【追悼特集】横山和正インタビュー03「結果が出てみなければわからない」

| コ2編集部 下村敦夫

【追悼特集】研心会館館長 横山和正先生を偲んで

インタビュー03「結果が出てみなければばわからない」

聞き手・文日貿出版社 コ2編集部 下村敦夫

 

横山和正先生(東京 公開講座 2017年)

 

空手家・横山和正先生が2018年5月26日に亡くなられて、一年が経ちました。

コ2では追悼特集として、横山先生の残された言葉や映像をご紹介しています。

先週に続き、今週も闘病中の病室で伺ったお話をお届けします。

※本インタビューは2018年5月12日に入院先の病室で収録したものです。


枠から外れて動くと、技が決まる

コ2 それは、先生のよくおっしゃる空手に対するイメージの違いにも近いように思えます。やはり先生の思う空手のイメージと他の人とは違うと感じていますか

横山 感じますね。それはどういう空手をやっているかにもよるんですけど、特に競技主体の空手をやっている人とは違うと感じています。(彼らは)動きが軽い。

……なんと言えばいいのかな……、「勉強したくて本に向かう」のと、「勉強しなきゃいけない!」と本に向かうのとでは違うじゃないですか。「やらなきゃいけない!」と思いすぎると文字が頭に入っていかないのに似たものを感じますね。

「自分たちは空手をやっているんだ!」ということに頭がいってしまって、実際に自分たちの体がどう感じているかというものを、結局自分で閉ざしてしまっている。もっと開いて、その中に入っていかないと。もっと内側に向けて、自分が何も考えずにそこに入っていく。イメージを作ってそこになろうと、余計な努力をせずにね。

コ2 横山先生ご自身はそうした外側のイメージから最初から自由だったのでしょうか。

横山 糸東流の空手をやっている頃は、外側のイメージを持っていましたね。だから変な話糸東流時代の方が動きが鈍くて、確かに組手なんかはできて、普通の人よりは早かったんだけれども、手枷足枷をつけているような感じで。

結局、(自分が)イメージした形でやるわけで、それがすごく窮屈で。「もっとできるだろう」という感じで。ただ俺はラッキーで先生が自由にさせてくれたので、当時はあまり使う人のいなかった廻し蹴りや後ろ廻しとかを使っていましたから。

そういう枠から外れて動いているとバタバタ技が決まってしまう。試合に行くと先生が「〇〇、お前は中段を蹴っていけ」「〇〇、お前は構えを低くしろ」「横山、お前は好きにやれ」と(笑)

前にも話しましたけど、一度「空手らしく試合をしよう」とやったら、試合が膠着して延長戦になってしまって、「これじゃ展開が変わらない、二段蹴りだ」とやったらそれがもろに入って決まったことがあって。流石に先生から「お前、二段蹴りなんか普通使わないぞ」と言われましたね(笑)。

その時に「なにか違う」と思いましたね。「空手が固いんじゃないか?」と。そういう意味ではボクシングの方がもっと伸び伸びしているように思いましたね。

そのあとに沖縄で型を学ぶんですけど、やっぱり内地の型をイメージしていくわけですよ。行くまでにも小林流の黒帯を持っていたんですけど、やっぱり沖縄の小林流ではなくて、「本土の空手の中の小林流」で。そういう習い方しかしていなかったから、実際に行ってみると全然違うじゃないですか。とりあえず「学べることは全部学んでやろう」と思って、全然疑いを持たずやりましたね

 

衛笑堂先生と仲里先生

コ2 イメージということでは、衛笑堂先生の存在も大きかったのではないでしょうか。

横山 そうそう。俺は衛笑堂先生と接して感じたのは「やっぱり道場のものとは違うんだな」ということで、「道場の武術と実戦は違うんだな」と

やっぱり道場だと礼節や建前の部分があるじゃないですか。衛笑堂先生はそういうものがないですから、「同じ武術でも道場で学ぶものとそうではないものがあるんだな」と思いましたね。

衛笑堂先生の動きは早くて重かったですね。だから俺は今やっていることは、かなり衛笑堂先生に近いなと思うこともあって、A.Jが「先生が近づいてくるとビルが迫ってくるようだ」と言うけれど、衛笑堂先生もそんな感じでしたから。体重の使い方がすごく上手いんですよ。

