セルフタッチングとはなにか? を解説する、理論編もいよいよ終盤。ここでは、2回に分けて「からだの感じ方」についてお伝えします。
前編では、からだに気づくこと(awareness)に着目し、さまざまな身体技法を学ぶ、リトリートセンターの世界の先駆けのひとつとなった「エサレン研究所」の成り立ちについてなどをまとめました。
※記事の最後には3月6日(土)開催の「第6回タッチケア・フォーラム」のご紹介もあります。

わたしに触れる、コロナ時代のタッチケア
セルフタッチング入門
第6回 セルフタッチをはじめる前に(前編)〜からだの「気づき」を感じる
文●中川れい子
前回、第5回「皮膚に残る“原初の記憶”とは」では、心地よく“触れられる”ことの体験が、すでに産まれる前の子宮の中からはじまっていることについて、お話ししました。
この連載のテーマである“セルフタッチング”も、私が日頃お伝えしている“こころにやさしいタッチケア”も、
皮膚へのやさしい刺激を伝えながら、リラクセーションへと誘い、そして、自分自身のからだ全体をつなげるように触れていく
ことを大切にしています。これは、私が20年以上施術を続けている「エサレン®ボディワーク」のエッセンスが基本となっています。
エサレン®ボディワークには、さまざまな施術スタイルがあるものの、その大きな特徴として
ゆっくりとした動きで、受け手のからだと対話するように、身体感覚の”気づき”に働きかける
ことがあげられます。
ではこの「エサレン®ボディワーク」とは、どのようにして生まれたのでしょうか。発祥の地である、米国カリフォルニア州のエサレン研究所の草創期のことから始めてみようと思います。
エサレン研究所の成り立ち
エサレン研究所の歴史は、1960年代に始まります。それはリチャード・プライス(Richard Price , 1930-1985)と、マイケル・マーフィー(Michael Murphy , 1930-)の出会いから始まりました。サンフランシスコ郊外のスタンフォード大学を卒業した二人がいた、当時のカリフォルニアでは、従来の西洋文化の枠組みを超え、東洋思想に影響を受けた新しい文化的潮流が起こっていました。米国ではベトナム反戦運動や公民権運動が広がり、カウンター・カルチャーやヒッピー・ムーブメントが勃興していた時代です。
二人は、そんな時代のさなかに出会い、ともに「ヒューマン・ポテンシャル・ムーブメント(Human Potential Movement;「人間性回復運動」とも呼ばれ、人間の潜在的な可能性のことをさす)」を探求する場の設立を志したのです。
これはイギリスの文学者であるオールダス・ハクスリー(Aldous Huxley , 1894 – 1963)が、1960年代に各地でおこなっていた有名な講義のタイトルで、二人はこの講義から大いに刺激を受けていました。
そして1962年、 マイケルの家族が所有するカリフォルニアの太平洋を臨む “ビッグ・サー”という土地に、滞在型のリトリートセンターを立ち上げました。ビッグ・サーは、太平洋をのぞむ自然豊かな土地で、以前から多くのパイオニアたちが移り住んでいました。天然温泉が湧き出ずるその土地にはかつて、ネイティブ・アメリカンの部族が暮らしており、その部族名にちなんで「エサレン研究所(Esalen Institute)」と名づられけました。エサレンとは、“お湯の湧きいづる泉”という意味です。
以来、ボディ・マインド・スピリットを総合的に探求するセンターとして、エサレン研究所は全米でも広く信頼を集め、多くの哲学者や文学者、心理療法家、身体技法研究家、アーティストが集い、交流し、さまざまな実験的な試みを展開していきました。
エサレン®ボディワークの教育プログラムで得た体験
次に、私自身がエサレン研究所に訪れたり、エサレン®ボディワークのクラスに参加したことで感じたことを、お話しようと思います。
エサレン®ボディワークでは、まず施術のデモセッションを受講生が見ます。デモの後、先生はこういいます。
「これは、一例にすぎません。あなたたちの方法で探求してください」。
