「がんばる心はつぶれへん!」。1995年の阪神・淡路大震災の際の神戸で、よく語られた言葉だそうですが、“人はがんばりだけではもたない”ことを、被災の当事者として思い知らされたという、中川さん。
では心身ともに癒やされ、「今・ここ」につながるタッチとは?
中川さんが提唱される「こころにやさしいタッチケア」が誕生するまでのエピソードを、当時の記憶をひもときながらお伝えします。
わたしに触れる、コロナ時代のタッチケア
セルフタッチング入門
第3回 「今・ここ」につながるためのタッチケア
文●中川れい子
こころもからだも癒やされるには?〜阪神・淡路大震災の記憶から
「そうだ、これからは触れることを学んでみよう!」
1997年の秋。空が天に向かって青く広がる初秋の季節。ほんの一瞬、頭の中の空白で鳴り響いた声。
それが、わたしにとっての“タッチの旅”の始まりでした。
その2年半前の1995年の1月、忘れられない出来事と遭遇しました。阪神・淡路大震災です。1分にも満たない、大地の巨大な揺れは街を破壊し、大勢の人が家や家族を喪いました。当時、兵庫県西宮市にあった我が家は半壊状態でしたが、幸い家族は無事でした。でも、お向かいの家はぺしゃんこに崩れ、奥様が即死。言葉を失いました。
呆然とした状態で町を歩くと、見慣れた駅前の7階建てのビルはぐちゃぐちゃに倒壊していて足がすくみました。冷え切った1月の朝。なすすべもなくうちひしがれる人々。電気の通っていない町は怖いぐらい静かで、どこかで火事がおきているのか、空には灰色の煙が数本、立ちあがっていました。
その後、ぐちゃぐちゃになった自宅を片付ける傍ら、引き寄せられるようにして、友人が身を寄せていた市内の避難所にボランティアで通うようになりました。
“こころのケア”とは、阪神・淡路大震災を経て生まれた言葉ですから、当時の現場にはまだ、そういう概念はありませんでした。こころのケア以前にライフラインと食べ物と雨風をしのげる場所。そして街の再建です。とにかくみんなへとへとで、心の中に押し潰されたものを抱えたまま、走り続けていきました。
ストレスがたまってお酒を飲むことが多くなり、アルコール依存症になる人が増えていきました。心臓や肝臓が弱る方、がんや脳卒中などになる方もおられました。仮設住宅の孤独死も身近で起こりました。
「がんばる心はつぶれへん!」とは、当時の神戸ではよく叫ばれたものですが、そんなことはありません。がんばる心はからだをむしばんでいきました。
状況がよくなる見通しも立たぬまま
こころもからだも、ヘトヘト。
こころもからだも癒されることって何だろう?
当時、そんなことをよく考えたものです。
おそらく、それが必要だったのはわたし自身だったのでしょう。震災から2年程たってわたしは、支援活動から抜けていってしまいました。
きっと、燃え尽きてしまっていたのでしょう。
「こころにやさしいタッチケア」が誕生したわけ
1997年のあの秋の日に「そうだ、触れることを学ぼう!」と決めてから、道はあっというまに開かれ、ボディワークを学びはじめました。
その後1999年に、日本で最初に開催された「エサレン®ボディワーク」の認定コースに参加。米国カリフォルニア式の、全身のオイルトリートメントの技術を身に着けてのち、個人セッションをスタートし、ひたすらに施術を積み重ねていきました。
同時に、自分自身の学びのために、とても多くの施術を受けたものです。成長と実践の日々は、自分自身を癒すプロセスでもあったのでしょう。
それから10年余り。2011年の春に、NPO法人タッチケア支援センターを設立しました。そして、県に申請書を出した翌月の3月11日。あの東日本大震災が起きたのです。
地震だけではなく、津波や原発事故。そして阪神・淡路大震災をはるかに超える被害。全容が明らかになるにつれ、尋常ではない事態であることがわかりました。いてもたってもいられないけれど、すぐに現場にかけつけるのははばかられました。
そして思いついたことは、震災で傷ついたお子さんたちを、ご家族が抱きしめたり、やさしくふれたりすることで、少しでもPTSD(※1)が緩和されるようにと、タッチケアの効能と注意点を書いた冊子を届けることでした。
※1 Post Traumatic Stress Disorder(心的外傷後ストレス障害)。強烈なショックや強い精神的ストレスを受けたことにより、時間が経過しても当時と同じような恐怖を感じ続けること。阪神・淡路大震災や、地下鉄サリン事件をきっかけに日本で知られるようになった。
