瞬撃手が解く、沖縄空手「基本の解明」 第五回 「拳と貫手」

| 横山和正

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数年前から急速に注目を集めた沖縄空手。現在では本土でも沖縄で空手を学んだ先生も数多く活躍するとともに、そこに学ぶ熱心な生徒も集まり、秘密の空手という捉え方から、徐々に地に足の着いたものへと変わりつつある。ここでは、多年に渡り米国で活躍し、瞬撃手の異名を持つ横山師範に、改めて沖縄空手の基本から学び方をご紹介頂く。

瞬撃手が解く、沖縄空手「基本の解明」

第五回 「拳と貫手」

横山和正(沖縄小林流研心国際空手道館長)

 

空手の手法 拳と貫手

前回連載では空手の拳=コブシについて解説してみました。
空手の修行において最も基本の正拳にも初級・中級・上級といった段階があり、手の五指による握りを細密にすることで、異なった条件反射を腕に与えることによって、単純な基本の直突きでさえも高度な技法に変化するということが理解していただけたことと思います。

またそうした握りを養うのが、様々な武器を扱う古武術によってであり、古伝の空手で”徒手空拳と武器術は二輪の輪”と言われている理由がよく分かったのではないでしょうか。

さて、そうした空手の手法の源が、単純な”指の開きと握り”を基本として生み出されることにも前回触れましたが、今回は五指を握り込む正拳とは究極に位置する”開いた手=貫手”について解説したい思います。

空手には正拳の他に、一本拳、手刀、二本貫手、貫手など様々な手法が伝えられています。

それらはまさしく四指を伸ばした手=貫手から、五指を握り込んだ手=正拳へと変化する手形の中間の姿を捉えて、上手く工夫して用いるための変化技であるといえるでしょう。

 

開手の技、貫手

突き蹴りを主体に行う空手おいて、貫手は揃えられた四指の先端で相手の身体に突き込む、“突き技”のひとつとして伝えられることが多いようです。その為、鍛錬法としては器に豆や砂を入れ指先で突き込むものや、人差し指から小指までを揃えて巻き藁や小さな的をコツコツ叩くといったものがよく知られています。
私も例にもれずに中学から大学までの間、多くの空手家同様にそうした鍛錬を続けたものです。
しかし、実のところ思った程の効果を感じ取ることができませんでした。
勿論、試し割り等で“置いたリンゴを貫手で砕く”ことくらいはできるようになったものの、実際に実戦で有効に活用できるといった実感を得ることはありませんでした。

その理由はまず第一に、組手のなかで貫手を使うイメージが持ちづらく、実際に使っても、とても不安定な感触がつきまとっていたからです。

突き技として一番安定した加速と命中率を持つものは正拳でした。その一方、貫手は牽制や痛め技としてはともかく、貫手の形でしっかり突くことを意識すればするほど、指を保護する本能が先に立ち、身体が固まりやすく、居着きが生じやすいことに気がつきました。

この実感の裏付けとなったのは、台湾での実戦的な経験です。

既に紹介した台湾での中国拳法の修行の際に、成り行きで中国南派拳である洪家拳の一門の稽古場で一手交えたことがありました。

洪家拳といえば鶴、虎といった動物の動きを織り交ぜた力強い拳法で、開手で突いたり、爪を立てたりと型のなかにもかなり明白に各種の手法が用いられている拳法です。
その時は既に数人の組手風景を見ていたので何となく雰囲気は掴んでいたのですが、それでもいきなり顔面へ貫手攻撃を仕掛けられ、咄嗟にかわせたため、当たりはしなかったもののかなりムカッときたものです。
この時の相手は多彩な手形で迫ってきたのですが、頑なまでに型を守ろうとするあまり手に力を込めているため、身体全体の動きは固く、手形が結果的に円滑な動きを邪魔している印象を持ちました。
ついでに書いておくと、実戦では堅固な正拳でさえ痛めてしまうことが少なくありません。まだ開手の方がましですが、それでも方法を間違えれば怪我の危険度は増します。これは実際にやった人であれば容易に理解して頂けるでしょう。

勿論、組手と実戦はまったく異なるものであることは当然ですが、やはり咄嗟の状況で貫手、それも相手の中段に突き込むような貫手については、よほどの不意打ち以外での実用性に大きな疑問がありました。

 

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–Profile–

横山和正(Kazumasa Yokoyama

沖縄小林流空手道研心会館々長。
本名・英信。1958(昭和33)年、神奈川県生まれ。幼少の頃から柔道・剣道・空手道に親しみつつ水泳・体操等のスポーツで活躍する。高校時代にはレスリング部に所属し、柔道・空手道・ボクシング等の活動・稽古を積む。

高校卒業の年、早くから進学が決まったことを利用し、台湾へ空手道の源泉ともいえる中国拳法の修行に出かけ、八歩蟷螂拳の名手・衛笑堂老師、他の指導を受ける。その後、糸東流系の全国大会団体戦で3位、以降も台湾へ数回渡る中で、型と実用性の接点を感じ取り、当時東京では少なかった沖縄小林流の師範を探しあて沖縄首里空手の修行を開始する。帯昇段を機に沖縄へ渡り、かねてから希望していた先生の一人、仲里周五郎師に師事し専門指導を受ける。

沖縄滞在期間に米国人空手家の目に留まり、米国人の招待、および仲里師の薦めもあり1981年にサンフランシスコへと渡る。見知らぬ異国の地で悪戦苦闘しながらも1984年にはテキサス州を中心としたカラテ大会で活躍し”閃光の鷹””見えない手”との異名を取り同州のマーシャルアーツ協会のMVPを受賞する。1988年にテキサス州を拠点として研心国際空手道(沖縄小林流)を発足、以後、米国AAU(Amateur Athletic Union アマチュア運動連合)の空手道ガルフ地区の会長、全米オフィスの技術部に役員の籍を置く。

これまでにも雑誌・DVD・セミナー・ラジオ・TV 等で独自の人生体験と沖縄空手を紹介して今日に至り、その年齢を感じさせない身体のキレは瞬撃手と呼ばれている。近年、沖縄の空手道=首里手が広く日本国内に紹介され様々な技法や身体操作が紹介される一方で、今一度沖縄空手の源泉的実体を掘り下げ、より現実的にその優秀性を解明していくことを説く。 すべては基本の中から生まれ応用に行き着くものでなくてはならない。 本来の空手のあり方は基本→型→応用すべてが深い繋がりのあるものなのだ。 そうした見解から沖縄空手に伝えられる基本を説いていこうと試みる。

平成30年5月26日、尿管癌により逝去。享年60。

書籍『瞬撃手・横山和正の空手の原理原則』(BABジャパン) ビデオ「沖縄小林流空手道 夫婦手を使う」・「沖縄小林流空手 ナイファンチをつかう」・「沖縄小林流空手道 ピンアン実戦型をつかう」「沖縄小林流の強さ【瞬撃の空手】」(BABジャパン)

web site: 「研心会館 沖縄小林流空手道」
blog:「瞬撃手 横山和正のオフィシャルブログ」