マッサージのクラスでは「手順」や「解剖学」が重要視されがちですが、エサレンのクラスでは、それよりも実際に「触れる」「感じる」「見る」等の直接的な「体験」が重んじられました。実際に触れて、動いてみることで、次の身体の動きや感覚が、施術者の個性の中で、新たな体験としてつながっていきます。
練習中も受け手に触れながらフィードバックを受け取り、受け手との相互性の中でより良い施術を探求していきます。そして、自分自身のからだでより自然で、より心地よい感覚を内側から実感し、その心地よさの中で相手に触れていきます(もちろん、上級のテクニックを身につけるにつれ、解剖学的なからだへの理解は必須となります)。

また、クライアントに対する施術者の心身の在り方や“プレゼンス(presence;“今・ここ”に存在していること)を深めるために、ヨガや気功、ムーブメントやダンス、そして、瞑想や呼吸法も大切なワークでした。エサレン研究所は、ゲシュタルト・セラピーなどの心理療法も発達してきた場ですので、ボディワークのクラスでも受講者みんなで、サークルを囲む(全員が輪になって向き合うように座る)時間がよく設けられていました。
教える側は、穏やかで安全な空間をホールドします。そうした守られた空間の中で私たちは、自分自身の内側から湧きおこる真実の感覚や感情に気づき、そして、他者と交わっていくことを体験的に学んでいくのです。
「心地よさ」「楽しむこと」も大切なエッセンスです。エサレン研究所では、音楽やダンスが日常に取り入れられ、あるいは、森の中を散策したり、太平洋の波の音の響く絶景のロケーションの中で温泉につかった後は、極上の全身のマッサージを受けることができます。
そして、オーガニックな野菜中心のお料理など、様々な面で、ホリスティックな観点から心地よさ、人生を楽しむエッセンスが盛り込まれていたリトリート空間でした。
そこでは肉体だけの癒しに留まらず、人生を立ち止まり、感情を癒し、自己変容のプロセスがごく自然と起こっていきます。エサレンが“変容”のセンターといわれたゆえんですね。
参考として、わたしがエサレン認定コースで生徒のみなさんを引率した時の記事をあげておきますね。
参考1:パート3、エサレン研究所での研修、無事終了しました!
https://ebkansai.exblog.jp/19268170/
参考2:Great Journey 二期生パート3、エサレン研究所研修
https://ebkansai.exblog.jp/20961496/
エサレン研究所に集う人々とは
エサレンのプログラムでは、人間全体を様々な方面から包み込む環境の中で、自分自身に気づき、癒し、そして学んでいきます。
そのプロセスの中で、プラクティショナー独時のゆったりとしたからだの使い方や動き、プレゼンスや佇まい、そして、非侵襲的で、受容性ある他者との寄り添いの質が育まれように、学びの機会が与えられています。

ところで、今から10年以上前のことですが、エサレン研究所でのボディワークのクラスでは、シリコンバレー周辺に暮らすプログラマーやIT関連の方とクラスメートになることが多くありました。
「なぜマッサージのクラスに参加するの?」と尋ねてみると、
「ふだんはずっとパソコンの前に座って左脳ばかりを使っているので、時々、マッサージを通じて“身体感覚”や“心地よさ”とつながり、右脳を活性化したいんだ」とのこと。
大いなる空、大いなる海。サンフランシスコから車で5時間程のこのリトリートセンターは、IT関連の仕事をする人々の回復センターとして新しい時代に入りつつあったようです。
しかし2020年は、新型コロナウイルスのパンデミックや相次ぐ自然災害により、エサレンにとってこれまでにない受難の一年となりました。
今後、エサレン研究所がどのような形で存続するのかはわかりませんが、パンデミックによって加速するであろう、人類が身体性や直接体験と遠ざかりつつある傾向に対して、エサレン研究所の培ったビジョンは、生身の身体とデジタル社会との共存の道を提示していくのではないでしょうか。
これからは、ビッグ・サーという土地を超えて、世界中が取り組む課題なのかもしれません。
自分の「からだに気づく(somatic awareness)」とは?
