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2013年7月に松田隆智先生が亡くなられて今年で3年。中国武術を日本に広めたパイオニアとしての存在感はもちろん、生涯を通じて武術を追求したその姿勢は、弟子をはじめ多くのファンのあいだで没後なお語り継がれている。
そこでコ2【kotsu】では、松田先生の初期弟子のお一人であり、現在は役者として活躍しながらも、いまも武術の稽古を続けておられる須藤正裕氏にお話を伺った。
コ2【kotsu】特別インタビュー
“武の人”松田隆智先生を偲んで、
初期弟子・須藤正裕氏に聞く(後編)
語り●須藤正裕
取材・構成●コ2【kotsu】編集部
一番役に立ったのは蟷螂拳
コ2編集部(以下、コ2) 大学を卒業された後はどうされたのでしょう?
須藤 大学を卒業したときに暫く拳法に打ち込もうと、バイトをしながら新宿の十二社の近くの安アパートで4年間くらいいたよ。そのうちに松田先生の紹介で福昌堂でバイトをするようになって、辞めた編集部員の代わりに入って雑誌「月刊空手道」や「武術(ウーシュウ)」を作ったりしたんだよ。ただすぐに役者の修業を始めたから、社員時代は1年くらいだったね。
コ2 「武術」は書きつつ紙面に修行者として登場していたわけですね。
須藤 そうだね。まあ、いまにして思えばよく分からないのに偉そうなことを随分書いていた気がする(笑)。
コ2 松田先生に怒られた思い出はありますか?
須藤 一番覚えているのは演武会が終わった後で、「お前は口ばかりで稽古が足りない」と言われたことだね。実際稽古が足りなかった(笑)。褒められたことは記憶にないな。やっぱり身体が大きかったから、小さい人とは違って難しいところはあったと思う。
コ2 逆に松田先生の動きはどんな印象ですか?
須藤 あんまり見ていないんだけれど、いま思えば固いという印象はあるね。その一方で極真空手という存在もあって、やっぱり向こうの方が明らかに即効性があるので気になっていたよ。
コ2 極真との接点はあったのですか?
須藤 一度バイト先の仲間が極真をやっていて、色々話しているうちに「じゃあ、ちょっとやるか?」ということになったことはあるよ。
コ2 どうなりましたか?
須藤 喧嘩というわけじゃなくてあくまでも手合わせだったんだけど、一番効いたのは蟷螂拳だったよ。普通にやっていてもコンビネーションは出るし、何も考えなくても蹴りが金的に入る(笑)。だから、初めから金的が入って、「ゴメン、ゴメン、ちょっと休んでからやろう」となって、再開したらいきなりまた金的が入って「あ!」みたいな(笑)。改めて「よくできているな」と思ったよ。弾腿や査拳に比べると即効性があるよね。
コ2 やっぱり、「使えるか、使えないか」は習う側にとっては大事なポイントですね。
須藤 そりゃそうだよ、まして極真が側にあった時代だから。「そのうち使えるようになるだろう」と思いながら地味な稽古を繰り返すことにジレンマはあったよ。
コ2 松田先生も防具を着けて打ち合ったりを研究されていますね。
須藤 自分がいたときにはまだそんなにやっていなかったと思う。どちらかと言えば蟷螂拳をやっているイメージが強いね。でも当時は色々な奴がいたなぁ。「俺は直接向こう(大陸)で習ってきた」と言い張るんだけど、動きが本に載っている分解写真そのままでカクカク動く奴とか(笑)。
コ2 (笑)
須藤 ただそれは論外として、中国人はいい意味でも悪い意味でもアバウトな人が多いから、伝わるなかで凄く変化していると思うよ。実際、自分も陳家溝に行って本場の陳式太極拳を見たときには衝撃だったから。
コ2 松田先生から習ったものとは違いましたか?
須藤 違った。まあ、いまとなれば事情も分かるけど当時は結構ショックだったね。
コ2 段々色々な情報が分かってくるなかで先生ご自身も色々悩まれるところはあったでしょうね。
須藤 本なんかで自分が神格化されていることに対しては「別に俺より強い奴は沢山いるよ」と仰っていたね。
コ2 そういう扱いを受けることに対しては危機感というか違和感があったわけですね。
須藤 そうだったと思うよ。ただ同時に段々自分以外にも中国拳法を修めている人が登場し始めたことに、パイオニアとしてのプライドや第一人者であり続けることへのこだわりはあったんじゃないかな。
コ2 先ほどの少しお話に出てきましたが、須藤さんは武術雑誌の編集者としても色々な先生にお会いになっていると思いますが、そのなかでも印象に残っている先生はどんな方でしょう?
須藤 黒田鉄山先生はやっぱり宗家という雰囲気があったのと、技に対して非常に真摯で、自分の技や稽古についても冷静にお話しされていたのをよく覚えてるね。あとは佐川(幸義)先生かな。
コ2 お会いになっているんですね。
須藤 座った状態で手を取らせてもらったんだけど、抜いたような力で持っていかれたね。やっぱり見事なものだった。抜かれているからこちらから集中ができないんだよ。
コ2 役者として活動されるなかで出会った武術のなかで印象的な流派はありますか?
