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前回のインタビューでは、第11回全世界空手道選手権大会についての総括を語り、日本人選手が王座を死守した理由についての考察をお伝えした。
今回は、改めて塚本師範がその修行の過程で出会い、大きな影響を受けた故・伊藤昇先生と胴体力メソッドについてお話を伺った。そこからはフルコンタクト(直接打撃性)の極真空手の試合を経てこそ見えてくる、武術と試合の融合点が見えてきた。
コ2【kotsu】寄稿レポート
塚本徳臣師範インタビュー03
~武術と試合、胴体力を経て見えたもの~
取材・文・写真●林田哲臣
胴体力との出会い
前回、第11回世界大会が終了して、
「受けの組手から体捌きの組手の時代となり、より武道に近づいた」
と述べましたが、僕が武道というものを意識するようになった伊藤昇先生の教えとそれを実戦で使えるようになるまでのことを振り返ってみたいと思います。
当時、伊藤先生についてはすでに著書を読んでいたので、“すごい先生がいるんだな”という程度の認識でした。そんな中、パントマイマーの中村有志さんとお会いする機会がありました。
中村さんはパントマイムで格闘技の戦いを表現してくださったのですが、その動きが熟練の武道家を思わせるような素晴らしさがあり、驚きとともに感動を覚えました。すると中村さんが「先生はもっと凄いよ」と伊藤先生を紹介してくださったのがきっかけでした。
初めてお会いした時に伊藤先生は順突きを見せてくださったのですが、それまでに見たことがない速さと伸びがあり、人間はこんな動きができるようになるのかと感動しました。
自分はそれなりに運動神経はいい方でどんな動きもできると思っていたのですが、伊藤先生の動きはそれでは計り知れない凄みを秘めていると感じました。先生の動きに感動していると「この動きは胴体を使っています。この筋肉を使っています」とわかりやすく説明してくださり、それからジョーダンをはじめ、世界の一流と呼ばれる人の動きを伊藤先生の理論で見ると、それまでとは違った見方ができるようになり、“だからこの人たちの動きは凄いのか”ということがわかってきました。
この驚きと感動をきっかけに伊藤先生の理論で自分の身体も開発していこうと決意し、教えを受けるようになりました
伊藤先生の思い出
伊藤先生指導ははとにかくわかりやすく説明し、そして理解できるまで何度も繰り返すやり方でした。
しかし、その教えをすぐに理解し動きに表せるわけではないので、とにかく先生から教わったことを少しでも理解し身につけられるよう、ひたすらひとりで反復稽古をしていました。できるとはいかなくても教えられた内容が理解できるようになるまで繰り返し反復稽古する日々を送っている中、ある日先生が「見なさい、塚本君。みんなまだまだ練習が足りていませんね。君は良くなってきていますよ」と言ってくださいました。
自分はまだぜんぜんできていないと思っていたのですが、先生は稽古以外のちょっとした動きの変化でも生徒の努力を読む力がありました。先生はそういう細かい変化を見抜く絶対視力という能力を持っていたそうです。
また先生は階段から聞こえる足音で「あ、誰々さんが来ましたね」と言うのですが、それは100パーセント当たっていました。おそらく生徒のちょっとした体重のかけかたなどから足音を記憶していて、動き方や体重のかけかたが頭に浮かぶのでしょう。自分も生徒の突き蹴りの動きを見て「良くなったな!」ということはありますが、伊藤先生はそうした突いたり蹴ったりなどの動きではなく、ちょっとした動きを見て「変わりましたね。良くなりましたね」と気づいていました。
また、印象的な思い出として身体操作のことだけでなく、たとえば「身なりを綺麗にしなさいといった」生活のことも注意し、指導されていました。得てして格闘家は“強ければそれでいい”というところがありますが、伊藤先生はそうした“生活の面をきちんとしなければ身体は開発されない”という考えを持っていました。
第8回世界大会の失敗から学んだこと
胴体力を学んで初めての世界大会が第8回全世界空手道選手権大会(2003年10月4-5日 東京体育館)でした。
この大会ではこれまでにない身体感覚を持って会場に立ちました。骨盤の奥底まで使える感覚を得られるようになっていて、体の筋繊維の一本一本を意識して動きを表現できるような意識がありました。しかし、初戦のファーストコンタクトで「この大会は勝てない!」と本能的に確信しました。