そうした、私自身のエサレン®ボディワークの教育プログラムの中で、特に大切にし、セルフタッチングにも取り入れていきたいエッセンスのひとつが「気づき」です。
「気づき」とは、英語のawareness の訳で、“気づいていること”あるいは、“意識”とも訳されます。「知る」や「理解する」ではなく、直接的な体験を通じた、はっとするような「ひらめき」に近いのかもしれません。
それは、“今・ここ”で、“あるがまま”に、その人の内側からの純粋な体験としておこるものです。
先入観や知識から遠ざかり、正しい/間違っているという判断でもなく、瞬間瞬間においてリアリティのある体験として訪れるので、一人一人においてそれはユニークなもの。言語化しにくく、他者に理解もされづらいものです。
同時に、何かに囚われることなく意識が開いた状態でもあるので、「気づき」が深まることで、自分の意識にぶれない中心が育ち、自分の外側の世界を、より適切にとらえることができます。結果的に他者や環境に対して注意深く、共感的で、思いやりのある状態(compassion)が導かれることとなります。

「気づき」は、感情や情緒やアイデアのような形で浮上することもありますが、身体感覚にもとづいた気づきは、よりシンプルな体験として、わたしたちを“今・ここ”へとつなぎとめます。
今日、身体的な気づきにかかわるさまざまな“体験的なワーク(experiential work)”が誕生しています。こうしたワークを総称して、“ソマティクス(somatics)”と呼ぶのですが、この言葉についてもう少し説明を加えましょう。
身体的な気づきとは、英語では“somatic awareness”といいます。somaticとは、ギリシャ語で、からだを意味する“ソーマ(soma)”に由来します。
英語のボディ(body)には物体や死体、あるいは車体といった、こころや魂とは切り離された、客観的に観察できる“物質的なからだ”を意味するのに対して、somaは、“生きているからだ”そのものをあらわします。
肉体を、心や魂とは切り離さず心身一如な存在として、からだの内側から活き活きとした実感を感じること。つまりsomaとは、“主観的なわたし”が体験する、一人称としての身体だといえるでしょう。
身体感覚の “気づき”によって、人は自分自身を、名前や国籍、性別や社会の立場を超えた、実存としてのからだに出会います。そこには正しさも間違いもなく、他者から批判も、理解すらもされる必要はありません。一人一人が異なった固有の感覚をもち、自分だけが感じとることができる、生きる実感そのものといってもよいでしょう。
ソマティクス(somatics)にはどのようなものがあるの?
エサレン研究所の初期にかかわった、哲学者のトーマス・ハンナ(Thomas Louis Hanna, 1928-90)は、こうした「身体感覚の気づき」を通じて自己成長を促すワークの総称を「ソマティクス(somatics)」と名付けました。それは1976年とされていますから、比較的新しい造語といえます。語尾に“s”がつくのは、さまざまなワークがあるからです。
その当時のソマティクスで主なものには、以下のワークがあります(そのほかにも、身体感覚の“今・ここ”の気づきにアプロ―チする、さまざまな心理療法も、エサレン研究所では発達していきました)。
- フェルデンクライス・メソッド:創始者はイスラエルの物理学者、モーシェ・フェルデンクライス(1904-1984)。トーマス・ハンナ自身が学ぶ。
- アレキサンダー・テクニーク:創始者はオーストラリアの舞台俳優、F.M.アレキサンダー(1869-1965)。オールダス・ハクスリーが自身の目の治療のために効果を実感。
- センサリー・アウェアネス:ドイツのギルザ・エンドラ―(1885-1961)がはじめ、米国にわたったシャルロット・セルヴァー(1901~2003)が開発。
ヨガ、気功、合気道といった東洋を起源とする身体技法も、ソマティクスに分類されます。そもそも、こうした“気づき”とは東洋の瞑想や禅に由来するからでもあります(日本ではsomaにとても近い言葉として、「身(み)」という言葉もあります)。
こうしたさまざまな身体技法には、おのおの特徴はありますが、いずれもゆっくりと穏やかな身体動作(movement)を通じ、からだの感覚を内側から感じながらワークをするところが、共通点なのです。
自分のからだと対話するには
タッチケアなどの触れるケアは、心地のいい感覚をからだに提供することが基本です。もちろん、この“心地よさ”が、皮膚の末梢神経から脳へと豊かな刺激を与え、自律神経系の調整など、さまざまな効果をもたらしてくれることは、この連載の第4回などでもお話ししてきました。
