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introduction現在、数ある総合格闘技(MMA)団体のなかでも、最高峰といえる存在がUFCだ。本国アメリカでは既に競技規模、ビジネス規模ともにボクシングに並ぶ存在と言われている。しかしMMAの歴史を振り返れば、その源には日本がある。大会としてUFCのあり方に大きなヒントを与えたPRIDEはもちろん、MMAという競技自体が日本発であるのはよく知られるところだ。
そこで本連載ではベテラン格闘技ライターであり、WOWOWで放送中の「UFC -究極格闘技-」で解説を務めている稲垣 收氏に、改めてUFCが如何にしてメジャー・スポーツとして今日の成功を築き上げたのかを語って頂く。
そこで本連載ではベテラン格闘技ライターであり、WOWOWで放送中の「UFC -究極格闘技-」で解説を務めている稲垣 收氏に、改めてUFCが如何にしてメジャー・スポーツとして今日の成功を築き上げたのかを語って頂く。
競技の骨組みとなるルール、選手の育成、ランキングはもちろん、大会運営やビジネス展開など如何にして今日の「UFCが出来上がったのか」そして、「なにが日本とは違ったのか?」を解き明かしていきたい。
世界一の“総合格闘技”大会 UFCとは何か?
The Root of UFC ―― The World Biggest MMA Event
第三回 「”ドサ回り”不遇時代脱出の努力――ルール改正」
著●稲垣 收(フリー・ジャーナリスト)
前回は初期UFC(Ultimate Fighting Championship)でのホイス・グレイシーの連覇とその離脱、そしてその後に起こったジョン・マッケイン上院議員らによるバッシングで、UFCが全米50州のうち36州で大会を開催できず、南部諸州の田舎町をドサ回りせざるをえなくなったことについて書いた。
のちにオバマの対立候補として共和党の大統領候補になるマッケイン上院議員が、1996年に初期UFCのビデオを見て「人間に軍鶏の戦いをさせているようなものだ」としてその危険さ、残酷さをアピールし、全米50州の知事にUFCおよび総合格闘技を禁止すべきだと要請する手紙を書いたのだ。
今回は、その不遇時代を脱するためにUFCがどのような努力を重ねてきたか、その苦闘の歴史をやや駆け足で追ってみたい。また、日本では、WOWOWで2002年から続いてきたUFCの放送が、この4月6日で終わった。その後の動きについてもカコミ記事で触れたい。
UFC6でケン・シャムロックが
「初代UFCスーパーファイト王者」に
ロシアの「サンビスト」タクタロフがトーナメント優勝
UFC5でホイスと引き分けたケン・シャムロックは95年7月に開催されたUFC6で、UFC5のトーナメント優勝者ダン・スバーンと対戦した。そして、ギロチン・チョークでスバーンを2分14秒で降し、初代UFCスーパーファイト王者となった。
一方、このUFC6で行われた8人によるトーナメントでは、決勝で“ハンティントン・ビーチのケンカ屋”タンク・アボットを破ったオレグ・タクタロフが優勝した。※タクタロフについてはコラムで後述したい。
タクタロフはロシア人で、12歳から柔道とサンボ(ロシアの徒手格闘技。サモザシタ・ビェス・アバローナ=「武器なしで身を守る」というロシア語の頭文字を取って「サンボ」と呼ばれ、警察や軍隊で教えられてきた)を学び、ソ連軍(当時)に入隊したのち、ソ連秘密警察KGBの特殊部隊の格闘教官をしていたこともある。
タクタロフは体重95キロほどだったが、UFC6のトーナメント決勝戦では、体重130キロを超える巨漢アボットを17分47秒、裸締めによって降した。(アボット自身もこの大会の1回戦で、自分より50キロも重い体重181キロのジョン・マチュアをわずか18秒でKOしている。)
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