結果的にはヴァレリー・ディミトロフ選手に合わせ一本を取られ7位で終わりました。この大会に臨むにあたって自分なりに一生懸命稽古を積んでいましたが、動きを研ぎ澄ますことだけに気を取られ、対人の本気のぶつかり合いの稽古が足りていませんでした。大きな岩のような人間に対して技をぶつけ、ぶつけられてそれを捌くという稽古がまったくできていませんでした。
極真空手は顔面への突きがない分、最後までしっかり打ち合わないといけません。技術だけではなく体もできていないと勝つことはできません。
朝練にはプロの選手も参加するので顔面ありや総合などいろんなルールをやることがありますが、武術の動きを競技ルールで使うことに関しては極真ルールが最も難しく“ごまかしが効かないルール”だと思います。
この“ごまかしが効かない”というところが極真空手の最も良いところだと思います。
“ごまかしの効かないルール”の中で武術の動きを使うことが如何に難しいことか。しかしその難しさがいい。簡単に通用しないからこそ本物を作る格好の場となりうると思います。
スパーリングなどでは顔面があれば間合いを取って動きのキレだけでその場をごまかすこともできますが、極真ルールでは相手は休みなくガンガン来ます。リセットし研ぎ澄ます隙を与えてくれません。その中に身をおいてこそ本当の意味で武術の体の使い方が身についていくのではないかと思います。
第8回世界大会以降、薄暗い中ひとりでひたすら稽古して感覚を研ぎ澄まし、その感覚を持って毎日サポーターなしのスパーリングをひとり1分60から100ラウンドこなして、経験を積むことに集中しました。
世界大会直前に海外から来られた師範とスパーリングをする機会がありました。師範は「すごい動きだ。こんな衝撃を受けたのは初めてだ」と感激してくださって、それぐらい動けていたわけですが、いざ実戦の場では通用しませんでした。あの時は空突き、空蹴りをひたすらやりこんで感覚を研ぎすませた結果の一本負けです。
だから僕は第8回世界大会で身を持って味わった経験から型だけの稽古は無意味で、また通用しないと考えています。武術の稽古と本気でコンタクトする稽古を両立させていくことが本物の技を作り上げる道、すなわち武道ではないかと思います。
また、稽古以上に技を磨く場はやはり試合だと思います。以前にもお話ししましたが、試合という場は友達や家族が応援に来て負けられない状況です。世界大会となると国を代表して出場してきますから、国民の代表として絶対に負けられないわけです。競技ですが命のやり取りをするような気持ちで選手は試合場に上がります。
そんな状況の中で身につけた技術を使っていこうすることで、より研ぎ澄まされた本物の技になっていくと思います。
塚本道場に生きる胴体力の教え
僕が伊藤先生から教わったことは自然に選手指導の中に含めて教えています。
選手を対象にした朝練では最初の体操から胴体力が入っています。肋骨と骨盤を開いたり仙骨を締めるストレッチをやっているので自然に身についているはずです。特に「伊藤先生の教えは〜」などということを言うことはありません。しかし彼らは普段の稽古から、丸めなければいけない、反らさなければいけない、伸ばさなければいけない、縮めなければいけない、捻らなければいけない、体は細分化しなければいけない、ということが自然に刷り込まれています。彼らはそういうものだと思って稽古していると思いますし、またそうした動きを求めていることを感じます。
自分自身もいまだ修行の途中です。伊藤先生の教えが理解できるようになったのは教わって半年くらい経ったくらいでしょうか。まだできないけれども理解できるようになり、紙一枚を積むようにやっていこうと決意して今に至っています。
それ以来、普段の生活の動き、例えば自転車を漕ぐとき時も体の動きを意識するようになりました。しかし「ここから劇的に変わった!できるようになった!」というものはありません。日々の稽古を重ね、ある程度時間が経ち、振り返った時に初めて変化していたことに気づくということの繰り返しです。この積み重ねが第10回世界大会での優勝に繋がっていったと思います。
いつか伊藤先生に少しでも近づき同じものが見えるよう、これからもさらに追求し稽古を続けていきます。
(第三回 了)
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