対談 龍村 修×長沼敬憲 ミトコンドリアとヨガ・瞑想、呼吸で繋がるカラダの世界03

| 龍村 修、長沼敬憲

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2017年7月7日金東京・八重洲ブックセンターにて、サイエンスライターの長沼敬憲先生と、ヨガ指導者・龍村修先生との対談が実現しました。第3回のキーワードはコミュニケーション。私たちは食べることや学ぶことなどで、日ごろから知らず知らずのうちに気を交換しているそうです。では、どうすれば細胞レベルで活性化につながるコミュニケーションができるのでしょうか。お二人の見解を伺いました。

 

『龍村式指ヨガ 脳と体のセルフケア』
『ミトコンドリア“腸”健康法』(日貿出版社) ダブル出版記念

対談/龍村 修×長沼敬憲
ミトコンドリアとヨガ・瞑想、呼吸で繋がるカラダの世界

第3回 調和・不調和を起こす引き金は、コミュニケーションにある

語り龍村 修、長沼敬憲
構成大場敬子
協力八重洲ブックセンター

 

龍村先生、長沼さん

 

生体コミュニケーションが大事

龍村 修(以下、龍村) 伝統的にいうと「プラーナ」は3つに分けることができます。天から来ている空気や光や熱などのプラーナ、そして大地のエネルギー、そしてもう一つが「人の気=プラナ」があります。

人は人の間でないと育たないし、人になることができません。昔読んだことがある『夜と霧』(ヴィクトール・E・フランクル著)という、ドイツ・ナチスの強制収容所の体験記録が書かれた本の中で、収容所の人たちは厳しい環境下にあるために毎日何人も亡くなるのです。しかし、12月25日は、他の日よりもより多くの人が死んでしまうというのが書かれていました。

なぜかというと、前日の24日に何名かの恩赦の発表があるのです。その恩赦の枠に自分が当たるかも知れないとう期待の心が、生きる力を与えていたのです。しかしそれに期待して助かるかも、と思っていたのに、選ばれなかった。すると、とたんに生きる意欲を失ってバタバタと死んでいく。

これは心の氣のチカラが大きいことを意味していると思います。他にもこんな例が良く知られています。インドで昔、赤子の時にさらわれて、狼に育てられた人間の子供、2名が発見されたことがありました。それで、その子供たちを保護して、医者や教育者たちが、様々な手段なんとか人間的生活ができるように教育したのですが、結局は生物として人であっても、「人間」になれなかったということもありました。そういった心と脳の問題は、ミトコンドリアと何か関係あるのでしょうか?

長沼敬憲(以下、長沼) そうですね、一つには「生体コミュニケーション」という視点が大事だと思います。自然にあるもの、この世界にあるものはすべて、コミュニケーションしている。食べるというのは、肉食がいいか草食(菜食)がいいかという話ではなく、動物は植物あっての存在なんですよね。本質的にいえば、植物が吐き出した「酸素」がなければ私たちは生きていけませんから。

あと、植物が生み出した「ミネラル」や「糖」も必要です。動物は植物を食べることで生きていますが、これもすべてコミュニケーションと言えます。これはみんな、コミュニケーションしているんです。食べたものを元素まで分解して、もう一回自分の一部に変えている。科学的にも、とても精妙で、感動的なプロセスだと思います。森に行くと、なぜ気持ちいいと思うのでしょうか。それは、自然と「気の交換」をしているからです。単純に、酸素の交換もあるかもしれません。

カラダの不調や不健康といった状態が起きるときは、こうしたコミュニケーションがうまくいっていません。当然、人間関係もそうです。私は今ここで、龍村先生から「栄養」をいただいています。会場にいらっしゃるみなさんからも、いただいています。すべてに対して間合い、関係性、距離感が存在しているんです。今、目の前にあるペットボトルの水とも関係性があります。あとは、自分の今のコンディションも関係していますね。そうした生きることの全体の中に、プラーナがあるんだと思います。

ミトコンドリア的にいうと、科学だけを信じるのではなく、命そのものを考えた上で、科学で分かっていることを大事にするとバランスがとれます。心や脳の問題もその一部かなと思います。ミトコンドリアの活性も、広い意味では心の影響を受けていると言えます。どうやったら全体のコミュニケーションレベルを活性化できるものか? そこには様々なメソッドがあり、ヨガもその方法のひとつなのではないでしょうか。

