武術の根幹と言えば身を護ることにある。法治国家である現在の日本においてもそれは同じだ。時として、理不尽な要求や暴力から自分や大事な人の身を護るためには、決然と行動を起こす必要があるだろう。しかし、そうした行為もまた、法で許されている範囲の中で行わなければ、あなた自身が法に裁かれることになる恐れがあるのも事実だ。
では果たしてどのような護身が有効なのか?
本連載では元刑事であり、推手の世界的な選手でもある葛西真彦氏に、現代日本を生きる中で、本当に知っておくべき護身術を紹介して頂く。
元刑事の武術家が教える、本当に役に立つ術
実践、超護身術
第三十七回 事例で考える間接護身04
文●葛西真彦
あなたならどうする?
これまでこの連載では私の提唱する間接護身について、かなり多くのことを書き綴ってきました。
前回は連載に一区切りを付けるにあたって、実際に起こった実例を参考に私が作った想定問題を用意しました。
今回は第四弾です。皆さんにはここまでの連載内容を踏まえて、具体的にどうすれば良いのかを考えて頂ければと思います。
もちろん答えは一つではありません。“この方法はマイナスだろう”と思ってようなことでも、当事者の状況によっては、結果的に最善であったりすることもあり、その意味では正解はないとも言えます。
ですので、私もポイントを提示していきますが、これが絶対的な正解ではなく、皆さんと一緒に考えていきたいと思っています。大事なことは、自分で考え、納得のいく答えを出すことです。そうしたマインドを作り上げていくことで、これから先も皆さんのなかで間接護身の思考が発展していけばと考えています。
では事例を挙げていきましょう。
事例4 目の前で事件が発生! 思わず……。
早朝の駅構内のコンビニで、万引き事件が発生した。パンを持って逃げた犯人を店長が追いかけ、うまく捕まえることができたと思ったら、犯人が急遽抵抗をはじめ、店長ともみ合いになった。
そこへ偶然、通勤途中のあなたが遭遇した。
“なんか面白そうだ”と思い、やじうま根性を出したあなたは、携帯で動画撮影をしていたところ、犯人はポケットからナイフを出し、店長をめった刺しにした。
あなたは“ヤバイ”と思いつつ、“これだけの人ごみなので、警察へは誰かが通報しただろう”と思い、そのまま撮影を続けるうちに、犯人はナイフを持ったまま逃げてしまった。
こうした場合であなたはどうすべきだっただろうか。
著者の考えるポイント
野次馬的撮影は厳禁
この事例に関しては最初から問題点がたくさんあります。最近は何か事件が起きると、簡単に撮影できることと、自分は第三者のままでいられると思い込んでいるのか、危険な現場の近くまで行って撮影するケースが増えている様に感じます。
実際、私が警察官時代にも刃物を持った人間を押さえつけているとき(!)に、平気で道を聞いてきた女性がいました。ここまでの人はなかなかいませんが、危険な事件を眼の前にして平気で撮影しているという行為は、自分が巻き込まれる危険をまったく考慮してないという意味では似たようなものでしょう。
例えば興奮した犯人が撮影されていることに激高して、あなたに向かってきたらどうでしょう。一度携帯の画面に意識を集中していると、対処は後手に回り、ただでさえ避けるのが難しい状況で、何もできずに襲われる可能性が高くなるわけです。
私自身がこうした現場に出くわすことがあっても、撮影することはありません。ここまで証拠保全の意味での撮影を勧めてきましたが、こうした場面では必要がなく、巻き込まれるリスクを考えれば護身的にも無意味だからです。
あなたはなにをすべきか
では、もみ合いになっている場面で助けるべきでしょうか? これは現場によって要素が多く、簡単に答えを出すことはできませんが、もし助けるとしたら、覚悟も必要であることを忘れてはいけません。
以前も書きましたが、刃物を使う人間は、一つだけではなく、色々なところに隠し持っているケースが多いのです。まずこのことを忘れてはいけません。
ですから目先の刃物を何とかすることも重要ですが、そこに意識をとらわれすぎると危険であるわけです。
