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イラストレーターである伊東昌美さんが、曹洞宗国際センター所長の藤田一照さんのもとを訪ねて、「生と死」「私とは?」など、仏教から観る“生きる智慧”についてじっくりうかがうこの対談。第七回は死ぬまでにおこなう“練習”について。苦しむか幸せになるかは、“あること”をするかで異なります。それをしない生き方を、死ぬまでに練習するのです。
対談/藤田一照×伊東昌美 「生きる練習、死ぬ練習」
第七回 「苦しみ」と「幸せ」の方程式
語り●藤田一照、伊東昌美
構成●阿久津若菜
一照さん:「生きていることでいろんなことが降りかかってきます、イヤなことも。そういうのは全部『死』」の雛形みたいなものです。そういう時に練習しておくんですよ。抵抗しないという練習。抵抗するから、その抵抗が苦しみを生み出すんです」
伊東 前回(第六回)では、苦悩の正体を見きわめ、その取り扱い方をどうするか? について伺いましたが、変えないといけないのは「苦悩」という言葉なんでしょうか? それとも、その感じ方?
藤田 車が猛スピードで、自分の目の前に迫ってきている場面を考えてみましょうか。そこでいくら「車」という名前を、別のものに取り替えても、車はこっちに向かってきますよね。そんなことしているくらいなら、まず避けないと(笑)。でもパニックになる必要はなくて、ただ避ければいいだけですよね。
伊東 なるほど。お金がない、という状況を考えても、同じことですね。お金がないのは事実だけれど、それに「貧困」とか「不幸」という名前を与えてしまうと、「何で私ばっかり」とか「因果応報だ」とか、いろいろ余計なことを考えてしまう。でもお金がない状況は同じでも、そこにつけている名前や考え方を変えれば……。
藤田 そうそう、もっと賢い対応ができる。
伊東 「(お金がないなら)仕事しよう」とか。
藤田 ええ、それでいいんですよ。「お金さん、ちょっとお出かけ中」とか。
伊東 そんな風になっていくことで楽になる。
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–Profile–
●藤田一照(Issho Fujita)写真右
1954年、愛媛県生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程中退。曹洞宗紫竹林安泰寺で得度し、1987年からアメリカ・マサチューセッツ州のヴァレー禅堂住持を務め、そのかたわら近隣の大学や瞑想センターで禅の指導を行う。現在、曹洞宗国際センター所長。著書に『現代座禅講義』(佼成出版社)、『アップデートする仏教』(山下良道との共著、幻冬舎)、訳書にティク・ナット・ハン『禅への鍵』(春秋社)、鈴木俊隆『禅マインド ビギナーズ・マインド2』(サンガ)など多数。
Web site 藤田一照公式サイト
オンライン禅コミュニティ磨塼寺