【新刊情報】横山和正先生より 文章「夢を求めて進む者達へ贈ります」を頂きました。

| コ2編集部

コ2【kotsu】の連載でもお馴染みの横山和正先生に、来る5月24日(木)に発刊される『瞬撃の哲理 沖縄空手の学び方』について、メッセージを頂きました。ご本人がFBなどで公表されているように、横山先生は現在、癌との闘病中です。本書は当初、本年10月の刊行を目指して企画されていたものですが、「生きているうちに完成した本を見たい」という強い希望により、今回発刊の運びとなりました。

それだけに、横山先生の沖縄空手への想いと空手哲学が込められた一冊となっています。

 

「夢を求めて進む者達へ贈ります」

文・横山和正

横山和正先生
横山和正先生

 

知るだけでは不十分、
学びなさい。

学ぶだけでは不十分、
実践しなさい。

 

これは私が米国で空手の指導の中でよく生徒達に言い聞かす言葉であり、同時に私の主宰する研心会館における道場訓のひとつでもあります。

近年インターネットの普及から、非常に多くの情報やニュースを容易に入手できる時代になりました。

しかし、「容易に手にした知識は容易に消え去る」と言うのが私の考えであり、むしろ中途半端な知識程タチが悪く危険なものは無いと考えています。

知識や情報は絶えず玉石混淆であり、多くの場合優れたものを生み出した影には、多くの失敗のくり返しがあるものですが、それが十分語られることは少ないように思われます。

また、単に知識を得るだけであれば一人でも出来るでしょう。

しかし、本当の意味で物事を学ぶには、それを導く指導者やともに稽古をする仲間が不可欠です。そしてそこに人との出会いがあり感謝や尊敬、更には迷い等の人間としての成長も含まれ、それが”学ぶ”という行為でしょう。

そうして得た知識を自分の能力として完成させてゆく行いが”実践”という錯誤の段階になります。

この段階を以て始めてこれまで得てきた知識が自己の能力となり、更なる新しいものを生み出してゆくこととなるのです。

空手は素晴らしい武道です。

そしてその真価を問うのは各々の修行者の中にあるのです。

私の場合、まさに空手はその言葉そのままに体に突然降臨してきました。

本書でも書いたように、それは私が沖縄での空手修行で無心に動き続けた“型”という動作の連日の訓練での出来事でした。

そこにはこれまで感じたことのない次元の違う自分との出会いがありました。

これを機に空手は従来の突き蹴りを用いておこなう武道から、自己の身体内外を充満し駆け抜ける、正体不明の大きなエネルギーの爆発と体が生み出す創造力の世界へと変わっていきました。

その感覚はこれまでの私の考える空手の技法や型の分解、その他がまるで無意味であるかの如く、圧倒的な速さ、巨大なパワーを感じさせるものでした。

そしてその力は絶えず空手の稽古とともに進化を続け、気がつくと私の人生そのものがそのエネルギーによって、予想もできない世界、方向へと道が拓かれていきました。

最早空手は単なる武道の稽古の域を超え、私の人格を築く基盤となり実質的な生活や活動そのものとなり、海を超えて米国、さらにはヨーロッパまで導いていきました。

そうした様々な旅路はいつも空手着とパスポートがあれば他に何も要らないという身軽な旅でした。

気がつくと英語の台詞を覚え、齢五十を超えて、アメリカ人プロレスラーを相手に大立ち回りをおこなうアクション俳優としてカメラの前にも立っていて、我ながら運命の面白さを感じました。

 

そのようにして日々を過ごしてきた私に、全ての人間に訪れる、運命的な舞台が訪れました。

それが癌との出会いでした。

これまで病気、病院というものとは本当に無縁であった私が、珍しく体調の異常を感じたその原因が最もやっかいな病気、癌であり、それもハイグレード、悪性度の高い最上級というおまけ付きで「私らしいな」と苦笑いしつつ妙に感心しています。

医師からも状態もかなり進行しており、余命3〜6ヶ月という宣告を受けました。

そのような状況でも特別な焦りや不安を感じることもなく、運命的に出会った医師の指導のもとで、闘病という新しい人生の挑戦が始まりました。

以来、私は治療と生活の整理を見据えて、日米間を往復して癌との闘病と終活の双方を始めることになったのです。

既に手術を施したものの、六ヶ月目には全身に転移するという厄介な状態です。

しかし、何故かここでも不安や気力体力の衰えは感じないまま、入院先の病院で本書『瞬撃の哲理 沖縄空手の学び方』の編集作業をおこなっていました。

わざわざ交通の便の悪い病院まで足を運んでくれる編集者の下村敦夫氏と夢中でおこなう充実した時間に、我が身の置かれている立場をすっかり忘れてしまう毎日でした。

するとそうした光景を見ている病院内にも自然と応援ムードが漂い始め、何故か癌と対戦する強力なチームというような趣で、ここでも大きな自信と気力を全身に感じるとともに、治療を施してくれている医師の先生や看護師さんのサポートに、深い感謝の念と感動さえ感じる毎日です。

無論、人間である以上、死は遅かれ早かれ訪れる宿命です。

ましてや私の場合はその期限を告知されている状況ですから、穏やかなものではありません。

しかしこうして訪れた人生最大のテーマの中でも、生きる喜びとエネルギーの実感を持ち続けられる自分の姿に、これまでとは違う未知なる状況のなかで初めて遭遇する自分の姿を見ている思いです。

突然、私の体に降臨してきた空手という巨大なエネルギーは、衰えることのない力なだけではなく、冒険、感動、人との出会いなど多くの財産を我が身に与えてくれました。

それは今回の闘病という状況においても間違いなく活かされています。

ここにも私の空手修行があり、まだまだ続く明るい明日を感じている次第です。

平成30年5月1日 横山和正 拝


 