ケースバイケースであることを前提に、私自身が今こうした場面に直面したとしたら、まず警察に通報し、危険のない距離まで離れます。
冷たいと思われるかもしれません、しかしこれが現実です。多少ナイフで切られたり刺されても自信のある装備をしているのであれば、助けに入りますが、そうした装備を日常的にしていることはまずないので、冷たいと言われても自分が直接助けるより、防刃衣を装備している人間・警察官を呼び、対処をお願いするのです。
助けるはずだったが、自分が死んでしまったら元も子もありません。また死なないまでも、助けに入った結果、自分の利き腕を切られ、それが後々重大な後遺症となったらどうでしょうか。だれも責任を取ってくれないし保証もしてくれません。これが現実なのです。
もしそれが自分の命にかえても助けなければいけない肉親、親友、妻、恋人、子供だったら話は変わりますが、これが現実であるということも頭に入れておく必要があるのです。
また仮にナイフが出る前であったらどうでしょう。やはり断定的なことは言えませんが、警察官としての経験や、武道の経験を踏まえてあるいは介入して私人逮捕することも可能かもしれません。ただ事後の処理を考えると犯人を限りなく無傷で捕まえる必要があります。これまでの連載でも書いてきた様に、仮に手荒く扱って怪我をさせれば、後でこちらが加害者として訴えられる可能性があるからです。また上手く逮捕できたとしても、「逮捕者」としてその後に続く警察での手続きにかなりの時間費やす必要があり、少なくともその日一日が潰れる覚悟が必要です。また、このケースでは突然出されたナイフが自分に向けられる可能性もあるわけです。
あなたが自己犠牲を払うリスクと道徳心のどちらに優位性をとるのか、これはあなたの価値観と能力によるとしか言いようがないかもしれません。
見知らぬ第三者のために、どこまで自分が危険というリスクに立ち向かえるか、ここもよくよく考えねばならないのです。
逃げた犯人を追いかける?
また犯人が逃げたから追いかける、これについても同様であることを考えなくてはいけません。
窮鼠猫を噛むではありませんが、必死で逃げているのにそれを邪魔されたときに相手は何をするか分かりません。これは警察時代にとことん味わったことです。追いかけることに夢中になってると、相手が突然反撃に転じたとき、対処は遅れるのです。こういうこともなかなか護身では教えてくれないことのひとつです。
そして、刃物を持った素人が本気で殺しにかかるとき、普通に刺すだけではないということを、あらためて理解しなくてはいけないのです。
胸ぐらを掴んでくる、髪を掴んでくる、ネクタイを取る、頭突きや殴ってくる、眼を引っかく、手あたり次第噛み付いてくる……等、緩急つけて何かをしてくるし、ナイフの持ち替えをやられたときに、たいていは対処できず刺されます。
たかが、血やつばを吐きかけられるだけでも反射的に人は一瞬動きが止まります。また本気で噛みつかれたら声を上げるほど痛いものです。こうしたことは稽古のしようがなく、実際に経験してない人には分からないものです。
素人でも本気になれば、思わぬ方法で反撃してくるものです。
世の中には刃物に素手で立ち向かう技術はありますが、それを現実に使うには訓練とは全く違う動きで、全力で殺しに来る人間を相手にするという大きな違いがあり、かなり難しいということを理解しないといけないのです。
一番恐ろしいのは不意を突かれること
また、これも私の経験ですが、刃物を離れた距離から持ってることを知らせるのは通り魔や薬物中毒、精神錯乱者、酒に酔ったせいでの衝動、あるいは殺人行為を犯した後、興奮でその衝動が収まらないといった、稀なケースです。
実際に殺人事件の取り扱いをすると、たいていの場合、面識犯で顔見知りが不意を襲っています。
私自身が襲われたケースで危なかったものも、道を聞いてきたり被害者を装って不意を打ってきたものでした。
逆に最初から刃物を持って暴れているという通報のときは、こちらも最初から心構えもできているし、装備品も完全に着用した状態で、複数で対応するので、不意を打たれて1人で対処するほどの脅威ではないのです。
