対談 龍村 修×長沼敬憲 ミトコンドリアとヨガ・瞑想、呼吸で繋がるカラダの世界04

| 龍村 修、長沼敬憲

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2017年7月7日金東京・八重洲ブックセンターにて開催された、龍村 修先生長沼敬憲先生の出版記念講演会。最終回の第4回では、日本人が感覚的に共有してきた「肚の文化」についてお送りします。地位が低くても貧しくても、昔の人たちに気品があったのは、いざというときに気を下せたから… 現代の私たちにとっても学びの多い話題で、会場が盛り上がりました。

 

『龍村式指ヨガ 脳と体のセルフケア』
『ミトコンドリア“腸”健康法』(日貿出版社) ダブル出版記念

対談/龍村 修×長沼敬憲
ミトコンドリアとヨガ・瞑想、呼吸で繋がるカラダの世界

第4回(最終回) 科学では解明しきれない、気のバランスを変える肚の文化

語り龍村 修、長沼敬憲
構成大場敬子
協力八重洲ブックセンター

 

龍村先生、長沼さん

 

生体コミュニケーションが大事

龍村 修(以下、龍村) 私達や動物は水を求めて移動しますし、温かくなったら北へ行きますし、寒くなったら南へ行きます。明るくなったら活動する生き物もいますし、逆に暗くなってから動き出す生き物もいます。

こうしてあらゆる生き物は、水の存在や温度や光を感知して生きているのです。その中で人間だけは、例えば水を「H2O」と認識することができます。でも、太陽のお蔭で私達があるのだとか、水によって生かされていると気づくことや、水の中に神を見るような心、自然を崇拝する心を育てることが、人間として大切なのだと感じていますね。

この部分は、あまりに科学を優先してしまうと、水によって私たちが生かされているという事実に感謝したり、太陽をお天道様と呼ぶ心が薄くなり、自然に感謝することに意識が向きにくくなってしまいます。

長沼 敬憲(以下、長沼) たしかに、そうなっちゃいますよね。「暗黙知」というか、近代までは、感覚的に共有できたものでずっとやってきました。江戸時代くらいまでですかね。経験の中から生かされる暗黙の了解、すなわち文化があったんです。

文化は、共有できる意識のことですね。

コミュニティがあるとしたら、この中でみんなが持ち得た価値観が文化。この文化が、科学によって失われてしまったというところに、今の問題があります。明治維新から150年くらいかけて、私たちはさんざん頭を使う練習をしてきました。

日本人はもう、一生懸命学んだんです。代々そういう教えを受けてきたから、カラダが半分毒されてしまっています。これだけ勉強してきたんだから、もういいじゃないですか。全部否定する必要はないけれど、そろそろカラダで感じるチカラを活かしていくべきです。

 

日本が誇る“肚の文化”

龍村 結局私たち日本人が、日本人として世界人類に貢献できるとしたら、何をしなければいけないのか ということです。今まではずいぶんヨーロッパの色々な文化から技術や知識を学んで、それらを上手に生かすことで、さまざまな一流の技術を身につけてきた。そういう西洋的物質的な文化の行き詰まりがあるから、ヨーロッパでも東洋の精神文化である禅やヨガを求めて行く理由があっただと思います。

でも、私たちがお返しすべきものもある。それは「丹田(たんでん)=肚(ハラ)」や「仏性(ぶっしょう)」といった東洋の精神文化です。ところが、これが、私たち、日本人の中でも失われてきているのじゃないでしょうか。

たとえば、元横綱の大鵬関が、朝青龍関が現役の横綱だったときに言ったことを知ってますか。直接的に名前は出しては言われませんでしたけれど、新聞にこんなことが載っていました。「自分は若いころ親方から1日500回の四股踏みをしなさい、テッポウを2000回しなさい」と言われて、忠実にそれを守ってやってきました。ところが、「最近の関取は、四股踏みやテッポウの代わり、マシンを使って筋トレを行っている、これではダメだ」ということを言っておられました。

四股踏みやテッポウの効果は、マシンを使った筋トレでは変わることができないものがある、という意味ですね。「肚を鍛える」とうことだと思います。このことが、土俵上での精神的な態度につながるのですよね。強いだけじゃない部分。投げ飛ばしたからといって「俺が強いだろう、自分のほうが上だろう」という心の態度、そうした品格を大切にしない態度、土俵で力の強弱のみで勝負する態度を、絶対的に避けてきたんです。土俵は神聖な場で、格闘技ショーやプロレスのリングではないのですから。