龍村 ヨガでは「生命即神」としています。昔から神と呼んでいるのはいったいなんなのか という疑問は誰でも持つと思いますが、と、ヨガでは、神とは私たちを生かしているチカラのことだ、としています。宇宙の力、という表現でもいいし、「自然の力」でもいい。

奈良の奥吉野に「天河大弁財天社」という神社があります。その奥宮が弥山という近畿で一番高い山にあるのですが、そこに登拝することがあります。その山は基本的には植林してあるのですが、登っていくうちにある高さのレベルからは自然林・原生林に変わっていきます。一見は植林された人工林と一緒に見えるのですが、自然林に入ったとたんに呼吸している気持ちが良いのです。風の吹き方が不思議だし、平和な感じがします。

植林されているのは、不自然に規則的な木々が続いているからですかね。自然林のエネルギーを頂くことは、神なるものとのコミュニケ―ションでもあるのかも。「食べることはコミュニケーション」というのもすごい発想ですね、たしかにそうですね

長沼 すべてコミュニケーションの中で、調和・不調和を考えるのがいいと思います。ミトコンドリアとどう関係があるかというと、まず食事を変えていくと、味覚が変わります。そして、お腹の調子も良くなり、食べ物に対して敏感になります。そうした過程で、外界とのコミュニケーションレベルが上がっていく感覚があるんです。

たとえば、私はこれまで日本各地をずいぶん取材してきました。和歌山県にある熊野古道や京都の元伊勢、鞍馬山、東北でいったら白神山地など様々な場所をまわってきました。というのはカラダで感じる部分、理屈を超えた部分、もしかしたらそれは五感を超えたものかもしれませんが、それがミトコンドリアを活性化させている、ひとつのエッセンスではないかと思ったんです。

こうした感覚を持つと、それぞれの土地で感じ方が変わってくるのが分かります。取材は夫婦で行くことが多いのですが、二人とも感じることがたくさんありました。理屈ではなく、細胞レベルで変わっていく感覚です。それは論証する話ではなく、精神的な豊かさも含め、体に蓄積されるものだと思います。

体重が減ったとかサイズが変化したといった、目に見える数値も大事かもしれませんが、やはり心や身体的な実感は無視できません。体を磨くという意味づけを少し変えて、細胞レベルでいいんです。感性を磨く実験を重ねていくと、細胞は元気になります。結果として数値的なものも付いてくるかもしれない。

見た目はDNAレベルですでに決まっています。でも輝きというのは別。記述できないし、それはアートに近いものです。簡単に数値化したり、言葉化できるものではありません。その辺りまで踏み込めると細胞レベルに行き着いたところの話になってくると思います。

龍村 私もヨガをやる前は、自然というのは景色だとか、外にあるものだという感覚でした。でもヨガを始めて「カラダが自然の代表である」、自然の法則を学ぶテキストがカラダなのだ、ということに気がついたのです。生命の法則を勉強すること、それがヨガなんだと。これは、内側に目を向けることです。

龍村先生

 

最近は、エクササイズ的なヨガが多く、筋肉を鍛えるという方向に行ってしまって瞑想的じゃなくなっています。でも、私がヨガを始めた40年前はそうじゃありませんでした。生命とは何かを勉強する修行として、ヨガがあった。ヨガの場合はとくに「自分の内側にある自然」をよく観察させていただいて、そこから学ぶために、カラダが与えられていると考えます。その様に学ぶことが、外の自然との関係においても質的に変化が起きますからね。

そういう学びができれば、外で、つまり自然の中で修行する場合も、内側に向けて行なう場合も、両方の変化をかね備えることができ、相乗的に生命とは何か、分かってくるのではないでしょうか。

長沼 すべてカラダを介在して、人は生きています。生き物はみんなそう。命を持っているのが共通点です。どの国や地域に住んでいても、同じようなカラダの仕組みを持っています。科学では解明されていないところも含めてそうです。

どんな立場の人と話す場合でも、カラダと生命を拠りどころにすると、もっとも「対立」がないと思うんです。人と調和して生きていける方法といえるかもしれません。

今「マインドフルネス」という方法が流行っていますが、そもそも頭で考えるモードから離れないと、こうした調和は体感できないと思います。命の勉強というのは、そういう意味だなと思うんです。勉強して、ミトコンドリアのことをどれだけたくさん知ったとしても、どこかで知識を持って試験を受けるわけではないですよね。試験を受けるといった目的で本を読んでも、何の得もありません。