蟷螂拳ってもっとパチパチパチというイメージがあるじゃないですか。全然違って重厚なんですよ。ガツンという感じで。凄かったですね。あれもご縁だったんでしょうね、探して出会えたわけではなかったから。

仲里先生は衛先生とは違って。仲里先生のご自宅で貴重なメモを見せていただいたり、古武道の稽古の時には自分のサイを貸して頂いて、先輩からも「お前、仲里先生に好かれてるな」と言われました。

仲里先生の蹴りは硬かったですね。悪い意味じゃなくて、痛い蹴りなんですよ。やっぱりちょっと衛先生に似ているんだけれど、もうちょっと距離がある。衛先生の方がもっと接近してくる感じで、相手をネチネチに抑えてくる。仲里先生はある程度距離をとって、でも似ていますよ、片手を胸の前に置いて。

自分にとってラッキーだったのは、ほとんどお二人が同年代だったと思うんですよ。体型も似ていたし、技を出した時に若い人のように体をシフトしない。その辺はすごく似ていましたね。丸太ん棒のような感じで、それがドンと来るような。

もとから両者とも教えるタイプの先生ではなかったので。でも何かをする時には相手をさせられて、「それが教え方なんだな」と思いましたね。だから呼ばれたらすっ飛んで行きましたね。

仲里先生もそうなんだけど衛先生に技をかけられることが多かったので「これは凄いな」という感覚をつかんでいましたね。

それと同時にあの八歩蟷螂拳は「套路をやっているだけでは身につかないな」と思いました。そういう感覚を持って沖縄に行って、それができるようになった

つまり仲里先生のところでやった「早く、強く」という繰り返しが良かったんでしょう。自分のペースで套路をやっているだけじゃ身につかないと思います。もっと小手先の動きなってしまう。だから衛先生はその辺をどうしていたのか。もしかしたら内室弟子にはそういう風な方法で教えていたのかもしれないけど、そのあたりはわからないですね。

これは自分の見解で、ちょっと自分も近くなっているけど、結局、紹介をするんですよ練習の。1時間や2時間の稽古の中では教えきれないから、「これが必要なんだよ」ということを見せて、あとは生徒次第。

衛先生なんかも片手で腕立て伏せをやって。それも毎回やるわけじゃないし、そんなに回数をするわけではないんだけど、やっぱり「こういう練習が必要なんだよ」と。仲里先生のところではそれを徹底的にやらされたのが良かったのだと思います。

コ2 先生ご自身はそうした教え方を生徒さんにしてきたという感じでしょうか。

横山 そうですね。もう少し説明は多いですけどね。(日本の生徒には)実際に組手をしたりもしているので、そういう意味では肌で感じる時間は長いんじゃないんですか。直接触れることが大事だから。

あと、衛先生はステップが独特でしたね。仲里先生は意外と直線的な動きで色々な手の使い方をしてくる感じで。やっぱり色々な手(技術)を使うんだな、と思いましたね

衛先生は斜めに入ってくるんですよ。仲里先生の技は道場のクリーンな技で、衛先生は結構汚い技を使ってくる。接近してから変なところで足を引っ掛けようとか、体当たりとか。仲里先生はそういうところはなかったですね。だから仲里先生には距離を感じたのだと思います。どちらも凄いのですがそういう違いはありましたね。

書籍『沖縄空手の学び方』より

 

コ2 衛先生は接近戦で足を払ってくる感じ?

横山 払うんじゃなくて、足を置いておいて相手がそれにつまずくような感じで。だから距離がもっと近くなってくる。

あと衛先生のところで覚えたのは、鉄槌は手の部分だけではなくて腕だということ。だから受けるとボーンと体ごと効かされる。それは自分も背刀に応用して、手だけではなく腕で打つようにしていますね。かなり重い、ガツンと効きますよ。