須藤 役としては結局なくなってしまったんだけど、薬丸自顕流を遣う役の関係で、鹿児島へ習いに行ったことがあるんだけど面白かったね。横木打ちというのをやらせて頂いたんだけどヒザに凄く負担のかかる稽古で、「これはヒザが悪くしませんか?」と師範に聞いたら「昔はヒザが悪くなる前に死ぬから」って(笑)。確かに、もともと薩摩の下級藩士に伝えられたいわゆる一兵卒のための剣術だから、「なるほど、そういう種類の剣術もあるのか」と思ったね。稽古の様子を描いた古い絵を見ると褌一丁で剣を振っていて、「これは兵隊としては強いな」と感じたよ。
コ2 長年武術を学ばれていることが、役の上でも生きていると思いますが、やはり実際に殺陣などにも影響があるのでしょうか?
須藤 それはあるよ。そもそも日本の殺陣は歌舞伎からきているので、見栄えが優先されていて、武術的なリアルティーは伝統的にあまりなかった。そういう意味では自分は武術的に見て成立している殺陣を求めているから。殺陣師の人も色々で、色々技を見せたがるタイプの人もいるけれど、本当に命のやり取りという場面で出ることというのは限られていると思って、自分はやっているね。むしろそぎ落としてギリギリ残ったところに凄みが出るんじゃないかな。黒澤(明)監督は、やっぱりそういうリアルティーがあったよね。
松田先生が教えてくれた浪漫
コ2 改めて一番覚えている松田先生の思い出というとどんなことでしょう?
須藤 それはやっぱり会えたときの嬉しさと、先生のお家で奥様の手料理をご馳走になったことかな。できるだけ長居して色々なお話しを聞きたいから粘ってたら、「お前、そろそろ帰んねぇか?」と言われたよ(笑)。それこそ色々なお話しを伺ったなぁ。先生は「今日は何回突いた」とか凄く記録していたね。
コ2 「こういう風に稽古をしろ」というような言い方なのでしょうか?
須藤 いや、「こんな風に俺はやっている」という言い方が多かったと思う。自分自身はあんまりメモとか取らないでやってきた方だね。
コ2 当時を知っている人が「須藤さんは物凄く套路を覚えるのが早かった」と聞いたことがあります。
須藤 そうだね。それは役者になったからも同じで、殺陣や台詞を覚えるのは早い方だから。お陰で押井(守)監督の作品では、「須藤さんは台詞覚えがいいから」って、えらい長い台詞を用意されたな(苦笑)。アニメなら台本を読みながらアテレコできるけど、役者は見ないで動きながら喋らなきゃいけないから大変なんだよ。
コ2 覚えるコツってあるのでしょうか?
須藤 それは繰り返しだよ。10ぺんで駄目なら100ぺん。それで駄目なら1000ぺん。とにかく意味なんて分からなくていいから、自動的に出てくるくらい繰り返すしかないよ。そうなると何をしていても自由に出てくるよ。
コ2 それは武術の稽古にも言えそうですね。
須藤 そうかもしれないね。ただ自分はもともと人を殴るのが好きで武術の世界に入ったわけではないからね。喧嘩でも先に殴られないとやる気にならないタイプだったから(笑)。
コ2 そこは松田先生とは違いますね(笑)。
須藤 先生は短気だったからね(笑)。一度中国で弟子の一人が先生の許可なく、先生の演武を撮影していて凄く怒られていたな。あの頃は型がすべてだったからね。そういうところは凄く厳しかった。逆に言うといまみたいに、型で身体を練るという発想はまだなかったと思う。
コ2 改めて稽古は厳しかったですか?
須藤 厳しいよ。だけど乱暴なことはない。
コ2 松田先生とのお付き合いはどのくらいまで続いたのでしょうか?
須藤 2回目の大陸(1980年)の頃くらいで、そのときにはもう役者の仕事を始めようとしていて、福昌堂からフリーの編集者として委託されて写真を撮ったりしていたな。それが24歳くらいの頃だね。
コ2 では19歳からその24歳くらいまでが濃いお付き合いの時期だったわけですね。
須藤 そうだね。役者になることを伝えたら随分ガッカリしたみたいだけど、暫くしてから会ったときには別になんのわだかまりもなく、「お前も頑張ってるな」くらいだったね。
コ2 改めて松田先生は須藤さんの人生にどんな影響を与えましたか?
須藤 若い頃に夢、浪漫を与えてくれたね。あの個性に、具体的に「ここが」と言うことはできないけれど相当影響を受けていると思うよ。いい先生に出会えたと思いますよ。
コ2 松田先生が入り口だったから、いまも武術を続けているのでしょうか?
須藤 そうかもしれないね。少なくとも先生が教えてくれた浪漫が嘘ではなかったと、自分自身がそう感じられるところまでは来られていると思うよ。
自分は武術の戦うという要素については、正直それほど積極的に興味があったわけではなくて、追い込まれれば戦うけれどという感じだから。幸いほとんどそういう場面では使わないで済んできている。だけど役者という映像の世界で、殺陣というところでお世話になっている気がするね。それは平和な時代だということで良いことだと思うよ。
コ2 本日はお忙しいところありがとうございました。
(後編 了)
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