皆さんに生命の勉強をしていただくために、今回の本が少しでもお役に立てればと思っています

 

瞑想とヨガは一緒のもの

龍村 私は読むタイプの本が2種類あるんですよ。一つは宗教的な本、もう一つは科学的な本です。小説は興味がないので読みません笑。本を読むことで、自分の感じていることや、言葉にならないことや経験が言葉になっていくんです。それがありがたいですね。科学的なことを勉強しなければ「私はこう感じます」ということを言葉で表現するのって、難しいですから。

本のおかげで、自分のコミュニケーション能力が上がると思います。しかも、右脳と左脳のバランスがとれて、感じるチカラが高まりますね。だから、ミトコンドリアの勉強はたいへんありがたいことです。

長沼 とんでもないです。言葉化する手段というのはとても大事なことですよね。たとえば、ミトコンドリアも、教科書に載っているのは俵型ですが、生きているものはだいたいつながっていて、グニャグニャした糸状の形をしています。つまり私たちに馴染みのある形は、実は死んでいる状態なんですよ。

そもそも、ミトコンドリアの「ミト」とは、糸という意味です。だから生きたミトコンドリアを観察するのは、科学者にとってもたいへん苦労することだったようです。語源的には「ミトコンドリオン」が単数形。その複数形がミトコンドリアということになっています。

こんなふうに名前を学ぶと、整理されますよね。感覚と知性がつながります。人は認識する生き物です。認識すると自分の霊性、スピリチュアリティが高まります。ほかの動物は、そういうことをしないですよね。対象物が学ぶ存在であるということが分かると、科学や芸術も面白くなります。学ぶとカラダに入ってきますから。知識も栄養ですし、コミュニケーションといえます。そして、知識を肚に落とすということ、がすごく大事です。全部がつながっていくと、より豊かになれます。「全体性」ということが、何よりも大事ではないでしょうか。

龍村 先ほど「瞑想」の話が出ていたので、ここで瞑想もやってみましょうか。私のクラスに来ていて「10年ヨガをやっているんですけど、瞑想はまだやったことがない。だから今度、瞑想のクラスに行ってもいいですか」という人がいまして。それを聞いてハッとしたのですよね。その人はこれまで、ヨガと瞑想は別のことだと理解していたのかと……。

龍村先生
イベントでは龍村先生の指導による瞑想体験も行われた。

 

ヨガは、カラダを動かすことだけではありません。呼吸を中心にすることで心を静かにして、内側を観察することもつながっています。だから、カラダを動かすことと、心を静めて観察する瞑想を切り離すのは、間違いなのですよね。ヨガのアーサナの中で、自分の内側を観察する、呼吸の状態に気づく、それがどういう影響を与えるのかをじっと感じる……、それがそのまま瞑想になっているのです。こういう部分が、きちんと分からなかったのかなと思いました。

今、マインドフルネスが流行るようになって、数年くらい前から色々な関連本が出ているのでビックリしています。私も瞑想の本を出そうと思っていたのですけど、出遅れたなと……(笑)。ただね、読んでみると、書かれているのはどれも心理療法なのです。

長沼 たしかに、そうですね。

龍村 お釈迦さまが始めたのは、心理療法ではないのです。お釈迦さまは自分の呼吸を、ただ観察していました。それまでは、当時の修行者の観念は呼吸の欲求や食欲だとかは、いわば魂をとじ込めたことによる肉体の欲求だから、乗り越えないと解脱とか悟りにはいかないという観念だったのです。

ところが、お釈迦さんはそれを止めました。何をしたかというと「洞察・観察」です。カラダの内側を見ようとしました。また、感覚器官の持っている心への影響などを観察し、それによって発見された内容や、心の在り方などに気づかれた内容が知恵として教典の中に色々な形で説かれています。

今、流行のマインドフルネスの始まりは、ヨガなんですよ。なぜそれが今、一番必要とされているかというと、あまりに外側にばかり意識が向いていて、不自然なもの、生命法則に則しない情報ばかりを心に取り入れているから、「今、ここ」の自分の心や体や行動に意識を向けることが、必要だからでしょう。どちらかという脳の癒しに心理療法が必要な心の状態になってしまっているから流行っている。けれど、瞑想の本質はそこにはないのです。

長沼 欧米の人たちのロジカルな発想の中では、マインドフルネスも最初に科学的に証明しなければいけないところがあるのでしょう。そうした経緯もあり、日本の禅がベースになって生まれたマインドフルネスがメディカル寄りというか、欧米流の発想のもとに広がり、逆輸入される形で日本に入ってきています。

