書の身体 書は身体 第八回 「筆順はテキトーである!?」

| 小熊廣美

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止め、はね、はらい。そのひとつひとつに書き手の身体と心が見える書の世界。しかし、いつしか書は、お習字にすり替わり、美文字を競う「手書きのワープロ」と化してしまった。下手だっていいじゃないか!書家・小熊廣美氏が語る「自分だけの字」を獲得するための、身体から入る書道入門。

「お習字、好きじゃなかった」「お習字、やってこなかった」
「書はもっと違うものだろう」
と気になる方のための、「今から」でいい、身体で考える大人の書道入門!

書の身体、書は身体

第八回「筆順はテキトーである!?」

小熊廣美

 

筆順はいい加減に書いても、
それでもみんな大体OKかもしれない

はじめから“いい加減”を前提としてしまいましたが、字を書くことにおいて、いわゆ る正しい筆順というのは、あるのか、ないのか、といえば、ないといってもいいのかもしれません。あるのは、

それなりの筆順

です。

それなりとは、人間が生理的に、自然に運筆していくということです。
今では読めない昔むかしの甲骨・金文から、現在多く用いられる楷書へという書体の変化をはじめとした、人間が文字を持ってからの長い歴史のなかで、だいたいの書く順番が、それなりに決まっていったということです。

もちろんそんないい加減ではなく、厳格に“筆順はある”、という方もいると思います。

「右」はノから、「左」は一から。「必」は中央上の点からノへ。「発」は、フ、点、次に、右へ行ってノをひとつ書いて……。

というように。
そう、筆順は、小学校や書塾などの基礎教育の段階で習ってきたのです。
それも紛れもない事実でしょうが、大胆に言ってしまえば、本来なくても、さして差し支えなかった筆順教育をしなくてはならない事態が、日本では明治以降起こったのです。

 

筆順教育は明治になってから!?

日本では、江戸時代、寺子屋によって一般庶民まで識字率が大幅にアップして、世界一の識字率になったとか。
その時の文字の学習は、もちろん筆文字であり、一部の唐様(からよう・中国風)書道を教えるところはあるにしろ、一般的には、書体は楷書など書きません。
では何を書いたのかと言えば、「お家流」といって、江戸幕府公認の、くずしてすらすら書く今でいう“草書体”を基本にした書体を習っていました。
当然ですが文字は自然につながっているので、筆順を考える必要はほとんどなかったんだと思います。(一部、江戸時代の専門家の中には楷書の筆順に関しての言及もあったようですが)

ところが明治になって、江戸幕府のお家流と決別し、唐様の楷書をもって、文字においても明治政府は江戸幕府との決別を図るのです。

今の“楷書でよかった。草書は読めない”と思わないでください。

とある歴史学者の先生にきいたところでは、

「江戸時代、楷書は逆に庶民には縁遠く、楷書を見せると、かえって読めなかったりもした」そうです。
楷書中心の今の感覚からはびっくりです。

そう考えると、われわれは今、楷書を基本としすぎているので、草書が読めないだけなのですね。このデジタル時代、その傾向はさらに進んでいく構えです。
人間が人間らしく生きる上で、楷書だけでなく、行書や草書を使えた方が柔らかく柔軟に生きられそうですけれども。

 

まず、開き直って堂々と書けばいい

さて、明治になって、楷書が基本になっていく中で、教育は、寺子屋から学校制度へと移行していきます。
書くことにおいては、だんだん草書よりも一筆から次の一筆への筆の流れである筆路がわかりづらい楷書中心になっていきます。

楷書では筆の流れである筆路が判りにくい

そうして、書く順序(筆順、書き順)を学校のなかでしっかり教える必要がでてきました。
書く順序がそろえば、学校教育上も、漢字指導の能率を高め、児童生徒が混乱なく漢字を習得するのにいいとして、二種も三種もある筆順であっても、できるだけ統一するように指導してきたわけです。

でも、それは、小中学校あたりの効率と基礎としての話しでもあります。

現在、しかも、もう大人になってしまって、筆順も自分なりに身についてしまった方にとって、大事なのは、書きやすさや早く書けることなのでしょう。次に書く相手に目が向いて、意識があれば、整って書くことあたりでしょうか。

筆文字に限れば、現在、筆文字が非日常になっていく中で、筆文字は、ただのコミュニケーションツールではありません。ネット環境ではありえない、言ってみれば、魂のコミュニケーションツールとも言えると思います。

そういう開き直りのなかでは、書く心地よさが一番

早く書くこともない。むしろ、じっくり筆の弾力を感じながら、その弾力と心身で対話しながら、呼吸を感じながら、ゆっくり書いてもいいのです。そうなれば、もうこの世知辛い世の中とは縁のない豊かな世界が待っているのです。

筆文字では、整う事は意識しても、そうならないと思うかもしれません。ただ、書き終えてみれば、筆文字では、どう書いても、それなりに魅力をもって、整うという概念を超えていけるので、堂々と自分の筆致で書いてほしいです。

そして、筆文字は、弾力という我々の身体に似た機能があるおかげで、鉛筆やボールペンなどの硬筆類より、筆の順路を勝手に選んでくれて、筆順も分かりやすいかもしれません。時には、硬筆との筆順の違いもでてくるかもしれません。そうしたらたいしたものです。筆に任せて慣れてきた証拠かもしれません。

文字一つのなかにあるハネやハライというものも、筆文字の弾力からの自然な動きの産物なのです。

 

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–Profile–

takada hiroyuki (1)

小熊廣美(Hiromi Oguma雅号日々軌
1958年埼玉生まれ。高校時代に昭和の名筆手島右卿の臨書作品を観て右卿の書線に憧れ、日本書道専門学校本科入学。研究科にて手島右卿の指導を受ける。
その後北京師範学院留学、中国各地の碑石を巡る。その後、国内ほかパリ、上海、韓国、ハンガリーなどで作品を発表してきた。

書の在りかたを、芸術などと偏狭に定義せず総合的な文化の集積回路として捉え、伝統的免状類から広告用筆文字まで広いジャンルの揮毫を請け負う。そして、子どもから大人までの各種ワークショップやイベント、定期教室において、また、書や美術関連の原稿執筆を通じ、書の啓蒙に務めながら、書の美を模索している規格外遊墨民を自認している。

〈墨アカデミア主宰、一般財団法人柳澤君江文化財団運営委員、池袋コミュニティカレッジ・NHK学園くにたちオープンスクール講師など〉

web site: 小熊廣美の書の世界