私たちの伝統的精神文化の中では、心身の安定力である丹田を鍛え、仏性力を啓発することを重んじてきたはずなのです。心・技・体の調和を大切にし、同じ技術をやっていても、そこに道の文化、技術の上手さや強さにとどまらない心を養うことを大切にしてきたと思うのです。

長沼 私もずっと、セミナーなどで日本人の文化は「肚の文化」だと言ってきました。肚が大事だから、腸も大事。腸が健康でなければ、丹田のチカラは落ち、気力も落ちてしまいます。すると、ここ一番の時に踏ん張れない。

昔の時代、たとえば第1回のところでお話しました、フランシスコ・ザビエルの時代もそうです。すごい旅をして日本にやってきた宣教師たちって、相当な胆力があると思いますよ。日本のお百姓さんの立ち居振る舞いを見て、驚嘆したと言われています。「一般の人たちなのに、妙に気品がある。貧しいのに、みんなニコニコと生きている」……書簡にはそういった意味の記述も残っているようです。

現代と何が違うのでしょうか。それは、肚のチカラだと思います。呼吸は最後に肚にきます。腹式であるだけでなく、「上虚下実じょうきょかじつ頭ばかり使うなどして、首から上にばかりエネルギーが集中し、下半身のチカラが抜けるバランスを元に戻すこと」。頭でっかちではなく、肚で生きようというところで『腸能力』という本を書きました。

龍村 その通りですね。同感です。それでは「肚にチカラを入れる」ことが、どういう影響があるのかというのを、ひとつ実験をやってみましょう。カラダを動かさないで、呼吸だけで行なう方法です。

書籍『眼ヨガ』(龍村修著 日貿出版社)より。
書籍『眼ヨガ』(龍村修著 日貿出版社)より。

 

まず、姿勢を反らさずに首だけそらせて、頭を上げて、どこまで見えるかを覚えていてくださいね。はい、戻します。そして、息を吸った後、吐きながら肛門を締めてください。また吸って、吐きながら締めましょう。当然お腹も締まってきますね。

ゆるめに吸って、吐きながらフーッと締めてしめて……、また吸ってもう1回同じように行いましょう。顔まで締めている人がいますから(笑)、顔はニコッとして。はい、ではもう一度、首から見上げてみてください。先ほどよりも遠くまで見えませんか? 首の運動はしていないのに。

首が凝っているとき、たいていの人は首に対して何かしようとします。これって、体というモノに囚われているのです。エネルギー(氣)のバランスをただ整える、という考え方がないですよね。

今の方法は、呼吸によってエネルギーのバランスを変えただけです。いわば、氣の体のバランスを整えたのです。下半身に力を集めると、上半身の力が抜けるので、上虚下実の状態をつくることができます。これをヨーロッパやアメリカで実践すると、肉体という観念しかないからか、みなさん「why? why?」と言って驚きますよ。これは、欧米の人が坐禅や瞑想をやるひとつのきっかけになったのではないでしょうか。

では、続いて瞑想をやりましょう。座ったままで行ないます。軽く目を閉じて、両手は親指と人差し指を軽くあわせてリングをつくり、太ももの上にのせます。そしてチカラで姿勢を整えるのではない方法で背を伸ばして。軽く目を閉じます。

書籍『指ヨガ健康法』(龍村修著 日貿出版社)より。

 

私たちの中に働いているチカラのひとつは重力、これは下のほうに働いています。もう一つの遠心力は、背筋のほうに合わせます。頭のてっぺんは、宇宙にすーっと伸びていく、そして下半身は大地にすーっと下りていく。そうしたら、呼吸を通じて観察しましょう。

最初は、数回くらい意識的に長い呼吸をします。私が6つ数える間に吸い、12数える間で吐いてください。では吸います1,2,3,4,5,6,…、吐きます1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12……。ゆるめて、もう一度つ吸います……、吐きます……。くり返します。

ここからは自然な呼吸に戻して。コントロールしようとしないでください。お腹のレベルで、ただ自分がしている呼吸を感じます。吸う息とともにお腹が自然にふくらんで、吐く息とともにへこんでいく。

今、私の心は息をしている自分自身に向けて観察しています。まだ、悩みのない赤ちゃんが眠っているときに、全身で吸ったり吐いたりしている、そんな感覚です。自分が息をしているだけの生き物になったつもりで、ただ息をしている自分を、まずお腹で感じましょう。

特別な何かをしようとするのではなくて、ただ今あることを感じます。ただ呼吸を感じていると、呼吸をしている自分から離れることなく、カラダの緊張もほぐれてきて、静まってくるのを感じます。よりゆったりとしたカラダの状態になってきて、続いて心も静まってくる……。

見ている自分は、見ている対象の自分に影響を受けて、同時に静まった状態になっています。心が静まってくると同時に、池の水面が空に輝く月を歪みなく映している、そんな状態です。ただ生き物として、息をしている自分を感じていることによって、心をあちこち動かし歪ませるさまざまな内容の影響を受けて、心が疲れてしまうことがなくなっていきます。

それでは一度大きく息を吐いて、大きく息を吸って。はい、じゃあゆっくりと目を開いてください。わずか3分くらいでしたが、ちょっとしたときに今のような意識を呼吸に向けていくと、心が落ちついていきます。すると、これは、ありのままの自分に気づけるというさわりの瞑想でした。

 

呼吸は食事?

