていたんです。フォーク・ゲリラの人たちは音楽的には下手で、言葉もあんまりおもしろくなくて、たいしたことをやっていない。だけど下手っぴな人が、下手っぴな言葉で、下手っぴな音楽でやると、なぜかそれがとっても良いんですね。それがあたしにはとてもフシギだった。『これはすごく良いものだ』と思ってしまった。このことは今の言葉でいうと、〝存在感〟というものになるのだけれど、これに出会うまでには何十年とかかりました」
「不必要な緊張を抜くアレクサンダー・テクニーク」と「存在感」は、どう関係しているのだろう。それはユズルさんの人生を通した少し長い話になる。
人間は、言語と非言語のあいだを行き来する「両生類」
ユズルさんがアレクサンダー・テクニークを知ったのは1968年。イギリスの作家、オルダス・ハクスリー(1894-1963)の著作、『多次元に生きる』(コスモスライブラリー)の一文だった。
「ハクスリーが自分の本で何度も、アレクサンダー・テクニークを紹介していたんです。なにか『これは面白そうなものだ』と思って、ずっと覚えておいたわけです」
また、関西フォークソング運動の体験から、ハクスリーのこんな言葉にも影響を受けていた。
「人間は、言語と非言語の世界のどちらにも住む両生類である」。
ハクスリーのこの指摘は、ユズルさんの中でフォークソングを歌っていた人たちの姿と重なるものがあった。
フォークソングの人たちの「存在感」は言葉だけによるものではなかった。「言語の世界だけで人や世界を理解するのは片手落ちである」と、ユズルさんは思ったという。
そこで学び始めたのが、ポーランドの哲学者であるアルフレッド・コージブスキーが構築した「一般意味論」である。
「意味論」は言語の意味だけを問う学問になるが、「一般」と冠がつくと、「ことばも非言語の世界の意味も含めた意味」となる。
たとえば、Aという人が「ありがとう」と言葉を発したとき、Aが「感謝を伝えている」と理解するのは、単なる「意味」である。しかし「ありがとう」と言葉を発した一方で、眉を潜めていたり、体がやや後退していたことに着目すれば、それは一般意味論でいうところの言語と非言語を使って人を理解することにつながる。
コージブスキーは言葉以外から発せられるメッセージを受け取ることで、タテマエや机上の空論にまどわされず、世界を実際的に、より深く理解することを提唱していた。
休暇でアメリカへ。3人のシャーロットとの出会い
1973年、京都精華大学の英語教員だったユズルさんは、1年以上にわたるサバティカル(大学教員等に与えられる長期休暇)を与えられた。そこで向かった先がアメリカである。実はコネチカット州にアルフレッド・コージブスキーが、カリフォルニア州には一般意味論を大体的に広めたS.I.ハヤカワが住んでいたのである。『この2人に会えば一般意味論の全体を把握できるだろう』とユズルさんは思ったのだ。
アメリカ滞在中、コージブスキーが主催するワークショップに顔を出したとき、ある1人の上品なおばあさんに出会った。
彼女の名は、シャーロット・リード。ワークショップで受付をしていた女性だった。ユズルさんと同じく一般意味論に関心を持つ一方で、「名前のない、あるグループワーク」を行っていた。
「それは毎週火曜日の夜にやっている、よくわからない内容のワークショップでした。椅子に座っていると、『さてあなたはどんな風に椅子に座っているでしょう?』と聞かれ、さらに、『今度は椅子から立ち上がってみましょう。立つとどう変わりましたか?』『重心はどこにありますか』といったことを延々1時間以上もやるんです。『なんだこれ? 一般意味論とどう関係あるんだろう?』と思いました」
しかしこのワークを受けていると、フォークソング運動の体験のときと、なにか似たような、どこか共通するような感覚を得た。
「それをずっと繰り返していると、とっても気持ちが良くなる。あたしはまたこれを『すごく良いものだ』と思ってしまったわけです」
シャーロット・リードが行っていたそのワークショップは、後に「センサリー・アウェアネス(以下、センサリー)」と名付けられる。センサリーは、自分の呼吸や体重、動きなどに耳を澄ませて、身体の感覚から気づきを得るワークである。ゲシュタルト療法などの心理療法や数々のボディワークに影響を与え、日本でも定期的にワークショップなどが開催されている。
「そのグループをすっかり好きになって、あたしはそこに通うようになりました。そうしたら、センサリーを創ったシャーロット・セルバー(シャーロット・リードの師匠)がやって来るということで、彼女の講座に出たんです。すると今度はそこで、アレクサンダー・テクニークをやっている先生と出会った。そしてサンプルレッスン(体験レッスン)を受けさせてもらえることになったのです」
偶然にも、シャーロット・セルバーのワークショップにいたアレクサンダー・テクニーク教師も「シャーロット」という名前だった。彼女の名はシャーロット・コー。ユズルさんは、ワークショップの主催者、センサリーの創始者、アレクサンダー・テクニーク教師という3人のシャーロットに導かれて、アレクサンダー・テクニークとの出会いを果たしたのである。
頭ではなく、「骨」が理解した
アレクサンダー・テクニークを受けるためにシャーロット・コーのもとを訪れると、彼女は笑顔で出迎えてくれた。セッションではまず、センサリーと同じように椅子から立ち上がったり、再び座るワークなどをしばらく行った。シャーロットは次に、マッサージテーブルの上に仰向けになるように、とユズルさんに告げた。そしてユズルさんのあちこちの骨に触れながら、いろいろと話しかけ始めた。
すると、あることが起こった。
「シャーロットが、あたしの鎖骨に触りながら、『この骨はちょっと働きすぎですね。そんなに頑張らなくていいのよ』と言ったんです。―そしたらね、それをあたしの『骨』が理解した。〝ああそうだったんだ、そんなに頑張っていたんだ、あたしは〟と。『すげえな』と思いましたよ。なにしろ頭じゃなくて、骨が理解したんだから。まさに骨身に沁みたというかね(笑)。アレクサンダー・テクニークは、ハクスリーさんでも言語化できないぐらい、ひたすら心地よかった。『こんな良いことは世の中に広めなくちゃ。これを教える先生にあたしもなりたい』と思いました」
(第一回 了)
連載を含む記事の更新情報は、メルマガとFacebook、Twitter(しもあつ@コ2編集部)でお知らせしています。
更新情報やイベント情報などのお知らせもありますので、
ぜひご登録または「いいね!」、フォローをお願いします。
–Profile–