書影『沖縄空手の学び方』

【著者について】

横山和正Kazumasa Yokoyama
沖縄小林流空手道研心会館々長。

 本名・英信。1958(昭和33)年、神奈川県生 まれ。幼少の頃から柔道・剣道・空手道に親しみ つつ水泳・体操等のスポーツで活躍する。高校時 代にはレスリング部に所属し、柔道・空手道・ボク シング等の活動・稽古を積む。  高校卒業の年、早くから進学が決まったことを 利用し、台湾へ空手道の源泉ともいえる中国拳法 の修行に出かけ、八歩蟷螂拳の名手・衛笑堂老師、 他の指導を受ける。その後、糸東流系の全国大会 団体戦で3 位、以降も台湾へ数回渡る中で、型と 実用性の接点を感じ取り、当時東京では少なかっ た沖縄小林流の師範を探しあて沖縄首里空手の修 行を開始する。帯昇段を機に沖縄へ渡り、かねて から希望していた先生の一人、仲里周五郎師に師 事し専門指導を受ける。

 沖縄滞在期間に米国人空手家の目に留まり、米国人の招待、および仲里師の薦めもあり1981 年 にサンフランシスコへと渡る。見知らぬ異国の地で悪戦苦闘しながらも1984 年にはテキサス州を 中心としたカラテ大会で活躍し” 閃光の鷹”” 見えない手” との異名を取り同州のマーシャルアーツ 協会のMVP を受賞する。1988 年にテキサス州を拠点として研心国際空手道( 沖縄小林流) を発 足、以後、米国AAU(Amateur Athletic Union アマチュア運動連合)の空手道ガルフ地区の会長、 全米オフィスの技術部に役員の籍を置く。

 これまでにも雑誌・DVD・セミナー・ラジオ・TV 等で独自の人生体験と沖縄空手を紹介して今日 に至り、その年齢を感じさせない身体のキレは瞬撃手と呼ばれている。近年、沖縄の空手道= 首 里手が広く日本国内に紹介され様々な技法や身体操作が紹介される一方で、今一度沖縄空手の源 泉的実体を掘り下げ、より現実的にその優秀性を解明していくことを説く。 すべては基本の中から生まれ応用に行き着くものでなくてはならない。 本来の空手のあり方は基本→型→応用すべてが深い繋がりのあるものなのだ。 そうした見解から沖縄空手に伝えられる基本を説いていこうと試みる。

 

現在、全国書店、アマゾンで発売中。

定価:2376円(税込み)
単行本: 320ページ
出版社: 株式会社 日貿出版社
ISBN-13: 978-4817060235
発売日: 2018/5/24

 

2018/05/24 10:20 予定されていた書泉グランデでのイベント情報を削除して再掲載しました。

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–Profile–

横山和正(Kazumasa Yokoyama

沖縄小林流空手道研心会館々長。
本名・英信。1958(昭和33)年、神奈川県生まれ。幼少の頃から柔道・剣道・空手道に親しみつつ水泳・体操等のスポーツで活躍する。高校時代にはレスリング部に所属し、柔道・空手道・ボクシング等の活動・稽古を積む。

高校卒業の年、早くから進学が決まったことを利用し、台湾へ空手道の源泉ともいえる中国拳法の修行に出かけ、八歩蟷螂拳の名手・衛笑堂老師、他の指導を受ける。その後、糸東流系の全国大会団体戦で3位、以降も台湾へ数回渡る中で、型と実用性の接点を感じ取り、当時東京では少なかった沖縄小林流の師範を探しあて沖縄首里空手の修行を開始する。帯昇段を機に沖縄へ渡り、かねてから希望していた先生の一人、仲里周五郎師に師事し専門指導を受ける。

沖縄滞在期間に米国人空手家の目に留まり、米国人の招待、および仲里師の薦めもあり1981年にサンフランシスコへと渡る。見知らぬ異国の地で悪戦苦闘しながらも1984年にはテキサス州を中心としたカラテ大会で活躍し”閃光の鷹””見えない手”との異名を取り同州のマーシャルアーツ協会のMVPを受賞する。1988年にテキサス州を拠点として研心国際空手道(沖縄小林流)を発足、以後、米国AAU(Amateur Athletic Union アマチュア運動連合)の空手道ガルフ地区の会長、全米オフィスの技術部に役員の籍を置く。

これまでにも雑誌・DVD・セミナー・ラジオ・TV 等で独自の人生体験と沖縄空手を紹介して今日に至り、その年齢を感じさせない身体のキレは瞬撃手と呼ばれている。近年、沖縄の空手道=首里手が広く日本国内に紹介され様々な技法や身体操作が紹介される一方で、今一度沖縄空手の源泉的実体を掘り下げ、より現実的にその優秀性を解明していくことを説く。 すべては基本の中から生まれ応用に行き着くものでなくてはならない。 本来の空手のあり方は基本→型→応用すべてが深い繋がりのあるものなのだ。 そうした見解から沖縄空手に伝えられる基本を説いていこうと試みる。

平成30年5月26日、尿管癌により逝去。享年60。

書籍『瞬撃手・横山和正の空手の原理原則』(BABジャパン) ビデオ「沖縄小林流空手道 夫婦手を使う」・「沖縄小林流空手 ナイファンチをつかう」・「沖縄小林流空手道 ピンアン実戦型をつかう」「沖縄小林流の強さ【瞬撃の空手】」(BABジャパン)

web site: 「研心会館 沖縄小林流空手道」
blog:「瞬撃手 横山和正のオフィシャルブログ」