ただ、禅も含めてルーツはお釈迦さま。そこから派生しているものですから、ここらで原点に返ったほうがいいんじゃないか? いまそうしたことが言われるようになってきていますから、龍村先生の出番も多くなるような気がします。僕自身、そうなることを期待しています。

(第3回 了)

 

新刊情報『カラダの中の隣人 ミトコンドリア“腸”健康法』(長沼敬憲著)

ミトコンドリア“腸”健康法
ミトコンドリア“腸”健康法

知ってますか、私たちの体の中にはミトコンドリアと呼ばれる無数の小さな生き物がいることを。今から約20億年前、この小さな“隣人”が私たちの中に入ってきたことで、生き物は爆発的なエネルギーを手に入れ、人へとなったのです。溢れる健康情報や新しい健康法を試す前に、ちょっと彼らの声を聞いてみませんか? 彼らと仲良くなることが健康はもちろん、生き方を変える切っ掛けになるはず。この本はそんなミトコンドリアと私たちの関係をもう一度見直せます。新しい健康法を試す前に読むべき一冊です。

単行本(ソフトカバー): 207ページ
出版社: 株式会社 日貿出版社 (2017/6/15)
言語: 日本語
ISBN-10: 4817070439
ISBN-13: 978-4817070432
発売日: 2017/6/15

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新刊情報『龍村式 指ヨガ 脳と身体のセルフケア』(龍村 修著)

龍村式指ヨガ脳と身体のセルフケア

呼吸に合わせて手指を刺激することで自然治癒力を高める「龍村式指ヨガ」。
本書では、その基本となる考え方とともに、脳と体のバランスを調えるメソッドを多数収録。
応用メソッド、実践エピソードなど「指ヨガの新しい広がり」も紹介。

単行本(ソフトカバー): 112ページ
出版社: 株式会社 日貿出版社 (2017/6/9)
言語: 日本語
ISBN-10: 4817070447
ISBN-13: 978-4817070449
発売日: 2017/6/9

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–Profile–

龍村修先生

龍村 修 (Osamu Tatsumura)・ヨガ指導者
1948年、兵庫県生まれ。神奈川県秦野市在住。1972年、早稲田大学文学部卒。学生時代の演劇活動の中でヨガに出会い、1973年に求道ヨガの世界的権威・沖正弘導師に入門、内弟子になる。導師に同行し世界10数ヵ国以上でヨガ指導を経験。1985年導師没後、沖ヨガ修道場長就任を経て、1994年4月に独立、龍村ヨガ研究所を開設。国内外でヨガの指導に従事。ヨガや東洋伝統の英知を活用する心身づくりを提唱している。現在、龍村ヨガ研究所所長、国際総合生活ヨガ研修会主宰、NPO法人日本YOGA連盟副理事長、NPO法人沖ヨガ協会理事長、一般社団法人手のひらセルフケア協会理事長。主な著書に、『龍村式指ヨガ健康法』『龍村式ゆがみ解消法』『眼ヨガ』『龍村式耳ヨガ健康法』などがある。

Web Site:龍村ヨガ研究所

長沼敬憲(Takanori Naganuma
1969 年、山梨県生まれ。出版プロデューサー、エディター、サイエンス・ライター。「ハンカチーフ・ブックス」編集長。30代より医療・健康・食・生命科学の分野の取材を開始。著書に、ロングセラーになった『腸脳力』『この「食べ方」で腸はみるみる元気になる!』『最新の科学でわかった! 最強の24時間』など。 エディターとして、累計30万部を超えた「骨ストレッチ」シリーズの出版プロデュースを手がけるほか、『腸を鍛える』( 光岡知足 )、『栗本慎一郎の全世界史』(栗本慎一郎)、『医者が教える長生きのコツ』 (佐古田三郎) 、『死と闘わない生き方』 (土橋重隆・玄侑宗久) などの書籍の企画編集に携わる。2015年12 月、活動の拠点である三浦半島の葉山にて「ハンカチーフ・ブックス」を創刊。『僕が飼っていた牛はどこへ行った?』(共著:藤田一照)などの書籍、雑誌『TISSUE』を刊行するほか、トークイベント「ハンカチーフ・ブックスCafe」を定期的に開催している。

ハンカチーフ・ブックス
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