さまざまな方のご協力を仰いで、32ページの冊子はあっという間に仕上がり、5月半ばには完成。最終的には5,000部を、東北の被災地に届けることができました。この小冊子には『こころにやさしいタッチケア(※2)』というタイトルをつけました。現在この小冊子のタイトルは、タッチケア支援センターの講座名として受け継がれています。
※2 タッチケア支援センターのホームページから、PDFでご覧いただくことができます。
この小冊子のあとがきに寄せたメッセージは、今も大切にしている「タッチケアのエッセンス」でもあるので、一部を抜粋して紹介させてください。
避難所は数か月、仮設住宅は数年、復興への道のりは長く忍耐が必要です。阪神・淡路大震災のとき、雨風防げる家屋と物資や食料があっても、孤独が原因で命を失う方達が大勢おられたことは、あの頃のいまわしい記憶の一つです。
もちろん、やさしくふれたからといって目の前の現実がすぐに変わるわけではありません。でも、ほんの一瞬でもくつろぎ、ほっと心地よい感覚が蘇るのなら、そこに“希望”という種子が蒔かれ、新しい感覚が育まれていきます。その感覚は、私達を自分自身へとつなげ、人と人とをつなげます。ここに在ること、1人じゃないこと、つながっていること。未来はそこから生み出されていくと思うのです。
ふれあい、手をとりあい、孤独を癒しながら、この長い道のりを共に生きていく知恵を、いにしえの人々から受け継ぐときが訪れたことを、2011年の今、あらためて思います。この小冊子を通じて、タッチというやさしさの贈り物を神戸の被災地から東北の被災地に手渡し、お一人お一人の内側に宿る希望という種子を育んでいただけるのなら、これほど嬉しいことはありません。(2011年5月27日)
神戸の被災地から東北の被災地へ、“届けたかった”こと
小冊子を東北の被災地に届けつつ、実際に被災地に訪問しての施術活動も、2011年の5月の連休から始めました。期せずして、タッチケア支援センターとしての最初の活動は、被災地である東北・岩手県の大槌町となったのです。施術スタイルは、手や足へのオイルトリートメントや、肩・背中への着衣のままでのタッチケア。足湯もよくやりました。
現在のタッチケア支援センターの施術スタイルのほとんどが、東北の被災地での活動で育まれていったのです。思い返せばほんとうは、阪神・淡路大震災の時に行いたかった活動だったのかもしれません。
避難所も仮設住宅も、阪神・淡路大震災の時とそれほど改善されることもなく、その環境は過酷です。住む家を無くすことの壮絶な痛みをあらためて思い、東北の被災地での活動のあと、関西に戻って自分の家で眠ることができるのが、どれほどありがたいことかが、身に沁みました。
避難所や仮設住宅で、ハンドマッサージを受けてくださる方の多くは、受けている間に少し、眼をつぶり、うつらうつらとリラックスされます。その中に突然、堰を切ったようにお話を始める方が大勢おられました。命からがら津波から逃げ切ったこと。大切な我が家が圧し潰されてしまったこと。そして、ご家族を津波で奪われたこと…。
お隣で活動されていた傾聴ボランティアの方たちから「あら、タッチケアさんの方が、みなさんよくお話をされますね?」と言われたこともありました。触れることで信頼関係が深まり、おからだが緩むと、ごく自然と内側から言葉がこぼれ、ゆっくりと「語り」が始まります。わたしたちは、手と手をつなげたまま、お話をただ傾聴していました。
タッチケアでの「傾聴」は、施術者が受け手の方の過去のお話をうかがいつつ、触れる手は「今・ここ」につながっていることが特徴です。
触れる手は、過去の辛い体験を振り返るプロセスを支え、寄り添います。そして多くの場合、語り手の物語は、つながる手のぬくもりを感じ、「今・ここ」にいる私自身に立ち戻るプロセスへとつながっていくのです。
一人一人のおからだが異なるように、一人一人の体験、そして物語は異なります。こうしたご自身の体験をあたかも物語のように“語ること”が、心のケアにつながることは、かなり以前から注目されており、「ナラティブ(Narrative;物語、語り)セラピー」と呼ばれます。