司会 ありがとうございます。ここで質疑応答に移ります。何かご質問のある方はいらっしゃいますか

参加者 本日はありがとうございました。お二人のお話、大変興味深いです。私自身が興味を持っているのが「不食ふしょく」でして、有名な俳優さんや食事を一切抜いて、空気だけで生きている人も何人かいると聞いたことがあります。それも、呼吸によってミトコンドリアを活性化させているのかなと感じたのですが、何か思うことがありましたらシェア願います。

長沼 そうですね。栄養学の先生に「不食」ってどう思いますか?と聞いたことがあります。実際にそういった方を観察し、体の中で何が起こっているのかを探ってみたいと言っている方もおられますね。

まずは、科学的に分かるかという問題があります。数ヶ月単位で長期間やっているという話も聞きますから、プラーナみたいなものを想定しないと解けないかもしれません。ああいうレベルになると、呼吸なども含め、「食べ物以外も含めて食事である」という捉え方をされたほうがいいでしょう。

栄養学を学んでいると、様々な栄養素について学びますが、そこに「酸素」は含まれていません。そういう問題はありますが、食べずに元気に生きていられる以上、どちらにしても、ミトコンドリアは活性化しているはずです。つまり、不食を実践する人は、その形で適応したということです。健康は腸内細菌も含めて、適応した状態で作られます。

活性化していなければ、生きていられないですから。不食の方々は、その形で適応したということです。健康は腸内細菌も含めて、適応した状態で作られます。

実は、「これを食べると健康になれる」という概念以上に様々なバリエーション、健康になれる要素があるのかもしれません。まだ解明されていないことも含めて。不食はそういう面で、私たちにメッセージを投げかけてくれていますね。龍村先生はいかがですか

龍村 私は断食はしたことがありますが、全く食べない、水も飲まないという不食はやったことがないです。今まで見ていると、水も飲まない断食の人は2週間ぐらい続いたところで亡くなります。だから、よくわからないのです。

実際に今の仏教では、断食死は礼賛されませんけれど、ジャイナ教では実際にやっているし、日本でも断食したまま即身成仏生きながらにして仏になることのような形をやった人もいます。それと不食がどう重なるのかは分からないのですが。

長沼 昔、木食上人(もくじきしょうにん)って、山を歩きながら仏像彫刻を作る修行者がいて。90歳台まで生きたと言われていますが、超のつくハードワークでありながら、そば粉ぐらいしか食べていなかったって記録があります。ちょっと考えられないですよね。肉だけでなく五穀もほぼ断ったようです。歴史のなかにそういう話が結構あるので、何かがあると思いますね。

つまり、私たちは「思い」、つまり文化で食べているんです。食べるってことが一種の刷り込みというか、本当はいらないかもしれない。思いが変われば、不食にいける可能性もあるかもしれない。だって文化や地域、時代によって食べるものは違うのに、それぞれの中で適応するわけですよね。

ですから、自分の食べる物や知識が絶対じゃないって思うのは、自然なことだと思います。その稀有な例として不食の人やヒマラヤの修行者が存在するということをフラットな気持ちでとらえ、注目するのはとても良いことだと思います。

司会 ありがとうございます。他にご質問のある方はいらっしゃいますか。

参加者 先ほど丹田を鍛えるのを学びましたが、歩いているときなど、日常生活でも鍛え続けるために、意識できそうな方法があれば教えてください。

龍村 普段から肛門を締めたり、足の親指や腰の角度を意識したりすることが大切です。

たとえば、歩いているときに、かかとをついて足の親指で蹴るとしますよね。その際、足の親指を意識しているかどうかで違ってきます。丹田によりエネルギーが行きやすいかどうかというのは、たとえば氷の上で滑って転ばないように歩くときに、足の裏全体を意識して指を広げると滑りにくくなりますよね。そういう形で常に意識を下に置くことです。

人間は頭のほうにばかり行ってしまいがちですから。ちょっとした時に、下半身とくに足の親指や膝の内側、肛門、下腹に意識を向けるということが、丹田を鍛えるということにつながって来ると思います。