一方、“からだの気づき”という観点に立つと、タッチの感触は、必ずしも心地よさだけが大切ではなく、触れる/触れられること自体が、自らの感覚との出会いであり、自らの発見の契機としても、とらえることができます。
タッチの感触から浮上してくる「微妙な感じ」「ちょっと嫌な感じ」もすぐにその感覚に蓋をせず、ゆっくりと少しだけ、その感覚を受け取ることを自分に許す経験も、試してみる価値があるでしょう。
ただし、それがあまりにも圧倒的で、自分を押し倒しそうな感覚でなければの話ですが。ご自身にとって安全な空間のなかで、決して無理のない範囲で感じとってくださいね。
その感覚を受け取るときは、初めて出会った時のような、新鮮な気持ちを大切にしてみてください。そしてどんなに小さくとも驚きを感じられたら、それは素敵なチャンスです。まさにその瞬間こそが、“気づき”そのものなのです。
“今・ここ”に出現する“気づき”は、時間とともに変化していきます。その一瞬においては永遠ですが、現れては消えるようすは、シャボン玉が次々と生まれては消えるさまと似ているかもしれません。
“気づき”のある日々とは、一瞬一瞬が積み重なっていくプロセスであり、そのプロセスには、不必要なものは何も存在しえないのです。たとえどのように感じたとしても、すべてがあなた自身であり、そこから変化していく存在もまた、あなた自身です。
先に挙げたトーマス・ハンナは、このような言葉を残しています。
somaとは、内側から体験する身体であり、刻一刻と変化するプロセスである
セルフタッチングでは、自分自身の手の平で、自身の身体の感覚と“対話”するように、あるいはからだの声を聴くように、触れていきます。
触れる手の感覚、触れられるからだの感覚、あなたのからだのあたたかさ、やわらかさ、あるいは、かたさ、つめたさ、そして、呼吸するゆらぎの感覚。そのほか、さまざまに内側から自然と起こってくる感覚を、期待を手放してただシンプルに、そして素朴に感じることをおすすめします。
こうすることで、あなたを“今・ここ”へと一層、つなげていくからです。“今・ここ”に在ることで、あなたの“気づき”もさらに深まり、一瞬一瞬を大切に受け取るスペースが広がります。
するとごく自然と、あなたの身体の動きは“ゆっくり”になるかもしれません。自分自身をゆっくりと触れる手は、あなたにとってあなたが一番大切で、唯一無二のかけがえのない存在であることを、いつか思い出させてくれる、手でもあるのです。
*
次の第7回では、からだの内側からの“ゆらぎ”を感じることについてお話しをしたいと思います。
セルフタッチング WORK03:自分のからだと対話する
- 楽な姿勢で座り(椅子でも床面でも)、床に触れている感覚に意識を向けていきましょう。吐く息とともに、からだの重みを床にあずけるようにして、緊張を手放していきます。
- 自分自身の呼吸の動きに注意を向けます。吸った空気が鼻を通る感触、それがからだに広がって胸やお腹がふくらむ動きなど、あるがままのからだの状態を、しばらく感じていきましょう。
- 右手で、左手の指先から手の平全体へと触れていきます。形やその感触、皮膚の質感や温度などを、ゆっくりと味わいます。さらに手首→肘→肩→鎖骨→胸→さらに首へと手をすべらせながら、触れていきます。その間、呼吸はとめないようにしてください。初めてのことのようにゆっくりと、好奇心をもって触れていきます。
- ひと通り触れ終わったら、触れた側/触れられた側の感覚の違いを、さらに味わってみましょう。
左右の腕で、違いはありましたか? 今度は左の手で、右の腕に同じように触れていきます。 - 最後に、両手の平をハート(胸の中央)に置き、呼吸のゆらぎや、胸の質感を感じます。触れられたからだの内側へと意識を向け、その「感じ」を味わってみてください。
何も感じなくてもいいのです。それをそのまま受け取ることが、あなたが「あなたのからだ」と対話することですからね。
(第6回 了)
【第六回タッチケア・フォーラム&<身>の医療研究会 第六回大会】 コロナの時代を生きるタッチケア いのちに触れる “Touch”の未来を考える
2021年3月6日(土)に、著者の中川れい子さんが代表をつとめる「NPO法人タッチケア支援センター」と、「<身(み)>の医療研究会」が合同で主催する、オンラインイベントが開かれます。
分断と“ディスタンス”の時代だからこその、「タッチ~ふれあうこと」の根源的な必要性について、気鋭の研究者・ボディワーカーの先生方をお迎えして語りつくす1日です。講演・対談のほか、セルフタッチングやリラックスのワークもご紹介します。
内容の詳細とお申し込みは、こちらのイベントページをご覧ください。
イベントページ:https://touchcaresupport.com/event/79/
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