タッチケアのセラピストは、触れる手を通じて、その方の“あるがままの存在”を感じるように、“あるがままの物語”を受容し、傾聴します。過去の出来事がどのようなことでも、触れる手の感覚は「今」を伝え、そしてセラピストもまた触れる手を通じて、「今・ここ」とつながり、グランディングします。
心地よくて、うとうとと眠られる方もおられます。また、言葉にならない内側を味わいながら、沈黙されている方もあります。いずれにしても、多くの方がほっとリラックスしてくつろぐ中、触れる手を通じて、自らの「いのちのぬくもり」と、「今・ここ」にいる瞬間につながっていくのが、タッチケアでお渡しできる癒しなのでしょう。
手と手がつながりあった時間が、透明な沈黙の中へと溶けていく…圧倒的な悲しみは言葉を遥かに超え、やがて、愛する人が津波で流された体験を語り始めた方の言葉も、施術の間にゆるやかに消えてゆきました。
あの時の体験を振り返ると、タッチケアとは「今・ここ」で共に在る「祈り」そのものに思えてならないのです。
前述した小冊子『こころにやさしいタッチケア』の冒頭では、このようなメッセージで、この一連のプロセスについてお伝えしています。今、読み返しても、タッチケアの本質をよくあらわしていると思います。
タッチケアはいのちのぬくもりと
今・ここに、共に在ることを伝え
つながりを、再生します。
「今・ここ」を感じる、セルフタッチングとは
では「今・ここ」を感じるとは、どういうことなのでしょうか。
五感のひとつである「触覚」には、触れている者/触れられている者が、「今・ここ」に共に存在するという、重要な性質があります。これは、
- 過去に録音された音楽を聴く、遠く離れた人と電話などで話をする時などにはたらく「聴覚」
- 過去に撮影されたもの、遠く離れた場所からの映像を観る時などにはたらく「視覚」
との大きな違いです。触覚は「同時性」「リアリティ」を確かなものにしてくれる、感覚機能なのです(それに対して、視覚や聴覚では、いわゆる“ヴァーチャル”・リアリティを可能にできますよね)。
その感覚は、タッチケアの中でも「セルフタッチング」でより、その効果を強く感じられるかもしれません。
わたしは6年程前から、うつの回復期の方の就労支援センター(A型)から依頼を受け、タッチケア講座を開講しています。主に「セルフタッチング」のファシリテーションを行っていますが、第2回でお話ししたように、他人に触れられるよりも、自分で自分に触れる方が、より安心感がある場合があるのです。
セルフタッチングを体験してくださった方から、こうした感想をよくいただきます。
「なんだか、すっきりする」
「頭の中が軽くなった」
「気持ちが楽になった」
うつの症状や背景は複合的ではありますが、ついつい考えすぎて頭の中が思考でいっぱいになり、こころとからだが離れてしまい、ますます不安にかられていく…というケースがよく見られます。
わたしたちの思考は、過去のことを振り返って後悔したり、未来のことを思い描いてシュミレーションしたり、常に止まることなく活動しているので、「今・ここ」に留まることができません。
かといって考えないようにすることは、ほぼ不可能に近いでしょう。
セルフタッチングでは、触れている感覚と、呼吸に意識を向けることで、「今・ここ」の身体感覚へと意識を集中します。ただ感じ、そして、気づいたことをあるがままに観察し、あまりのめりこまずに、ご自身が“考えること”にとらわれていることに気づいたら、再び、呼吸や触れている感覚に戻ればよいのです。
そうやって、徐々に思考と距離をとっていきます。まるで雲が流れるように、あるいは映画を眺めているように、考えていることもただ眺めています。そして、だんだんと自分自身が、ただ「今・ここ」に“在ること/Being”を受け取っていくのです。
シンプルに思えますが、この“Being”こそが「癒し」の本体であり、セルフタッチングで触れる手は、それがご自身の内側にあることを伝えます。あるいは、“Being”とは”いのち”そのものと呼んでも良いのかもしれません。
今回は、「今・ここ」につながるためのタッチについて、いくつかのエピソードを交えてお話をしました。
次の第4回では、「今・ここ」を感じられる時にはたらく、「リラクセーションのしくみ」についてお話ししたいと思います。
(第3回 了)
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