コ2 やはり衛先生の影響は大きいのですね。

横山 今考えると楽しいですよ。お二人とも亡くなってしまったし、自分が学んだ時間は短かったから、それだけにかなり浸透度も深かった。

コ2 衛先生に新しい気づきを得て、仲里先生にそれを実行する爆発的な体の使い方を学んで、アメリカで検証・実践するという感じだったのですね。

横山 そうですね。だから今インターネットとか色々な情報が入ってきて、見られるのは逆に可哀想で。苦労したもの。

容易に入ってきた知識というのは、容易に抜けるじゃないですか。どんどん新しい知識を入れて、古い知識を捨てていってしまう。武道の練習というのはそれとは全く違いますから。

ちょっと知ったことを学んでいって、その段階で先生との触れ合いとか色々なものが出てくるわけじゃないですか。そこの部分で師弟関係だったり自分のものになったり、一門の使っているものを覚えたり、それを使って実践する段階に入った時に自分のものにしていくものだと思うんですよ。

だから一門でいて芽が出ないからといって、その人に武道のセンスがないかといえば、全然そんなことはなくて、その学んでいるプロセスの上でのことだから、それはもう結果が出てみなければわからないですよ

武道の良さというのはそこだと思いますけどね

2015年 東京・池袋

(第三回 了)


書影『沖縄空手の学び方』

『沖縄空手の学び方』横山和正著

横山和正先生の遺著となった『舜撃の哲理 沖縄空手の学び方』。本書はすでにご自身が重篤な癌に冒され、余命宣告を受けたなか「最後の仕事」として向かい合った一冊です。横山先生が追求し実感した空手の姿がここにあります。

現在、アマゾン、全国書店で発売中です。

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–Profile–

横山和正(Kazumasa Yokoyama

沖縄小林流空手道研心会館々長。
本名・英信。1958(昭和33)年、神奈川県生まれ。幼少の頃から柔道・剣道・空手道に親しみつつ水泳・体操等のスポーツで活躍する。高校時代にはレスリング部に所属し、柔道・空手道・ボクシング等の活動・稽古を積む。

高校卒業の年、早くから進学が決まったことを利用し、台湾へ空手道の源泉ともいえる中国拳法の修行に出かけ、八歩蟷螂拳の名手・衛笑堂老師、他の指導を受ける。その後、糸東流系の全国大会団体戦で3位、以降も台湾へ数回渡る中で、型と実用性の接点を感じ取り、当時東京では少なかった沖縄小林流の師範を探しあて沖縄首里空手の修行を開始する。帯昇段を機に沖縄へ渡り、かねてから希望していた先生の一人、仲里周五郎師に師事し専門指導を受ける。

沖縄滞在期間に米国人空手家の目に留まり、米国人の招待、および仲里師の薦めもあり1981年にサンフランシスコへと渡る。見知らぬ異国の地で悪戦苦闘しながらも1984年にはテキサス州を中心としたカラテ大会で活躍し”閃光の鷹””見えない手”との異名を取り同州のマーシャルアーツ協会のMVPを受賞する。1988年にテキサス州を拠点として研心国際空手道(沖縄小林流)を発足、以後、米国AAU(Amateur Athletic Union アマチュア運動連合)の空手道ガルフ地区の会長、全米オフィスの技術部に役員の籍を置く。

これまでにも雑誌・DVD・セミナー・ラジオ・TV 等で独自の人生体験と沖縄空手を紹介して今日に至り、その年齢を感じさせない身体のキレは瞬撃手と呼ばれている。近年、沖縄の空手道=首里手が広く日本国内に紹介され様々な技法や身体操作が紹介される一方で、今一度沖縄空手の源泉的実体を掘り下げ、より現実的にその優秀性を解明していくことを説く。 すべては基本の中から生まれ応用に行き着くものでなくてはならない。 本来の空手のあり方は基本→型→応用すべてが深い繋がりのあるものなのだ。 そうした見解から沖縄空手に伝えられる基本を説いていこうと試みる。

平成30年5月26日、尿管癌により逝去。享年60。

書籍『瞬撃手・横山和正の空手の原理原則』(BABジャパン) ビデオ「沖縄小林流空手道 夫婦手を使う」・「沖縄小林流空手 ナイファンチをつかう」・「沖縄小林流空手道 ピンアン実戦型をつかう」「沖縄小林流の強さ【瞬撃の空手】」(BABジャパン)

web site: 「研心会館 沖縄小林流空手道」
blog:「瞬撃手 横山和正のオフィシャルブログ」