昔、師匠に「肛門締めて、足の親指を鍛えていたら、肚が据わりますか」と聞いたら「ばかやりう、それだけじゃダメだ。生きるか死ぬかを何度かやったら肚が据わる」と言われました。つまり、「肚」とは、そういう意味なんですね。だから足腰を鍛えることと、いざというときに気をさっと下ろせて、平常心で対処できる、ということが大事。気が上がってしまったら、丹田のチカラが抜けてしまいますからね。

司会 改めてお二人に大きな拍手を。本日は、ありがとうございました

(第4回(最終回) 了)

 

新刊情報『カラダの中の隣人 ミトコンドリア“腸”健康法』(長沼敬憲著)

ミトコンドリア“腸”健康法
ミトコンドリア“腸”健康法

知ってますか、私たちの体の中にはミトコンドリアと呼ばれる無数の小さな生き物がいることを。今から約20億年前、この小さな“隣人”が私たちの中に入ってきたことで、生き物は爆発的なエネルギーを手に入れ、人へとなったのです。溢れる健康情報や新しい健康法を試す前に、ちょっと彼らの声を聞いてみませんか? 彼らと仲良くなることが健康はもちろん、生き方を変える切っ掛けになるはず。この本はそんなミトコンドリアと私たちの関係をもう一度見直せます。新しい健康法を試す前に読むべき一冊です。

単行本(ソフトカバー): 207ページ
出版社: 株式会社 日貿出版社 (2017/6/15)
言語: 日本語
ISBN-10: 4817070439
ISBN-13: 978-4817070432
発売日: 2017/6/15

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全国書店、アマゾンで好評発売中です。

 

新刊情報『龍村式 指ヨガ 脳と身体のセルフケア』(龍村 修著)

龍村式指ヨガ脳と身体のセルフケア

呼吸に合わせて手指を刺激することで自然治癒力を高める「龍村式指ヨガ」。
本書では、その基本となる考え方とともに、脳と体のバランスを調えるメソッドを多数収録。
応用メソッド、実践エピソードなど「指ヨガの新しい広がり」も紹介。

単行本(ソフトカバー): 112ページ
出版社: 株式会社 日貿出版社 (2017/6/9)
言語: 日本語
ISBN-10: 4817070447
ISBN-13: 978-4817070449
発売日: 2017/6/9

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–Profile–

龍村修先生

龍村 修 (Osamu Tatsumura)・ヨガ指導者
1948年、兵庫県生まれ。神奈川県秦野市在住。1972年、早稲田大学文学部卒。学生時代の演劇活動の中でヨガに出会い、1973年に求道ヨガの世界的権威・沖正弘導師に入門、内弟子になる。導師に同行し世界10数ヵ国以上でヨガ指導を経験。1985年導師没後、沖ヨガ修道場長就任を経て、1994年4月に独立、龍村ヨガ研究所を開設。国内外でヨガの指導に従事。ヨガや東洋伝統の英知を活用する心身づくりを提唱している。現在、龍村ヨガ研究所所長、国際総合生活ヨガ研修会主宰、NPO法人日本YOGA連盟副理事長、NPO法人沖ヨガ協会理事長、一般社団法人手のひらセルフケア協会理事長。主な著書に、『龍村式指ヨガ健康法』『龍村式ゆがみ解消法』『眼ヨガ』『龍村式耳ヨガ健康法』などがある。

Web Site:龍村ヨガ研究所

長沼敬憲(Takanori Naganuma
1969 年、山梨県生まれ。出版プロデューサー、エディター、サイエンス・ライター。「ハンカチーフ・ブックス」編集長。30代より医療・健康・食・生命科学の分野の取材を開始。著書に、ロングセラーになった『腸脳力』『この「食べ方」で腸はみるみる元気になる!』『最新の科学でわかった! 最強の24時間』など。 エディターとして、累計30万部を超えた「骨ストレッチ」シリーズの出版プロデュースを手がけるほか、『腸を鍛える』( 光岡知足 )、『栗本慎一郎の全世界史』(栗本慎一郎)、『医者が教える長生きのコツ』 (佐古田三郎) 、『死と闘わない生き方』 (土橋重隆・玄侑宗久) などの書籍の企画編集に携わる。2015年12 月、活動の拠点である三浦半島の葉山にて「ハンカチーフ・ブックス」を創刊。『僕が飼っていた牛はどこへ行った?』(共著:藤田一照)などの書籍、雑誌『TISSUE』を刊行するほか、トークイベント「ハンカチーフ・ブックスCafe」を定期的に開催している。

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