恐ろしいのは気が抜けているときに突然仕掛けられることです。技術もへったくれもなく、取っ組み合いの中で必死に相手の武器を取り上げながら投げる、組み伏せる等々、瞬時に優位性が取れなければもう終わりです。
結局のところ、最初から相手が刃物を持ってることが前提の状態から始める技術と、実際の殺傷事件とはかなり温度差があるのです。
さらに言えば、実際には汗や血で手が滑ったり、恐怖心が強すぎると体の動きはかなり鈍くなり、折角学んだ技術も無に近くなります。こうしたことも実際に体験しないと分かりづらく、難しいことでしょう。
いずれにしろ、“自分には培った技術がある”と過信しない方がいいでしょう。自分が相手を上回る武器・装備を備えて、かつその武器で優位性を取れるタイミングを保持していない限り、刃物を持った人間と接近した距離で対峙できると思わないほうがいいのです。
この事例を通じてよく覚えて頂きたいのは、
- 刃物に対して対処する技術を持っていたとしても、使うべきか使わないべきかの判断が大変重要であるということ。
- ケースによって温度差があるということ。
- 刃物に素手で立ち向かえると思わないこと。
そして一番重要なのは、
- 面白がってやじうま根性で事件を撮影することは死を招く可能性があるということ。
です。
すれ違いざまに刃物が! 不意打ちを察知できたケース
さらに付け加えて言えば、警察官時代に私も様々な不意打ちを経験し、それが教訓となり、「仕掛ける人間を察知する」という訓練をとても重視するようになりました。
今は平和な日常の中にいますが、その訓練は常に怠らないようにしています。
参考までに事前察知の成功体験をひとつ紹介しておきましょう。
勤務中に団地の屋上に不審者がいると匿名の通報があり、現場に到着し、屋上に向かう階段を登っていたところ、途中で降りてくる男と出会いました。
その男は「お巡りさん。屋上になんか変な奴がいるよ」と言い、「俺、買い物あるからね」と言って、すれ違う素振りを見せたところで、突然刃物を出して私に襲い掛かってきました。
この時、私は最初に話しかけてきた瞬間に、“ああ、こいつだ”と分かっていました。なぜ分かったかというと、目が血走り、早口で落ち着きを感じなかったからです。
また、「おかしい奴がいる」と言っているにも関わらず、現場に案内もせず、他人事のように早口で棒読みの口調も引っかかりました。
普通ならやじうま根性で警官を現場に案内しつつ面白がって見物しようとする、あるいは自分の住む団地のことなので“他人事ではない”と、緊迫した気配を感じさせるものです。
ところがそのどちらでもないことに違和感があり、加えて人相と言動・声のトーンにも警戒心が湧き上がりました。
これらは、ほんの一瞬の間に得た情報であり、もっとじっくり観察できれば、懐に隠した刃物のふくらみや、違法薬物摂取の兆候(実際、覚せい剤をやっていました)なども察知できたかもしれません。
しかし、それだけでも私の警戒心を非常警報にまで上げるのには十分な情報でした。案の定すれ違う瞬間、懐から包丁を出してきましたが、その腕をそのまま制して投げつけて逮捕しました。
こちらを殺そうとする兆候を事前に察知し、初動を制する、または逃げる。これが如何に重要であるか、この件もまた私にとっては大変貴重な経験となっています。
(第三十七回 了)
「実践、超護身術」が書籍化決定!
ご愛読いただいている「実践、超護身術」が書籍になることが決定しました。現在5月を目指して編集作業を進めています。
書籍化にあたっては増補改訂を含め、新たに葛西先生オリジナルの杖術と、推手を応用した直接的な護身法を追加。いずれも間接護身のコンセプトのなかで使えるものを紹介する予定です。
詳細が決まり次第、コ2でお知らせしていきますのでお楽しみに。
また連載は次回が最終回になる予定です。
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